国民の道徳
 
 
 
  込んだ時代Fだからこそ あらためて日本人の生き方を考えてみたい。  
著者
西部 邁
 
出版社
産経新聞社
 
定価
本体 1800円(税別)
 
ISBN4−594−02937−X
 
 

はじめになぜ道徳について語らざるをえないのか いわゆる世論において流通している生活上の価値観が道徳というものであるなら、私は物心ついてから この方、不道徳漢として生きてきたし、これからもそのように生き、そして不道徳漢のままに死ぬのであ ろう。

のっけから自分のことで恐縮であるが、小学生の頃、私はおおむね孤独を好むようにして生きていた。 いや、他者との接触が否応もなく喧嘩沙汰に至るので、孤独に傾かざるをえなかったのである。中学生の 頃は、遠方からの汽車通学のためにさらに独りになることが多く、一時とはいえ万引きに耽るというよう な形で、少々不良化していた。高校生の段階では、妹を交通事故に通わせるという失策をやったこともあ って自閉的でありつづけていた。

その自閉症の気味を打ち破りたいという衝動に駆られてのことであろう、大学生になると、政治運動に 参加し、二度逮捕され、三つの裁判で被告人をやっていた。被告人になると同時に政治運動はやめ、また 独りになった。家族や友人との付き合いなしに、物質的に最低の暮らしをしながら刑務所に入るのをただ 待っているというのも、「小人、閑居して不善を為す」の一種であったとしかいいようがない。 妙な具合で刑務所にいかずに済むことになり、そして学者の職業に就くことになった。だが、自分のや っていた学問分野がとてもつまらないものだと思われはじめ、そこからの脱出口がみつからぬという苛立 ちのせいもあって、麻薬や賭け事を少々体験しながら、憂鬱な時間を過ごしていた。

当時、高校時代のた った一人の親友であった在日朝鮮人が暴力団の行動隊長のようなことをやっていて、そうしたアウトロー との付き合いだけが私の生活に緊張感を運んでくれていた。

仕事の上での脱出口の見当が何とかついたあと、留学と称する精神の休眠状態に入り、国に戻ってきて、 日本における「戦後的なるもの」が高度大衆社会の徒花となって咲き誇っていることに精神的な嘔吐を催 しはじめたときに、私はもう四十歳代になっていた。

その代が終わりに近づく頃、訳あって所属大学と喧 嘩しなければならなくなり、それから十二年間、主として評論家という世間からは蛇蝎のように嫌われる、 また嫌われて当然の、職種のあたりをうろうろして今に至っている。 敗戦とともに自意識というものを持つこととなった私の人生はいつも世間からずれていた。その意味で ならば私は不道徳漢であったし、またそうであることに居直って、我ながら制裁を受けて然るべしと思う しかない行為に走ることも間々あった

。私の心理の奥底には、どうも、制裁を受けてみたいと思う性癖が あるようでもある。その意味では、軽率を美徳とみなす不徳の気味が私にはある

。だから、いくらつまら ない時代とはいえ、よくもこういうつまらぬ人生を送ってきたものだ、という虚無の気分が、ごく軽いも のではあるのだが、私の脳髄に徽のようにとりついていることも否めない。 そんな私がなぜ道徳について語ることになったのか。 もちろん、本書『国民の遺徳』を書くになったについては直接の契機があった。 一つに、 「新しい歴史 教科書をつくる会」から「公民」についても新しい教科書を作ってくれとの要請があった。

教科書をどう 書き改めたとてどうにもならないような深い昏睡に陥っている、あるいは激しい混乱のなかに舞っている、 それが現代日本人の姿だと私は思っている。しかし、愚劣きわまる教科書を書き直すというのは文句なし に理に叶ったことで、私の不道徳癖は理を踏みにじるような類のものではないのである。そして、その会 の会長である西尾幹二氏が『国民の歴史』を発表され、それの姉妹編として『国民の道徳』を書かないか との依頼がきたとき、それも理のある話だと私は思った。

二つに、もし価値観への強い関心を道徳心とよぶことが許されるなら、私にあって、道徳心なしに執筆 できた例は一度もない、いや、道徳心の何たるか、何たるべきかについてしか執筆した覚えがない、とい う事情がある。 文筆を伴わない行為においてならば、若いときのみならず還暦を過ぎた今においても、その道徳心が軌 道を外れて世間から不道徳と指差されてやむをえない振る舞いに及ぶ、ということも私において起こって いる。少なくとも、そう指弾されても私は抗弁しない。

しかし、文筆においては、そうした自分の振る舞い いにたいする省察のことも含めて、道徳心の制御において大きく失敗したことは一度もないと自負して いる。少なくとも、自分の不道徳のことが気になってならぬという意味では、私は道徳漢なのであろう。 そのことをここに生まれてはじめて公表するのは、「国民の道徳」と大きく構えるに当たっての挨拶だと 受け取っていただきたい。 このように私は「戦後」の世間からみればとても道徳漢とはいえない。また、その反戦後としての不道 徳においていささか暴走したことも認めねばならない。しかし、私にいわせれば、「戦後」こそが不道徳 の苗床なのである。 本文P.3,4,5より

 

 

 

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