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 木洩れ日に泳ぐ魚
著者
恩田陸/著
出版社
中央公論新社
定価
税込価格 1,470円
第一刷発行
2007/07
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ISBN 978-4-12-003851-8

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明日の朝には別の道へ旅立つ男と女。だからこそ今夜、あの事件の真相を究明しようとする2人……。恩田陸の傑作ミステリー。
 

本の要約

あの旅から、すべてが変わってしまった。一組の男女が迎えた最期の夜明らかにされなければならない、ある男の死の秘密。運命と記憶、愛と葛藤が絡みあう恩田陸の新たな世界。



オススメな本 内容抜粋

たぶんこれは、一枚の写真についての物語なのだろう。
むろん、ある男の死を巡る謎についての物語でもあるし、山の話でもあるはずだ。そして、一
組の男女の別離の話という側面も持っている。
写真といえば、先日も奇妙な体験をした。
待ち合わせの時間潰しに入った書店の店頭で、ある本の表紙になっている写真に目を引き寄せ
られたのだ。
それは有名な写真だった。
野原の中の踏み固められた道を、三人の若い男性が正装で歩いていく。その三人が、こちらを
振り返っているという構図である。
三人は、奇妙な表情でこちらを見ている。
もちろん、彼らは撮影するカメラマンを見ているのだが、歩いているところを斜め後ろから呼
び止められた形で振り向いているためか、まるで写真を見ている僕を注視しているように感じら
れるのだ。
二十世紀の初め、あらゆる階層と職種の市民を記録するという目的で撮られた写真の一枚だが、
この三人の若い農夫のまなざしは、彼らがこの世から消滅した後も時を超え、二十一世紀を迎え
た今の僕を射抜く。そのことに小さな感動を覚えたが、「奇妙だ」と感じたのはそのことではな
くて、この写真を見た瞬間、強烈なデジャ・ビュを感じたことなのだった。
僕は、この表情を見たことがある。この写真と同じように、複数の人間がこんな表情でこんな
ポーズで僕を振り向いていたことがある。そんな確信が身体を強く揺さぶったのだ。
いや、今はこんなことを考えている場合ではないだろう。
目の前のこと、これから交わされる会話について考えなければならない。
これは、一組の男女の別れの話でもあるのだから。
そう言いきれるのは、その男女というのが、僕と今目の前にいる彼女だからだ。
僕たちは今夜、最後の一晩をこの部屋で過ごし、明日はめいめい別の場所へと出て行くことに
なっている。
季節は初夏。窓を開け放っていると、時折いい風が入ってきて快適だ。夜に窓を開けていると、
外と空気が繋がっていて不思議な胸騒ぎのする解放感がある。
荷物はあらかた運び出してしまったので、家の中はがらんとして広い。
今、僕たちは彼女のスーツケースを小さな座卓にして向かい合っている。もう座布団もなくな
っているけれど、畳はひんやりしていて気持ちがいい。
もちろん寝具は運び出してしまったので、今夜は雑魚寝になるだろう。
明日、朝一番でそれぞれの業者がガスと水道、電気を止めに来る。それを見届けたら、僕らは
自分たちの持っている鍵を不動産屋に返し、ドアを開けて外に出て、右と左に分かれて歩き出す
ことだろう。
ここ数日は引っ越しの準備に追われ、ろくに話をするどころではなかった。いつも思うことだ
が、引っ越しというのは最後の一つまで片付けなければならないということをぎりぎりになるま
で忘れている。こぢんまりした2DKというこのささやかなアパートですら、荷物を運び出して
みると、よくもまああんなに沢山のモノが詰め込まれていたものだとあきれてしまう。だから、
この一週間は昼夜を問わず、僕も彼女もそれぞれ自分の荷物を片付けるのに精一杯で、ほとんど
顔も見ていなかった。
しかし、どこかできちんと話をしておかなければならないという認識は二人とも共通していた
ように思う。そうしなければ、この先それぞれの人生を歩いていくことができないだろうという
ことも。
網戸越しに心地好い風が忍び込んでくる。
頬を撫でるような、ほのかに甘い風だ。


(本文P. 3〜5より引用)

 

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