日本の歴史00 「日本」とは何か
 
 
 
  歴史が変わる、生き方が変わる いま 日本を問いなおす  
著者
網野 善彦
 
出版社
講談社
 
定価
本体 1500円(税別)
特別定価(2000年12月まで、それ以降は2200円)
ISBN4−06−268900−6
 
 

人類社会の壮年時代

一九四五年八月六日

人類社会の歴史を人間の一生にたとえてみるならば、いまや人類は間違いなく青年時代をこえ、壮 年時代に入ったといわざるをえない。 それは、一九四五年八月六日、日本列島の広島に始まった。この日アメリカ空軍のB29が広島に落 とした一個の原子爆弾によって、一挙に、二十万人近い人間が殺傷され、その放射能の影響は五十年 以上の年月を経たいまも被爆者に及びつづけている。

さらに八月九日、この爆弾は長崎にも投下さ れ、「この世の地獄」といわれるほどの凄惨な状況の中で、やはり十万に及ぶ膨大な人命が失われた のである。 このアメリカによる原爆投下は、ごく短期的には「大日本帝国」の降伏、その敗戦をもたらす決定 的な契機となったが、人類が自らを滅しうるだけの巨大な力を、自然の中から開発したという疑う余 地のない厳粛な事実を、多大な犠牲を払って結果的に明確にしたという点で、人類の歴史に決定的な 時期を画することになった。

実際、これ以後の大国の間での核兵器開発をめぐる激しい競合の中で、人類は一歩、その歩みを間 違えれば、頓死、死滅する危険にさらされるにいたったのであり、いまなおその危険がなくなったわ けでは決してない。 人類がたとえ多少の犠牲を払っても、豊かさを求めてひたすら自然の開発を推し進め、前進するこ とになんの疑いも持たなかった「青年時代」は、もはや完全に過去のものになった。

広島・長崎への 原爆投下によって、人類がはじめて体験した核兵器による被害の恐るべく驚くべき実態を、さらにさ らに広く世界の人々に訴え、人類が自らの内に"死"の要因をはっきりと抱くようになった「壮年時 代」にふさわしく、注意深い慎重な歩みを進め、死滅の危険の元凶の一つである核兵器の廃絶を実現 するための条件を広くつくり出すことは、われわれに課された使命といわなくてはならない

。もとよ りこれは、化学兵器、細菌兵器等の大量殺戮を目的にした兵器についても同様である。 開発による自然破壊と公害 人類の直面する死滅にいたる危険はこのような兵器だけではない。近年、高度成長期を中心に日本 列島において、あとさきを顧みず、猛烈な勢いで進められた開発、生産の増大がひきおこした自然の 破壊、それに伴う公害の人体に及ぼす深刻な影響に典型的に見られる事態は、地球全体にわたって広 く進行しており、地球温暖化やダイオキシンなどの有害な物質の蔓延等、これまたことと次第によっ ては、人間の生存自体を脅かす危険のあることがあきらかになってきた。

たとえば日本の社会に即してみると、色川大吉編『水俣の啓示』(筑摩書房、一九九五年)がさまざ まな角度から追及しているように、不知火海によって育くまれた豊かな海の世界、芦北と水俣は、 "チッソ"(日本窒素肥料)による有機水銀のたれ流しによって、無残な死の海と化し、恐るべき水俣 病を発生させ、多くの患者を痛苦に陥れた。この世界最大の公害問題といわれた水俣病は、富国強 兵をめざし、敗戦後も高度成長を追求してきた、日本の近代の持つ根本的な矛盾と歪みを明確に表面 化させただけでなく、自然と人間の関わり方について、これまでのあり方を根底から考え直さなくて はならないことを、多くの人々に痛感させることになった。

私自身のまったく小さな経験からみても、敗戦後まもなく古文書調査のために歩いた各地の海や測 の世界の、最近の変貌ぶりには心を暗くさせられ、ときに慄然とせざるをえなかっ大のである(拙著 『古文書返却の旅』中公新書、一九九九年)。たとえば一九五〇年代の霞ヶ浦・北浦は湖辺に葭や真菰が生 いしげり、青々とした世界をつくり出すとともに、舟の出入する河岸の風景が残っており、この湖 特有の帆引網や大徳網などの漁撈がまださかんな、美しく生き生きとした水郷であった

しかし一九七〇年代の後半、土浦に宿をとり、湯に入ろうとした私は、一瞬、霞ヶ浦に温泉があっ たのかと錯覚した。それほどに強い硫化水素の臭いがしたのであるが、それは水道の水そのものの 臭気だった。 列島各地の渚や浜と同じように、赤白の煙突の林立する鹿島工業団地が造成され、そこへの水の供 給のため、霞ヶ浦を巨大な水がめとするべく、湖の出入口に水門を設けて海水をせきとめ、湖岸をコ ンクリートで固めた結果が、この事態だったのである。

たしかにこれによって湖からの洪水の危険は 少なくなり、工業団地によって、湖辺の生活の便利さは増し、豊かになったことは間違いないが、湖 辺の美しい風景はほとんど消え去り、帆引綱も姿を消した。そして湖は流れこむ生活廃水によって富 栄養化し、夏になるとアオコが大発生して腐敗するため、硫化水素が発生し、"温泉"を思わせる臭 気が湖辺に充満することになっていった。まさしく湖には死の影が迫っており、鯉の大量死も実際に おこったのである。 本文P.8より

 

 

 

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