贄門島 下
著者
内田康夫/著
出版社
文芸春秋
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2003/03
ISBN 4-16-321480-1
房総の海に浮かぶ美瀬島には「贄送り」の風習がある? 謎に挑む浅見光彦に忍び寄る危機と驚くべき真相とは! 傑作長篇ミステリー

失踪、殺人、不審船――次第にこの地の暗部に触れていく浅見の身にも底知れぬ闇が迫り、やがて「生けにえの島」で、第二、第三の事件が……。

 

 

二十一年前に父が聞いたという「死に神の声」の正体を探りに、南房総の小島を訪れた浅見光彦。豊饒の海に囲まれたのどかな島に、実は「生贄送り」の風習があると知ります。失踪、殺人、不審船――次第にこの地の暗部に触れていく浅見の身にも底知れぬ闇が迫り、やがて「生けにえの島」で、第二、第三の事件が……。
 悪夢の島か、地上の楽園か。歴史、伝奇、国際問題、そして人間の業。「週刊文春」誌上で百万読者を魅了した内田ミステリーの決定版、いよいよ上下巻一挙刊行です!

 

第八章 石橋山望郷

一時間をはるかにオーバーする会談を終えて、二人の捜査官は引き上げて行った。長南警部が団子代を払うと言うと、平塚亭のおばさんは「坊っちゃんのお客さまからはいただけません」と固辞した。
後で浅見が払うつもりでいるからそれはいいのだが「坊っちゃん」には辞易する。
三十男がいまどき「坊っちゃん」かよと言いたそうに、二人の客は顔を見合わせていた。
結論として、長南警部はとりあえず神奈川県内の小型船舶に当たる方針を、捜査本部に持ち帰ることになった。
浅見としては捜査対象の中に美瀬島を加えてみたらどうかと提案したいと
ころだったが、そこまで差し出がましくはできない。
それに、森地部長刑事が言ったとおり、移動にかかる時間等を考慮すれば、やはり犯行は神奈川県内に絞るのが常識的な判断といっていい。
対象となる船舶についても、柿島一道が美瀬島沖で見たという「不審船」が頭に浮かんだのだが、それも言わないままになった。美瀬島の沖合と違って、相模湾内は夜間でも漁船やイカ釣りなどの遊漁船が出漁している可能性がある。一見して「不審」な印象を与えるような船は接近しないだろう。小田原署と大原署の捜査本部が抱えている事件はそれぞれ独自のものだ。その上に館山署では石橋洋子の失腺事件を捜索中である。
浅見には三つの「事件」の根っこがどこか地中の見えないところで絡まっているという、ほとんど確信に近いものがあるのだが、警察を相手に開陳するところまでは、まだ固まっていない。
少なくとも地上に現れた部分では、いまのところ繋がりのある証拠はない。
繋がりは単に漠然とした「美瀬島繋がり」にすぎない。
長南警部から電話で「会談」のお礼と、現在の捜査状況を知らせてきた。いぜんとしてさしたる進展はないそうだ。
相模湾沿岸の小型船舶を調査する作業は、早速始めたが、何しろ船の数が多い。
神奈川県内の相模湾に面した漁港だけでも、東の三崎港から始まって二十港を超え、小田原市域にも江の浦、片浦、米神、石橋、小田原と五つの漁港がある。これ以外にも油壼、葉山、江ノ島あたりのマリーナには数えきれないほどのヨットやクルーザi、プレジャーボートが繋留されていて、それらの事件当夜の所在を確認する作業は至難のわざだ一と、長南は早くも愚痴っぽいことを言っていた。
長南が言った中に「石橋」の名称が出たことが、妙に引っかかる。
それを察知したかのように、天羽紗枝子から電話があった。
「浅見さんがおっしゃった石橋先生のご実家のことですけど」と、急き込むような口調で切り出した。
「館山署のお巡りさんにいろいろ聞かれているうちに、こっちもだんだん分かってきたんですけど、先生のご実家っていうのは、ないんだそうです」
「ない?……というと、どういうこと?」
「先生のご両親はずいぶん昔に、事故か何かで亡くなっていて、先生は天涯孤独っていうのかしら、身寄りみたいな人もいなくて、一人ぼっちだったんです。だから行方不明になっても、すぐには誰も気づかなかったのじゃないかしら。学校のほうは騒ぎが大きくなるのがいやだったのか、なかなか捜索願の届け出をしようとしなかったみたいだし、時間が経ちすぎていて、足取りを調べようがないって、警察は言ってました」
「しかし、いくら身寄りがないといっても、遠い親戚ぐらいはありそうなものでしょう。
そうだ、本籍地を辿れば何か手がかりぐらいは見つかりますよ」
「ええ、そうなんですけど、じつはそのことをお伝えしたくて、急いで電話したんです。石橋先生の本籍は館山市になっているんですけど、それはご両親が結婚した時に館山に引っ越してきて、そこで新しい戸籍を作ってからなんです。それでですね、その前を遡るとなんと、ほんとに神奈川県小田原市石橋浅見さんがおっしゃってた、そこなんですって」

(本書P.7〜9から引用)

 
 


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