旅路のはてまで男と女
著者
林真理子/著
出版社
文芸春秋
定価
本体価格 1190円+税
第一刷発行
2003/03
ISBN 4-16-359430-2
マリコが考察する「別れぬ関係」の謎。特に高価でも、大切なわけでもないのに、身の回りからずーっと消えないモノがある。案外、男と女もそういうもの?好評シリーズ。

[目次]
バツイチの夢(秋の酒;休暇 ほか);旅路のはてまで(バーゲンのセーター;「指環」の事情 ほか);ハズバンドのお仕事(有名人;ワインと旧友 ほか);美女空間(めんどうくさい;若いコったら… ほか)

三十年前に買った安物なのに、引っ越しを重ねても消えずに食器棚に残っている丼。いつのまにか片方だけになってしまうソックスの中で、いつまでも揃っているチェックの靴下。高価なわけでも、ことさら大切にしているわけでもないのに、身の回りでずーっと消えないものがある。案外男と女も、こういうものなのかも……? 林真理子さんの「週刊文春」の好評連載シリーズは十七冊めになりました。新年からはしばらく「今夜も思い出し笑い」はお休みで、待望の長編小説の連載が始まります。お楽しみに!

 

秋の酒

私は最近会う人ごとに言われる。
「ハヤシさんが、こんなに意志の固い人だと思わなかった」
ダイエットが続いていることを指しているのだ。
こういう人は、昔から私が何回となく挫折しているのを見ている。
ちょっと痩せたと思ったら、みるみるうちにリバウンドして前よりも太った姿を記憶している人たちである。
我ながらよくやっていると思う。
このあいだはちょっと気をゆるめたら、あっという間に三キロ太ってしまった。
が、その後気を引き締めて頑張り、二・六キロ痩せた。
なにしろ太っていた頃の服を、すべて人にあげてしまったので、ちょっと肉がつくともう着るものがなくなる状態をつくったのである。
この二年間というもの、ほとんどお米とお酒を口にしていない。
ご飯はなんとかなるにしても、二度めのつらい季節がやってきた。
そう、お酒がぐっとおいしくなる秋になったというのに、一滴も口に出来ないのである。
私はワインも好きだが、日本酒にも目がない。
日本の秋の味覚にぴったりくるものは、やはり日本のお酒だなあと、つくづく思う時がやってきたというのに……。
このあいだあるお店で、マツタケの天ぷらを出してくれた。
スダチをかけていただくのだが、そのおいしいことといったらない。
「これって国産のもの?」
と聞いたところ、
「うちの店で国産は使えません。これは北朝鮮のものです」
という答えが返ってきた。
「でも香りがよくていいでしょう。天ぷらだったら充分にいけますよね」
本当。
しかもこのマツタケは歯ざわりもよく、実においしかった。
冷酒をきゅっとやりたいところであるが、私はずっとウーロン茶で我慢した。
このところ、何を食べても、どこへ行っても、ウーロン茶以外口にしない私である。
呑んべえのうちの夫は言う。
「キミみたいなのが混ざると、本当にイヤなんだよな」
テーブルのアルコールが進むうちに、みんなのテンションが上がっていく。
声も態度もデカくなる。そういう時に最後まで冷静な人間がいて、じっとこちらを見ている。
「もうそれくらいにしたら」
「そろそろお勘定にしてもらいましょう。えーと、割りカンで幾らかなあ」
などと言い出すので、本当にシラケるというのである。
そういえばお酒を飲まないばかりに、なんとなく、皆のノリについていけないなあと思う時が多々あった。
「この男、こんなにだらしなかったっけ」
と長年の友人をじと一っという目で見ていたことも否めない。
これもすべてウーロン茶のせいである。
「だからさ、ハヤシさん、今度は僕のやり方でやってみようよ」
と熱心に言うのは、ダイエット仲間の三枝成彰さんである。
昔からこのテのことに研究熱心な三枝さんは、いろんな薬や痩身法を教えてくれた。
今のダイエットの先生を紹介してくれたのも三枝さんだし、三年前には怪し気な漢方薬をプレゼントしてくれた。
「あっという間に五キロ痩せる」
ということだったが、二十分おきにトイレヘ駆け込むという強烈なものですぐにやめた。
この三枝さんが、最近凝っていて「究極」と断言するのは、お医者さんのところで処方してもらうアメリカ製の最新の薬だという。
なんでも大脳を刺激して、食欲を失くすんだそうだ。
「三カ月たったらやめなきゃいけないぐらいのすごく効く薬だよ」
だけどこれって、ちょっと怖い気がするけど……。
「いいんだよ。僕はつき合い上、お酒をどうしてもやめられない。ハヤシさんと同じ方法をやると、お酒は一滴もダメでしょう。だからこっちの薬の方をとるよ」ときっぱり。
私は大脳を刺激したのがきっかけで、もっと悪くなったらどうしようかと考える。
それで一緒に病院へ行こう、という三枝さんの誘いにのれないのであるが、お酒を飲めるのは魅力かなあとちょっと心が動く。
そんな時、よりにもよって「ワインの会」の日となった。
この会は食事会の際、これぞと思うワインを一本ずつ持参し、みんなで楽しもうという趣旨のもとに始めたものである。
「私、今回もウーロン茶飲んどくわ」
と言ったところ、そんなことダメ、と皆から叱られた。
その日、中華料理店の個室に持ってきたワインが並べられた。
オーストラリアやアメリカ、イタリアの珍しいものがある。
みんな中華料理ということで、スパイシーな味や味噌に合うものを工夫したのだ。それなのにペトリュスを二本持ってきた人がいた。
おーっというどよめきが起こる。
「中華にペトリュスはもったいないよ。次にしようよ」

(本文P.10〜13より引用)

 
 


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