かつら工場の女工から米陸軍将校となり、いまハーバード大学の博士に向かって歩み続けるジンの半生と人生哲学!森山良子氏も絶賛!「感動しました。世界中のみんなに読んで欲しい!」
号令にあわせて、何十人という野戦服に身を包んだ男たちが規律正しく動いてゆく。 一斉に右手を挙げ、敬礼の姿勢をとる。 その中心にいるのは、四十代の女性、それもアジア系の女性、つまり私だ。 私は、一九九三年一月、在日米陸軍司令部の政治軍事担当兼自衛隊を担当する連絡将校になった。 女性では初めての連絡将校だった。 私と初めて接する日本の自衛官たちは、皆驚きを隠さない。 女性であること、そして、それがアジアの女性であること。 彼らは最初、戸惑いながら私に言葉をかけてくるが、私の日本語を聞き、仕事ぶりを見て安心するのだろう、ほどなく信頼し、場合によっては尊敬の念を持って接してくれるようになった。 米軍に一等兵として入隊して一六年、私は、少佐の地位についていた。 おそらく、アジア系の女性としては初めての地位だと思われる。 私がたった百ドルを握りしめ、「メイド募集」に応じて祖国韓国からアメリカに移り渡ったのは、一九七一年、二十二歳のときのことだった。 渡った翌年には、レストランで働きながら、バルーク大学に入学した。 その後、いくつかの大学を渡り歩きながら、結婚、出産を経験。 そして、夫婦仲が悪化した七六年、米陸軍に入隊する。 それは、夫の暴力から逃れるための一つの手段でもあった。 軍隊は、想像していた以上に厳しい世界だった。言葉の壁が厳然とあったし、号令を聞き間違えて、罰を与えられることもあった。 肉体的な苦痛も半端なものではない。 不当にも感じられる上官からの叱責もあった。 私は、そのたびに、逃げだそうとする自分と闘った。 韓国を飛び出るとき「売春婦にされてしまうんじゃないの」と言った人々を見返してやりたいという気持ち、そして差別の中で希望をなくした人たちの味方になりたいという初心を思いだし、踏ゑとどまった。 立ち上がって、希望に向かって歩き続けた。 ただひたすら前を向いて、笑顔を浮かべながら。 幸いなことに、軍隊には、人種や性別、年齢による差別がなかった。 優秀な人にはちゃんとそれに見合った待遇が用意されるのだ。 結局私は、最優秀訓練兵として二ヵ月間の訓練を終えることができた。 それは信じられない栄光であると同時に、私の大きな自信となった。 私は、米軍の中で、思いっきり力を発揮してやろう、と自分に誓った。 いったん実力が認められると、私は、自分の価値を見直した。 その後、昇進を繰り返し、何回か表彰もされたが、それだけでは満足できなかった。貧しく、何も持たない人間であっても、チャレンジさえすれば成功を収められる可能性がある、それをきっちりと証明したかった。 差別をする人に対して、そして権威主義に染まった人に対して。 私は、将校になることをめざした。 一九八○年秋、私は、幹部候補生学校に入る。 落下傘訓練とレンジャーで知られる学校だ。 性別、人種を問わず、十四週間にわたって厳しい訓練が行われた。 肉体的、精神的なプレッシャーで、途中放棄する候補生も少なくない。 私は、これは自分のためではない、弱い立場の人を助けるためなのだ、と自分に言い聞かせ、ムチ打った。 そうでもしないと、訓練には耐えられなかったのである。 八一年春、私はアメリ力陸軍少尉となった。 そして、その十二年後、少佐となった。
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