書名
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雪 月 夜
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著者
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馳星周
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出版社
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双葉社
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定価
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本体 1900円(税別)
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ISBN4−575−23399−4 |
! 欺く、殴る、犯す、殺す・・・・街が狂気に染まる!今もっとも熱い作家が硬質な筆致で描く血と暴力の文学。 | |||
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車−白いスカイライン。車体は泥で汚れている。ナンバープレートが示しているのは札幌の レンタカー。気づいたのは濱口と話している途中だった。日本語とロシア語で北方領土返還を訴 える巨大な看板の下にとまっていた。地吹雪と共に排気ガスを吹きあげている。窓にこびりつい た雪が車内をうかがうことを妨げていた。 どれぐらい前からそこにとまっていたのかはわからない。だが、十分前にはそこにいたことは 確かだった。こんなところで札幌から来たレンタカーがなにをしているのか−立ち小便をして いるには時間がかかりすぎていた。外の気温はマイナス十度。風も強い。体感温度はマイナス二 十度を越えている。 「だからさ、無理いってんのはわかってるっしょ。だけど、そこをなんとかしてくれるのが友達 だべさ」 濱口の声に、意識を外から店の中に向けた。濱口は石油ストーヴに身を寄せながら茶をすすっ た。黄色い防寒具で首から下を覆っている。頭には毛皮の帽子−取引きのあるロシア船の船長 からプレゼントされたといっていた。色素の薄い赤ら顔にはその帽子が妙に似合っていた。濱口 が入ってきたときから、店内にはきつい潮の香りが充満していた。「でも、濱口さん、明後日までにってのは無理だ。釧路に連絡いれて品物集めてもらうのに九二 日はかかる。なんぼ急いでも、届くのは明後日の夜が限度だな」 「だから、こうやって頭さげてるっしょ、幸ちゃん」 濱口の顔に下卑た笑みが浮かぶ。夜になって酒を飲めば、仲間を相手に露助船頭の息子が偉そ うにしやがってと愚痴をたれるに決まっていた。ここらあたりの港湾関係者は変わり身が早い。 厳寒の国境の町で馬鹿正直なままでは生きていけない。 「頭さげられても、無理なものは無理だよ。ロシア人にはいきなりはんかくさいこというなって いっておけばいい」 「そういうわけにはいかないんだってば:…幸ちゃんだって知ってるっしょ。潜水服あれば、ウ ニなんかいくらでも取れるんだから」 おれはため息をもらすポーズ。端っから濱口の頼みは聞く気でいた。問題は金だ。親父が 遺してくれたガラクタを売っぱらって作った会も、そろそろ底をつこうとしている。濱口には金 がある。ロシア人が不法操業で乱獲してきた蟹とウニで稼いだ金。少しぐらいおこぼれをもらっ たところでばちは当たらない。 「そりやあそうだろうけどさ……」 煙草をくわえ、火をつけた。視線をドアの外に移す。スカイラインはまだとまったままだっ た。 「気象庁の語定と、この吹雪、あと三日は続くってさ。そしたら、ロシア人も港から出れないっ しょ。港から出れないってことは商売できないってことだからね。吹雪やんだら、とっとと海に 出て、ウニ取りたいんだわ。だから、無理を承知でおれに頼み込んできたもんだから・・・・」 「わかったよ、濱口さん。とにかく、釧路に電話いれてみる。ただし、金、かかるよ」 「わかってるって。幸ちゃんがガキんときから知ってるのに、いきなり金の話するのはあずまし くないっしよ。だから、黙ってたけど、礼はたんまり弾むから・…:」 ガキのとき−記憶がさかのぼる。皮膚の表面がざわりと音をたてて粟立つような気がした。 煙草をふかし、茶に口をつけた。意識をスカイラインに向けた。記憶の封印−−慣れている。何 度もそうしてきたからだ。そうしなければならなかったからだ。 スカイラインの窓が開きはじめた。男が顔を出した。煙草を挟んでいた指が震えた。記憶より 額が後退していた。輪郭の大きさの割りに小さな鼻。いつも人を潮笑うように歪んでいる唇。巨 大な頭蓋骨を支える太い首にはマフラーが巻かれていた。封印に成功したはずの記憶が地響きを 立てながらよみがえった。地吹雪に視界を遮られていても間違えようがなかった。 「裕司……」 思わず口走っていた。その声に濱口捗反応した。 「裕司?山口んとこの裕司がい?」 濱口はおれの視線を追った。裕司を認め、甲高い声を発した。 本文 P.3,4,5より | ||
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