GMO 上
著者
服部真澄/著
出版社
新潮社
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2003/07
ISBN 4-10-461601-X
 
「沈黙の春」の次に、人類は恐るべき事態に直面する―。南米ボリヴィアで暗躍する巨大企業とアメリカの謀略。遺伝子組換作物の未来を問う衝撃の問題作!
 

除草剤でも枯れないコーンや大豆。カレイの遺伝子を持つジャガイモ。しかし、それはほんの「序曲」に過ぎなかった―。“神の手”を自在に操る巨大企業とワインビジネスの闇、優雅なるセレブたちの光と翳、北米アナポリスの放火殺人と南米ボリヴィアの奥地。すべての仄かな点と線が結びついた時、醜悪なる「真実」が現れる。

あなたは、間違いなく立ちすくんでしまうでしょう。    
( 新潮社 担当編集者コメント )
除草剤でも枯れないコーンや大豆。カレイの遺伝子を組み込んだジャガイモ――。今まで、自然界に存在しなかった遺伝子組み換え作物(GMO)の誕生。あなたも、スーパーで買い物をするときに、漠然とした不安を感じているかもしれません。しかし、それはほんの「序曲」にすぎないのです。人類が直面しようとしている新たな危機とは何か。「食物支配」の恐怖とは、超大国の野望とは……。本書は、北米の古都アナポリスで発生した一家4人放火殺人事件を発端に、あなたを未曾有の世界へご案内するエンターテインメント巨編です。NYマンハッタン、セレブたちの集うワインパーティ、消えた科学ジャーナリスト、死んだ義手の少年、マイアミの銃声、そして南米ボリヴィアの奥地……。すべての仄かな点と線がつながったとき、あなたは、間違いなく立ちすくんでしまうでしょう。養老孟司氏、浅井信雄氏、江田憲司氏らも、絶賛! 予測不能のストーリー、舌を巻くスケール、驚愕の連続に、ページをめくる手が止まらないと評判です!


1

ぼくは、気がつくと、ある日のことを始終、考えている。
ワインが焼けて、アダムが死んだ日のことだ。
アダムとは、ときどき朝食をともにすることにしていた。
仲間というよりも悪友に近い仲で、顔を合わせてもたいした話があるわけではない。
お互いのプライヴァシーに踏み込んだこともなかった。
自分の得意とする分野の情報を交換する程度だ。アダムはボートを上手にあやつり、町のことをよく知っていた。
居心地のいい隠れ家のようなフィンの店を教えてくれたのは、土地っ子のアダムだ。
いつも、ぼくが勘定を持つ。
たかが朝食にすぎないが、当然のことだ。
年長者の体面である。
約束の時間に、二十分近く遅れていた。
ひどい朝だった。
車を降りて歩き出すと、耳の端を、風が捻って通り過ぎた。
空は、わずかに臼みかけていたが、大陽のありかが鷹で、街燈がまだついている。
一晩じゅう荒れた風はおさまりきらず、重い梢がうねり、泣きだしそうな朝の空にざわめいていた。
フィンの食堂のちっぽけなコテージは、夜嵐に持ちこたえて、川べりにへばりついている。
扉を開けると、追いかけてきた風がひと筋、店に吹き込んで、板張りの床をさらった。
時計の下の磨かれたカウンターで、年寄りが、古いポータブルテレビをみながら、フィンと話している。
ホバークラフトやボートを扱う連中が集まるには半端な時間なのか、風がひどかったせいか、客はそれだけだった。
ごつい手でマグ・カップを拭いていたフィンが、こちらに視線を走らせて、ちょっと驚いた表情になった。
朝の挨拶を聞こえるようにいって、ぼくは川が見渡せるオークのテーブルについた。風が窓ガラスを打ち、震わせている。
川辺に自然にできたながい砂州に、ボートが数艦かたまって、じつとやり過ごしているのが見えた。
このぼくも、つかのま、身をよせている。入江の続くチェサピークの内湾に面した、この小さな町に。
湾部が街中まで入り込んでいるアナポリスでは、水脈が奥へ奥へと岐れ、おびただしい水路になる。
海という響きの持つ力が、続きになって街の水辺に漂う。
人の手の入らない川のほとり。
時代ものの橋。カモメやミサゴが我がもの顔で水と生きている。
アメリカ合衆国の最初の首都だったというけれど、現実とは思えなかった。
わずか十か月にせよ、この町が大国の要であった時期があるなんて。
指折りの商港を背景に開けた土地であるわりに、町なかの水路には、小ぶりの船たちしかいない。
港が浅く、大型船が入って来られなかったおかげで、小さな町のままなのだ。
歩みののろい時間の流れと同じように、潮の満ち干も緩慢で、水際ぎりぎりに家が建ち、水面に突き出した棒きれのような杭に、ボートが繋がれている。
桟橋が至るところにあり、何隻もの船が現れては消える。
町にいると、ここに立ち寄った船たちと同じように、無限の行き先があり、停泊を続けることも、いつか出航することも自在なのだという錯覚を持つ。
そのくせ、帆をあげる気にならない。
すっぽり水都にくるまれ、船ばかりを見て、もう何年もが過ぎた。四十になった頃、ぼくは、自分が少年の頃思い描いていたような、ひそかに撰ばれた者ではないことに気づきはじめた。
それから数年が過ぎたいまでは、結局、出来損ないの男じゃないかとさえ、疑い始めている。
諦めも疑いも歳月も、水が縦横にたやすく流し去っていく。だから、たぶらかされる。逃げ出してきた者でさえ、夢のしっぽのようなものを眺め、ぬくぬくと、柔らかい画のなかに甘んじていられる。
旅立った船は、遥かな国でいまを生きる人間たちの宿命を、刻々と変えてゆくのだろう。
が、ぼくはそんな場所には立てない気がしてきていた。
アダムは、まだ来ていなかった。落ち合う約束とはいっても、都合で彼が来ないことはよくあった。
そんなときは、一人で朝飯を食い、一人ぶんの勘定を払うだけのことだ。が、少し気落ちした。
ワシントンから引きずってきた苛立ちや焦りを、アダムとの時間が和らげてくれるはずだったという、身勝手な理由からだ。光のように若く、タフで熱心なアダムの顔を、一週間ぶりに見たかった。
フィンが、年寄りになにかいった。年寄りは振り返って、ぼくのほうを見た。眉を上げて、ひとこといいたげに口を開きかけたが、白髪の頭をもとに戻し、再びテレピに見入った。
フィンがつと寄ってきて、テーブルのそばに立つ。
コーヒーのたっぷり入ったポットと、大きなマグを持っている。
「ひどいことになったもんだね」
同情ぶくみの口調に、ぼくは戸惑った。

(本文P.5〜7 より引用)


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