ボブ・サップ、橋本真也、K-1、PRIDE、桜庭和志、WWE、力道山、グレイシー一族、マンモス鈴木、タイガーマスク、前田日明、冬木弘道、SWS、ジャイアント馬場、アントニオ猪木・・・ありとあらゆるプロレスに関する空想・奇想・夢・現実を大胆にも語り尽くした紙プロ本!!
これがなんの本なのか、よくわからないままに対談を始めてしまった。 いまもってよくわからない。 そもそも対談相手の柳沢忠之とは何者か?考えてみれば、何者なのかもよくわからない。 よく知らない。 彼とは、10年ちょっと前にボクがやり始めた『紙のプロレス』という雑誌を一時期一緒にやっていただけであり、いま現在は、別々の会社をやっていて、プロレス・格闘技業界にお互いなんとなく籍を置きながらも、仕事で密接な関係を保っているというわけでもない。 そんなふた"が今回、ぴあの"孤高の天災?"大澤さんと、旧知の仲でもある八木賢太郎君の手引きで、対談を本にするなんていう仰々しいことをさせられる羽目になった。 ボクらは、面と向かって目一杯ぶつかりあいながら対談しているというよりは、お互いの目線は違う方向を見ながら、背中合わせで話してる。 でも、ときどき目と目が合って「いまなんか、同じこと考えてたりしなかった?」という感じだったような気がする。 ある人が「あんなに違うふたりが出会って、一時期一緒に仕事をしてたっていうのが、うらやましい」と言っていたそうだが、ボクらはもともと、まったく考え方も成り立ちも違う。 ただいつも、瞬間的に「お互い孤独ですなあ」と、共感ともまた違う確認作業をしていただけのような気もする。 まったく違うふたりの接着剤は「プロレス」と「格闘技」だったのだが、ボクはこれまでに柳沢忠之という人間と、プロレス・格闘技を題材に"遊んで"きただけだ。 この対談を読み返してみても、徹頭徹尾、プロレス・格闘技で遊んでいるようにしか見えない。 この本は、ボクからしたら、大のオトナふたりが、プロレス・格闘技で、ただただ遊んでいるだけである。 なぜかバスローブ姿(ズボンまで脱いでいた)の大澤さんにホテルの一室に軟禁されて、朱入れをしながら読み返したときは、「ソリチュード」「螺旋(らせん)」などという、一見小難しいキーワードを語っていたりするので、自分で「おまえらが語るな!」と突っ込みたくなるくらいこっ恥ずかしかった。でも、対談全体を通してみると出てくる矛盾も含めて、「本の恥は書き捨て」ということで見過ごすしかない。 これは、"このときのオレ"が語っているものであり、明日になったら違うことを考えてるかもしれないし、実際に考えているだろう。 人間とは変わっていくもの、REBORNするもの、変化するもの、君子豹変する生き物だからだ。 その生き物がリングの上で闘い、エンターテインメントとして表現していくプロレスや格闘技ってなんだろう、ということを遠回りしながら考えて、遊んでみたのがこの対談ということになる。 要するに、紙でプロレスしたわけだ。 この本をつくりはじめたときと、ボクの立ち位置も微妙に変わっているし、柳沢忠之の立ち位置も微妙に変わってきている。 眉囲の状況も変わってないようで激変したりしている。世の中の流れって早いなあ。 ただ、人間は変わっていくものという前提の中で、変わらないもの、あるいは変えてはいけないものが、そこはかとなくこの対談の中に埋め込まれていて、それを読みとっていただけたりなんかすれば、ズバリ言 ってボカァ幸せである。 ね、ぴあの大澤さん?
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