プレイ 獲物 上
著者
マイクル・クライトン/著 酒井昭伸/訳
出版社
早川書房
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2003/04
ISBN 4-15-208486-3
ナノテク版 「ジェラッシク・パーク」登場!テクノロジーの暴走に警鐘を鳴らし続ける巨匠が放つ未曾有の八イテク・パニック・サスペンス。全米で200万部のブロックバスターを記録し、20世紀フォックス映画化も決定した超話題作。

失業中のコンピュータ・プログラマーのジャック・フォアマンは、ナノテク(超微細技術)開発に携わる八イテク企業、ザイモス社に勤める妻ジュリアの様子がおかしいことに気づく。まるで別人になったかのように、性格、振る舞いが一変しているのだ。さらに、末娘に原因不明の発疹が現われたり、不審な人影が俳個するなど不可解な出来事が相次ぐ。おりからザイモスでは、想像を絶する異常事態が起きていた。ネヴァダ州の砂漠に建設された製造プラントから、偵察用力メラとして開発された分子機械(ナノマシン)が流出し、制御不能に陥ってしまったのだ。ナノマシンには生物の〈捕食者一被食者〉の関係がプログラムされており、以前勤めていた会社でこのプログラムの開発にあたったジャックは、事態収拾のためにプラントヘと赴く。しかし、ザイモス社独自の技術により開発されたナノマシンはウイルスのように自己増殖を始め、予想をはるかに超えるスピードで進化を遂げていた。野性化したナノマシンは、獲物を狙う捕食動物のようにスウォーム(群れ)となって人間への攻撃を開始した!暴走したマシンを破壊する手だてはあるのか?はたして人類は生き残れるのか!?

はじめに

十一世紀の人工進化身のまわりの世界はたえず進化している。
この考えは、ごく一般的なものではあるが、われわれはふだん、その意味をきちんと把握しているとはいいがたい。
たとえば、伝染病の病原体は、広まるにつれてその性質を変化させていく。
これは一般の通念とは異なる事実だ。
また、動植物における進化は、数日から数週間の単位で進む。
これも一般通念とは異なる事実だ。
周囲のありふれた植物の世界でも、このように通念とは異なる変化の例はごくあたりまえに見られる。
そこらの植物の表面において、いつ果てるともしれたい高度な化学戦がくりひろげられているなどとは、ふつうはだれも思わない。
だが、植物は昆虫の絶えざる攻撃に対して殺虫成分を分泌し、昆虫は昆虫でその成分に対する抵抗力を新たに身につけつづけている。
それが現実なのである。
自然の真の性質を理解するためにはーそもそも、人間に進化のほんとうの意味を理解できるならばだが生きているすべての植物、昆虫、動物が、生きている他の植物、昆虫、動物との相互作用を通し、刻一刻と変化している世界をイメージする必要があるだろう。
種の個体数はつねに増減をくりかえし、つねに変動している。
潮の満ち干のようにゆるぎなく抗いがたいこの変化、この絶えざる永続的な変化は、必然的に、すべての人間の行動が、世界に対し、不確実な影響をもたらすことを意味する。
われわれが生物圏と呼ぶ包括的なシステムは複雑きわまりない。
それだけに、みずからの行動の結果を事前に見通すことは、人間にはとうてい不可能だ。
過去において、本来ならば先見性に富むはずの試みが何度も望ましくない結果を迎えてきた理由も、じつはそこにある。
ヒトがその試みをきちんと理解していなかった場合は当然として、そうでない場合、そのような失敗は、絶えず変化する世界の側が、人間の行動に対して予期せざる反応を返したということにほかならない。
この見地に立てば、環境保護の歴史も、環境汚染の歴史とおなじくらい罪作りなものに見えてくるだろう。
たとえば、森林皆伐という産業政策は、防火上の伐採という環境政策よりも自然に与えるダメージが大きいと考える者がいる。
このような見解は、どちらの政策も確固たる信念のもとに実行されたものであり、どちらの政策も手つかずの原生林に回復不能なダメージを与えるという事実を無視したものだ。
じっさいには、双方の政策ともに、人類が環境と相対するさいに特徴的に見られる根深い自己中心性の、格好の見本でしかないというのに。
ことほどさように、ヒトの行動に対する生物圏の反応は予期しがたい。
だからといって、なにもするなというわけではないが、すくなくとも、みずからが信じるもののすべて、みずからがとる行動のすべてについて、慎重な態度で臨むべきだという、強力た理由にはなる。
残念なことに、人類の歴史をふりかえれば、あきれるほど慎重さを欠く行動の事例にはことかかない。
未来においてもその轍を踏むことがないとは、だれにもいえないだろう。
われわれは、自分のしていることはちゃんと心得ていると考えがちだ。ヒトはつねにそう考えてきた。
ヒトというのは、自分が過去にあやまちを犯したことを認めようとはせず、未来にもあやまちを犯すかもしれないとは考えたがらない。
新しい世代はつねに、過去の世代のあやまちを、未熟な精神
のもたらした愚かな思考の結果だと見なす。
そして、はなはだ自信に満ちた態度で、みずからも新たなあやまちをしでかしてしまう。
人類は、地球上で自意識を持っていると主張しうる三つの種のうちのひとつだが、ヒトという種を特徴づけるのは、むしろ自意識よりも自己欺隔のほうかもしれない。
おそらく、二十一世紀中のいつか、自己欺隔に満ちたヒトの無謀さは、発達しゆく技術力と衝突するだろう。
その衝突は、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、コンピュータ・テクノロジー、こ
の三分野において起こると思われる。
そこには、自己複製する存在を環境中に解き放ちうるという共通点があるからだ。
ここ何年かのうちに、人類の暮らしには、そういった自己複製する存在の一番手が定着した。コンピュータ・ウイルスである。さらに、バイオテクノロジーにおいても、いろいろな問題が現実のもの
となりつつある。最近の報告によれば、メキシコに自生するトゥモロコシのなかには、遺伝子操作作物法で禁じられ、操作された遺伝子の混入を防ぐさまざまな努力がなされているにもかかわらず、人為的に改変された遺伝子を持つ個体が出現しはじめているという。
このできごとは、ヒトがみずからの技術をコソトロールする長く困難な旅の、おそらくは目取初の試練にすぎない。
バイオテクノロジーが絶対に安全であるとする長年の思いこみは─この見方は、一九七〇年代からこちら、大多数の生物学者が喧伝してきたものだが着実に崩れつつある。

(本文P.5〜7より引用)

 
 


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.