草にすわる
著者
白石一文/著
出版社
光文社
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2003/08
ISBN 4-334-92401-8
 
生きていることを噛みしめられますか。小説の大きな役割に挑む著者の覚醒の物語二編。
 

あーあ。もういやになっちゃったなぁ。なぁんにもいいことなんてないんだから。どんなに我慢して頑張って生きてたって、きっともうどうにもならないんだよね──。あなたは、生きていることを噛みしめられますか?小説の大きな役割に挑む著者の覚醒の物語。「自分が一体何のために生まれ、生きているのか、それを真剣に一緒に考えてくれるのが、本当の小説だと僕は信じています。」(by白石一文)



洪治は、近頃たまに戦場に行った人たちのことを考える。
日本がアメリカやイギリスと戦ったときでも、世界のあちこちでいまも続いている各種の戦争においても、いわゆる兵士たちというのは、ごくわずかな幹部連中を除けば、みんな自分たちがどこにいて何をやらされているかも知れずに、訳も分からぬうちに死んでいったのだろうし、現在も死んでいるのだろう。
中東では自爆攻撃が盛んで、年端もいかない時分から非イスラム世界への憎悪を存分にたたき込まれた若者たちが、爆弾を抱きあるいは車に搭載し、ユダヤ人やアメリカ人の群れの中に突入して死んでいる。そういうちょっと見では本人の意志が一部介在したように映る行為であっても、全体の状況を傭轍する立場で見れば、彼らは単に何者かに操られて死なされたにすぎないし、それは対米戦末期の神風特別攻撃隊員たちにしても似たようなものだったにちがいない。
だから、その当のテロルの被害者や市街地への無差別爆撃の犠牲者がそうであるように、彼らもまた虫けらのように死んだということだ。
人殺しというのは、つまりは虫けらと虫けらとの殺し合いで、それ以外のものというのは滅多にないように洪治は思う。
あれは会社を辞める前年の九八年だったが、ト
ム・ハンクスが主演した『プライベート・ライアン』を当時浅く付き合っていた社の同僚の女性と一緒に劇場で観たときにも、ドイツ軍の防衛線の真っロハ中、ノルマンディの海岸に上陸していく兵士たちが次々に撃たれていく場面を前に、なるほど兵士というのはこのように虫けら同然に死んでいかされたのだろうな、と胸苦しくなった。
が、先日、こんどはビデオショップでジュード・ロウ主演の『スターリングラード』を借りて観てみると、ここでもロウが演ずるヴァシリ・ザイツェフという実在の狙撃手や戦友たちが、廃壇と化したスターリングラードを目指して冬のヴォルガ河を対岸へと渡るところで、メッサーシュミットの機銃掃射を浴びて、虫けらのように殺されていくのだった。
しかもからくも生き延びた羊飼い出身のザイツェフは、鹿撃ちの要領で、今度は数数のドイツ軍将校たちを狙撃しまくって、なんとその功績でソ連邦英雄の称号を手に入れるのだが、撃たれる将校たちというのがまた、まるで虫けらのように死んでいく。
そんなザイツェフも結局は、ソ連共産党に体よく利用される虫けらにすぎないというのが、俳優の演技と映像のみ秀逸なこの映画の唯一のメッセージのようでもあったから、なおさら洪治は、戦場に立たされる人々のことを最近あれこれ思わされるようにもなったのだった。
今朝も十時過ぎになってようやく寝床から起き出した洪治は、すでに誰もいなくなった家で、母が作り置いていってくれた簡単な朝食、今日は梅と昆布の握り飯と肉じゃがに白菜の一夜漬けだったが、を食べ終えて二階の自室に戻り、枝先の蕾が膨らみはじめた庭の梅の木を窓越しに眺めやりながら、戦場に駆り出されていった男たちのことを考えていた。
虫けらのように死んだ、というけれど……。

(本文P.7〜9 より引用)

 
白石 一文 の本
BOOKSルーエ詳細
  見えないドアと鶴の空  詳細 光文社 1,500 2004年2月
  一瞬の光   角川書店 743 2003年8月
  草にすわる  詳細 光文社 1,300 2003年8月
  僕のなかの壊れていない部分  詳細 光文社 1,500 2002年8月
  すぐそばの彼方   角川書店 1,500 2001年6月
  不自由な心   角川書店 1,700 2001年1月
  一瞬の光   角川書店 1,800 2000年1月


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