書名
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体は全部知っている
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著者
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吉本ばなな
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出版社
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文藝春秋
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定価
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本体 1143円(税別)
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ISBN4−16−319510−6 |
日常になれることで忘れていた、ささやかだけどとても大切な感情・・・・心と体、風景までもが一つになって癒される最新短編集! | |||
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電車の中でうとうとしていたので、半分夢を見ているような感じだった。駅の名 を聞いて、慌てて降りた。ホームは冬のきびしい空気ではりつめた感じがしていた。 マフラーをしっかりと巻きなおして改札を出た。 タクシーに乗って宿に行ってほしい、と告げたら、運転手さんは場所がわからな いと言った。新しい小さな宿だしあまり宣伝もしてないみたいな様子だったのを思 い出し、だいたいの住所で降ろしてもらうことにした。 まわりは畑ばっかりで、遠くになだらかな山が見えた。宿を示す小さな看板を見 つけて、私はその指示にしたがって、細い坂道を登って行った。 寒さにも慣れてきて、きれいな空気を嬉しく思った。次第に目が覚めてきて、う うすらと汗すらかいていたその時、私は前方に知っている誰かの気配を感じた。 家の前の道路にアロエがはみだして困ったね、という話題が出たのは、去年の冬 のことだった。 父も母も私も、妹が三百円で買ってきて庭に植えるところがないからと玄関脇に 植えたアロエのことなど、すっかり忘れていた。雑誌か何かの影響を受けて、アロ エは万能だ!だから飲む、とかにきびに貼る、とかしきりに言っていた妹もすぐ にそのアロエ熟から覚めて、世話すらしなくなった。しかし、水もろくにやらず、 陽当たりもさほどよくなかったのに、アロエは育っていった。育ちすぎて、気づい たら木のようになり、道に大きくはみだし、さらに気色悪い形をした真っ赤な花ま で咲かせていた。 その時のことをよく覚えている。生まれ育った家の小さなテーブルを父と妹と私 は囲んでいた。いつもの夕方がはじまろうとしていた。 私と妹が幼い頃、うちではみんなそこでいろいろなことをした。ごはんを食べた り、けんかをしたり、TVを見たり、妹とお金を出し合ってケーキを買ってきて食 べたりした。デパートの袋に入った母の下着と、今晩のおかずになる干物がいっし よに載りていたりもした。二目酔いの父がそこに突っ伏して寝ていることもあった し、中学生で初めて失恋した妹がワインをあおり、酔っぱらって椅子からずりおち て頭を打ったこともあった。あの小さい四角が家族の象徴だった。生臭く、生ぬる く、柔らかく温かい場所だった。妹は最近嫁に行って家を出ているし、テーブルほ そこにあるが、家族全員がそこに集うことはめったにない。母がそこでTVを見な がら編み物をしていることが多い。風景はそうやって変わっていく。 その夕方父は、あのアロエは育ちすぎた、おとなりさんが駐車場から車を出す時 にゆくゆくは迷惑になるんじゃないか、と言い出した。私と妹は植え替えが面倒臭 くて聞かないふりをした。植え替えないなら、お父さんが引っこ抜いて捨てるよ、 と父は言い、いいんじゃない?と言って私と妹は雑誌など見はじめた。 本文P.9,10より | ||
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