| #1葡萄牙
私を衝き動かしてきた、私の生きる原動力となってきたものを、今となっては正直に告自しなければなりますまい。
それは神、つまりは天主への憎しみ。
この世界を創造し、摂理を生み出した全能の天主なるものが事実存在するならば、私はそのものに復讐を企てる為だけに心血を注いできたのです。
葡萄牙という異国で私は生まれました。
葡萄牙は天文十八年、イエズス会のフランシスコ・ザビエルという一人の宣教師を薩摩に乗り込ませ、基督教の教えを最初に日本に伝えたとされる国です。が、この日本にはもっと古くから基督教は伝来していました。
遡れば応神天皇の頃、猶太から大量の猶太人達が、原始基督教の教えを慣習と共に携え、この国にやってきています。
彼らは技能集団であり、その建築や織物に関する技術は朝廷からも高い評価を得ました。
彼らはやがて「秦」という氏を与えられ、そのままこの国の民として同化していったのです。
秦氏は自分達の持つ優れた技術だけをこの国に根付かせたのではありません。
当然、自分達の信仰もまた、定着させようとしました。
その頃、この国は信仰に対し、非常に寛大、というより無関心でした。
ですから、秦氏が巧みに、既に神道や仏教が主流となったこの国に自分らが拠り所にする原始基督教の真髄をこっそり滑り込ませるのは簡単な作業だったのです。
京には蚕の杜という神杜があります。
秦氏はそこに三位一体を意味する三本柱の奇妙な鳥居を作りました。
広隆寺の弥勒菩薩を製作した際には、姿形は菩薩ながら、それに基督としての意味を与える細工を施しました。
が、元来、信仰を軽んじてきた日本の国の人々は、それらの秦氏の行為に全く頓着しなかったのです。
秦氏は己らの信仰を、神道や仏教を駆逐してまで流布させようとはしませんでした。
彼らの遣り方は実に賢明でした。
故に彼らは歴史の中で何の軋礫も起こさず、この国の人々と共存することが出来たのです。
ザビエルをこの国に送り込んだ葡萄牙は、そのようにしてこの国に基督教の基盤があることを承知していました。
ぞんざいとはいえ神道、仏教による宗教的秩序が確立された国に、価値観の違う新たなる宗教を正面から持ち込むのは、かなり勇気のいる行為です。
秦氏のようにさり気なく、風土、慣習、制度に迎合しながら自分達の神を挿入していく方が、流布の方法としては邊かに効果的であり安全です。
しかし葡萄牙は、その方法を採らず、宗教戦争が起こる危険も踏まえながら、敢えて、ザピエルに信仰するべきは貴方達のまだ知らぬ自分達の神であると説かせたのです。
何故に葡萄牙はそのような暴挙に出たか。
そこには葡萄牙国王と、その後ろで糸をひく羅馬教皇の野望が存在したのです。
葡萄牙国王は東洋を手中に収めることを計画していました。
その為には秦氏がこの国にやってきた時のように新しい技能や知識を持って渡来するだけでは意味がなかったのです。圧倒的に優位な物資や教養を持ち込むだけでは、小さな貿易国が一つ出来るに過ぎない。
それと共にそれらの文化が成立するに至った宗教、精神をも押し付けなければ、国は掌握出来ぬ。
それが葡萄牙国王の考えでした。
ザビエルがどれだけ、国王の政治的意図を知っていたかは解りません。
ザビエルは聖職者として純粋に伝道だけを目的に熱心な布教をし続けたのかも知れません。
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