書名
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裏家業 上/下
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著者
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ジョン・グリシャム
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出版社
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アカデミー出版
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定価
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本体 1200円(税別) 上 本体 1200(税別) 下 |
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ISBN4-900430-88-9 上 ISBN4-900430-89-4 下 |
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第一章 一週間分の訴訟を片づける日がやって来た。 いつもと同じ、色あせた海老茶色のパジャマに、裸足のまま紫色の雨くつを履いた変な男。 法廷ごっこが好きでたまらないらしく、一人で張りきっている裁判狂のT・カールだ。 日中もパジャマのままでいる囚人は大勢いるが、紫色の雨くつを履いて刑務所内を歩きまわ るのは、ポストンの銀行オーナーだったこの男だけである。 パジャマや長ぐつより見苦しいのは、彼がかぶっているかつらだ。なか分けされた髪はいく つものロールになってぶら下がり、男の耳をおおい隠して、肩の上にのっているのがとても重 そうに見える。色はほとんど白に近い明るいグレーで、数百年前の英国の裁判官がかぶってい たものの模造品である。 それをマンハッタンの古着屋で見つけて差し入れてくれたのは、シャバにいる彼の物好きな 友人だった。 T・カールはそのかつらを自慢げにかぶって法廷に出る。しかし、慣れとは妙なもので、そ のかつらは今では法廷ショーの名物になっている。かつらのせいかどうかは別にして、T.カ ールに近づこうとする囚人はいない。 刑務所のカフェテリアの、脚のしっかりしないテーブルの向こうに立った裁判狂は、プラス チック製のおもちゃの小づちを打ち鳴らした。そして、せき払いしてから、おごそかに宣言し た。 、、 「静粛に、静粛に。"連邦劣等裁判所ノースフロリダ法廷”をここに開廷する。みなさん、ご起 立を!」 誰も動かなかった。少なくとも立ちあがろうとする者はいなかった。カフェテリア内にいた 三十人ほどの囚人たちはプラスチックの椅子に座って、てんでにくつろぎ、珍妙な格好の裁判 狂をながめている者もいれば、それを公然と無視して勝手なおしゃべりを続ける者もいる。 T・カールは続けた。 「万人に正義がもたらされんことを。そして、万人が女体にありつけんことを!」 笑いは起きなかった。裁判を始めた当初、T・カールが最初にその冗談を発したときは爆笑 を誘ったものだが、毎回同じ手ではもう謹も笑えなくなっていた。T・カールは椅子に腰をお ろし、わざと目立つようにかつらのカールを揺らした。それから、この法廷の正式な記録であ る革表紙のぶ厚いノートを開いた。 準備ができたところで、いよいよ三人組判事の登場である。 その三人がキッチンから出てカフェテリアに入ってきた。二人はちゃんと靴を履いていたが、 一人は裸足で、口にはクラッカーをくわえていた。 裸足の男の長いすねはローブの下から丸出しだった。茶色に日焼けした両足には毛がまるで なく、左足のふくらはぎには大きな入れ墨があった。男の出身地はカリフォルニアである。 三人ともそろいの制服を着ていた。薄いグリーン地に金糸で縁どりした聖歌隊のローブ。か つらを売っていた同じ店からT・カールが友人に仕入れてもらい、三人にクリスマスプレゼン トとして贈ったものだ。こういうところにも法廷書記としての彼の気配りが働いていた。 聖歌隊の装束で正装した三人組の判事がローブをなびかせながらタイルの床をゆっくり歩い てくると、カフェテリアのあちこちから冷やかしや野次がとぶ。三人は、判事席を模した長い テーブルの向こうにT・カールとは距離を置いて座り、週に一度の会衆に向きあったあの背の低い太った男の名はジョー・ロイ・スパイサー。裁判長役である。ミシシッピ州の過疎 の郡でかろうじて当選した本物の治安判事-それが彼のシャバでの地位だった。ところが、 《シュライナーズ・クラブ》のピンゴの収益をかすめたのがばれて、いまこうして刑期を務めて いるわけである。 「どうぞ着席してください」 立っている者など一人もいない中で、スパイサーは集まった囚人たちに呼びかけた。 判事たちは、椅子を動かしたり、ローブを振ったりして、自分たちの座り心地をよくした。 刑務所所長代理がその横についていたし、制服姿の看守も一緒にいた。が、囚人たちはいっさ い気にしていなかった。三人組によるこのカフェテリア法廷は、刑務所当局の承認を得て、週 に一度開かれていた。訴えを聞き、囚人同士のいがみ合いやけんかの仲裁をするのが目的であ る。事実、この仕組みは、荒くれ男たちの社会にあって、安定要素としておおむね期待された 機能を発揮していた。 裁判長のスパイサーは、T・カールがきれいに清書した訴訟一覧表に目を落として言った。 「審理は厳粛に進行すること」 裁判長の右どなりに座るのが、カリフォルニア州の有名人フィン・ヤーバーである。年齢は 六十歳。すでに刑期を二年つとめ、あと五年で出所する。罪名は脱税。悔しさと無念さを常に あらわにしている男である。彼をカリフォルニア州最高裁判所主席判事の地位から引きずりお ろしたのは、長年の政敵である共和党知事によるリコール運動だった。死刑反対の立場をつら ぬくヤーバーは執行を頑固に遅らせていた。そこがリコールの決め手になってしまった。住民 はむしろ流血を望んでいたのだ。そのじゃまをしていたのがヤーバーということにされてしま った。共和党員たちが大衆の死刑熱をあおった結果、リコールは予想外の大勝利に終わった。 地位を失い、路頭に迷うヤーバーに脱税容疑が追い討ちをかけた。カリフォルニアの名門ス タンフォード大学で教育を受けた彼は、州都サクラメントで起訴され、花のサンフランシスコ で判決を受け、いまはこうして常夏のフロリダにある連邦刑務所に服役しているわけである。 刑期を二年間消化したいまでも、フィン・ヤーバーは内側で苦しみもがいていた。いまでも 自分の無実を固く信じて、政敵を打ち倒す日を夢見ている。 だが、その夢は徐々に色あせつつあった。最近の彼は日焼けしながら一人でジョギングして いることが多く、刑務所にいることをなるべく忘れようとしているかのようだ。 裁判長役のスパイサー判事は、まるで反トラスト法の大裁判でも始めるかのように大仰に宣 告した。 「では裁判を始める。最初のケースは、シュナイダー対マグルーダー!」 「シュナイダーはここにいないだろう」 そう言ったのは、三人目の判事ビーチである。 「やつはどこにいるんだ?」 本文 P.7,8,9,10,11より | |||
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