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 覇王の番人 上
 
真保裕一/著  出版社:講談社 定価(税込):1,785円  
第一刷発行:2008年10月 ISBN:978-4-06-214960-0  
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明智光秀と忍びの小平太は戦国の世を生きる信長の天下統一に随伴する明智光秀と、その光秀に命を預けた、かつ想いを預ける忍びの小平太。二人は各々のの戦世を生き抜く。著者初の時代小説。渾身の大長編。
 

本の要約

時は戦国―。斎藤道三に仕える明智光秀は、城を追われて流浪の時を過ごす。流れ着いた越前に、将軍を目指す足利義秋が逃げ落ちてきた。戦乱の世を嘆く光秀は、幕府を支える細川藤孝とともに、尾張の英傑・織田信長の担ぎ出しへと奔走する。さらには、その信長を親の敵として恨む若い忍び―小平太。天下統一へ向けて、時代が大きく動き出す。

■著者紹介  真保 裕一 (シンポ ユウイチ)       
1961年東京都生まれ。アニメーションディレクターを経て、’91年『連鎖』(講談社文庫)で第37回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。’96年に『ホワイトアウト』(新潮文庫)で吉川英治文学新人賞、’97年には『奪取』(講談社文庫)で日本推理作家協会賞と山本周五郎賞をダブル受賞、’06年『灰色の北壁』(講談社文庫)で新田次郎文学賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


オススメな本 内容抜粋

これはこれは……。足元のお悪い中、山深き末寺にようお越しくださいました。ささ、お上がりく
ださい、お武家様。雨はやんだと見えますが、だいぶお濡れになったことでございましょう。どう
ぞ、お気兼ねなさらず。
なにぶん人里離れておりますゆえ、ろくな持てなしもできませんが、ちょうど麓の村の衆にもらっ
た葛湯がございます。軒に控えておられる従者の方々も、どうぞお呼びくだされ。
ほっほっほっ……。
あなた様のような身形のお若い方が、おつきの者なく一人でこのような山奥に見えられるはずがあ
りましょうか。お手元の太刀に目をやれば、名刀にふさわしき凝った拵えでありながら、まださほど
手に馴染んだようには見えません。となれば、いずれ名のある武門の若君様か、と推し量ったまでに
ございます。
今、足をすすぐ湯を持ってこさせましょう。……おや、やはりおつきの方がおいででしたか。ま
あ、なんと五人様も。
いえいえ、騒がしいどころか、まこと嬉しゅうございます。枯れ木に花と申しますが、かほどのお
客人をお迎えできて、貧しき僧坊が多くの信者に守られた大伽藍にも思えるようでございます。
ささ。どうぞ、奥へ。
時に──。
うちの小坊主が麓で聞きつけましたところ、お武家様はあろうことか、この拙僧をお探しであると
か。俗世と縁を切った年寄の顔を、なにゆえ見たいとお思いになられたのか、タから首をかしげてお
りました。
ほお……。これは懐かしいお名をうかがいました。太閤様の世にはまだ時折人の噂に上っていたよ
うですが、徳川様の世に移られてからは、とんと耳にしなくなったお名でございますな。
明智十兵衛光秀殿。
またの名を、惟任日向守。
天下人であられた織田信長様を本能寺にてお討ち取りになられたお方。織田家中でも先の太閤様と
並び、名将の誉れ高きお一人でしたのに、主君に背かれるとは、よほどの由あってだろう、と言われ
たものでした。
もちろん、世に聞こえしお名は存じあげております。しかしながら、先にも申しましたとおり、俗
世とは縁を切った身にございます。天下を争うお武家様にお目通りのかなう名僧とはほど遠く、御
仏の加護の下どうにか長らえてきた者にすぎません。
いえいえ。拙僧、この山門に参る前は、都から遠き山で汗水流す木こりの小倅でした。信長様も明
智殿も、町衆からその名を聞いたまでのこと。
─はい。確かに、そのような話を耳に挟み、麓の村の衆とたわむれに俗談し合ったことはござい
ます。側隠の情のなせるものと申しましょうか、志半ばに散ってしまわれた名将には必ず、実は生き
長らえていたとの風説が、まことしやかに語られるものです。
源義経公しかり、平将門公しかり。
お武家様が目をお見張りになって、真贋のほどを尋ねて回られるようなものではございません。
─はい、拙僧が耳にしたのも、そのような他愛なき芥の話にすぎません。賠訟F配
ええ……、お話しさせていただきますとも。よろしいでしょうか。
山崎の地で先の太閤様の軍勢にしてやられた明智軍は、総崩れとなって退却を余儀なくされたので
した。陣から退かれた光秀殿は、夜陰に乗じて居城の坂本へ向かわれたところ、小来栖の山中にて、
落ち武者狩りに出た土民に囲まれ、命を落としてしまわれた。そう世には伝わっております。
が、光秀殿のように武門の誉れ高き名将が、いくら敗走の末に取り乱されていようと、たかが土民
に仕留められるなど、あまりにお粗末すぎる仕儀に思えてなりません。
さらには、光秀殿に同道なさっていた重臣、溝尾庄兵衛殿が、主君の御首を竹藪に置いて逃げてし
まわれた、というのも実に解せない話でございます。であるからこそ、他愛なき逸話が生まれたので
ありましょう。
はい、そうなのです。
実は、小来栖の山中にて討ち取られたのは影武者、荒木山城守行信という者にすぎず、光秀殿は
家臣らの手によって命を助けられていた、というのでございます。そうして生まれ故郷に近い美濃は
仲洞という地に逃げ落ち、荒深小五郎と名を変えて身を隠したそうなのです。
しかしながら、やはり光秀殿の御武運は、もはや尽き果てておられたのでしょう。
慶長五年。関ヶ原で東西両軍が睨み合っていると聞き及び、光秀殿は同じ源氏の長たる徳川様に
お味方するため、一族郎党ともに御出陣なされました。ところが、折からの雨で増水した川を渡ろう
としたところ、深みにはまり、馬もろとも流されてしまったのでした。
まことかどうかは、拙僧にはわかりかねます。
ただー。


(本文P. 5〜7より引用)


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