マリコの食卓
著者
林真理子/著
出版社
ぺんぎん書房
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2003/06
ISBN 4-901978-05-5
 
黄身がこんもり盛り上がる地玉子に、砂糖をいっぱい入れて焼き上げたらどんなにおいしかろう。(「玉子焼き」より)
 

天ぷらの恨み、ダイエットのデメリット、食のTPO、思いっきり香港、焼き肉の真実、商店街の幸福、ご褒美ディナー、スープを煮る、私のグルメ日記・・・。読めば読むほどおなかがすく、マリコの食べ物エッセイ決定版!


第一章 いつものごはん(春 夏 秋 冬)
第二章 たび(国内旅行 国外旅行)
第三章 こうぶつ(焼肉 フグ 鮨 おやつ) 
第四章 たのしみ(およばれ おもてなし)
第五章 おさけ(ワイン)
第六章 くらし(私のグルメ日記 ほか)



春のランチ

いよいよ“春ーッ”という感じである。
お菓子屋さんのウインドウに、苺のケーキが目立つようになった。
花屋さんに三色スミレが売られるようになった。
気がきく秘書のハタケヤマが、玄関の棚にお雛さまをちまちま並べてくれた。
どれもいただいたり、買ったりした小さなお雛さまである。
一刀彫りの古典的なものがあるかと思うと、今年いただいたガラス細工の珍しいお雛さまもある。
中でも私が気に入っているのは、五年前に由布院温泉で買った五段飾りの豆雛だ。
確か七万円ぐらいの値段で、かなり高いかなと思ったのを憶えているが、こうして飾ってみるととても可愛い。
弓や矢の持ち物も凝っているし、何よりもお雛さまがとてもいいお顔をしている。
窓から射し込む光も明るくて、先週のものとはまるで違う。
今年の冬は長くつらかった。気象庁の人はどう言うか知らないが、ことさら寒く感じるようになったのは、私が年増になったせいであろう。
寝る時もエアコンをつけっばなしにしていたら、たちまち肌がバリバリと乾いてきた。
朝起きると、面白くなるぐらい目の下がカサカサになり、皺が発生している。
次の日から、加湿器を寝室に置いたり、クリームをたっぷり塗って寝るようにしたのだがやっばり駄目だ。
そういえばミカンをエアコンの下に置いておいたところ、すぐにしなびてしまったなあ、などとつまらぬことを思い出す。
人間の皮膚などというのは、ミカンの皮と大差ないのだとしみじみわかる。
さて、春なのだから昼ごはんは外に食べに出かけたい。
居職で自由業の私にとって、お昼ごはんに何を食べるかというのは重要な問題である。
が、これに関して私はあまり恵まれていない。
たいていの場合、ハタケヤマが買ってきてくれた不味いお弁当か、出前のうどんかソバを食べることになる。
私は食事に関してはこまめな方なので、冷蔵庫の中にあるものを使い、さっとチャーハンやスパゲティをつくってもよいのであるが、ハタケヤマや週に何回か来てくれるパートの家政婦さんの手前はばかられる。
後片づけをしなくてはならないため、あまりいい顔をされないのだ。
何よりも私ひとりだけ違うものを食べるわけにもいかず、みんな揃っていつも不味いものを食べる。
テレビをつけながら黙々と食べる。
こんな私の唯一の楽しみは、月曜日か火曜日に原稿を取りに来るテツオ氏の来訪だ。
最近はほとんどすべての原稿がファクシミリでやりとりされるが、その連載はイラストも私が描いているため、編集者が取りに来る。
彼とは長いつき合いで遠慮なくものを言える仲だ。
その彼がよくお昼をご馳走してくれるのである。
近くの日本料理屋のランチは、高いけれどすごくおいしい。
そうでなかったら青山のイタリアンレストランで、前菜とパスタを食べたりする。
私がおごる場合は、近くの安いレストランだ。
ともかく、日に日に春めいてくる表参道を、ランチのために歩く行為というのはそれだけで楽しい。
帰りにコーヒーを飲んだりすると、あっという間に二時間は過ぎてしまう。
が、彼とて毎週やってくるわけではない。
私の原稿が遅くなる場合、アルバイトの人が後日取りに来ることになる。
おいしいランチも当然なくなる。
私は残念でたまらない。
出前で伸びたソバを食べながら考える。
この原宿はよく探してみる
と結構おいしいところが何軒もある。
トンコツラーメンや、スパゲティ専門店、中華料理屋さん、と評価の高いB級グルメ店が多いところだ。
私はああしたところに、ひょいと出かけたいのであるが、ハタケヤマは外に行くことを好まない。
どんなに味が悪くても、うちでゆっくり食べる方を選ぶ。
そうかといって、私もひとりでラーメン屋に座ることには抵抗がある方だ。
休日の午後、私は夫に頼んだ。
「ねえ、一緒にトンコツラーメンを食べに行ってくれない」
「いやだよー」
ケッという感じで夫は言う。
ちなみに彼は醤油ラーメン以外は受け付けない体質である。
「自分ひとりで行ってくりゃいいじゃないか」
「それが出来れば頼まないわよ。私にだって世間のイメージちゅうものがあるんだから、ひとりでトンコツラーメンのカウンターに座れないわよ」
夫は心底驚いたように言ったものだ。
「君、何か勘違いしていないか。君がカウンターに座って、トンコツラーメンの大盛りを頼もうが、ギョーザを二人前追加しようと、意外に思う人なんて誰ひとりいやしないよ。世間は君のこと、そういう人だと思ってるよ。だいいち、表参道で君のこと注意して見てる人なんか、誰もいやしないってば」

(本文P.8〜11 より引用)


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