砂の狩人 下
著者

大沢在昌

出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1667円+税
第一刷発行
2002/09/25
ISBN4-344-00241-5
時岡に会いたくなった。きのう抱いたばかりだというのに、無性にその体を貧りたかった。しかし女に救いを求めてはならない。最後まであの女が自分の味方でいる、という保証はどこにもないのだ。

新宿に厳戒令。中国人マフィアと暴力団の全面戦争が始まった!殺された組長の子供は、口に携帯電話を押し込まれていた。中国人の仕業だと暴走した暴力団員、血染めの応酬をする中国人マフィア、緊急配備につく機動隊…。ついに警察庁の女性キャリア刑事は、<狂犬>に禁じ手の拳銃の使用を許可した。…神よ、あなたは一体何人死ねば許すのか?

25

組本部に戻るという原と別れ、西野は四谷三丁目のワンルームマンションの前で車を降りた。
一階の喫茶店はすでに閉店し、入口の前には、見覚えのある芳正会のやくざが二人立っていた。
どうやら見張り兼ボディガードとしてそこに詰めているらしい。
部屋に入ると、西野は濡れた衣服を脱ぎ、バスルームにとびこんだ。
迎えにきた車は、ずぶ濡れの人間を運ぶという指示を前もってうけていたのだろう、レジャーシートが後部席にしきつめられていた。
熱いシャワーを浴び終え、携帯電話を手にした。
拳銃を馬に奪われたことを、時岡に知らせなければならない。
かけてみたが、つながらない。
留守番電話サービスに、
「あとでまたかける」
とだけ吹きこみ、西野は切った。
ベッドに横たわった。
泥のような疲れを全身に感じた。この二十四時間に起こったできごとが、どれも悪い夢のようだ。
目を閉じた。
いいわけしながら生きている一馬の言葉が耳にこびりついていた。
いいわけなんかしちゃいない、いいわけをするというのは、罪を逃れようという人間がやることだ。
むしろ俺は自分を罰したいんだ─胸の中で反論した。
だがそうなのか。
本当にそうなのか。
馬の指摘は的外れのようで、実は正確に自分の心を射抜いたのではないか。
俺は俺の犯した殺人を許していない一方で、また同じような奴と出会ったら殺すべきだと考えている。
そうだ。もしいいわけをした、と責められるのなら、あのあと口にした言葉こそが、いいわけだった。
楽しみのために人を殺す人間は、生かされておくべきではない。
それはつまり、人の命が等価ではない、ということだ。
殺人者の命と被害者の命は等価ではない。
法においては等価である命も、その法を用いた裁判では、明らかに価値をちがえる。
殺人者の命を奪った自分は、その裁判にすらかけられることなく放免された。
だがそれは、自分の行為が正しかったからではない。
法を執行する側の警察という組織に所属していたからに過ぎない。
つまり、警察が警察を守ろうとする防衛行動の及ぶ範囲に、たまたまいたから助けられたのだ。
この次はちがう。
同じことをしても、警察は自分を救わないだろう。
それを知って、自分はこの捜査に携っている。
電話が鳴った。時岡からかと思い、ひき寄せた。
原だった。
「今、本部に着いたところだ。お前と俺のチャカ、届けられていた。とぼけた真似しやがるぜ」
「使っていなかったか」
「弾丸は残っていた」
「工藤とは話したのか」
「まだでかけていて、戻られない。マニラチームを潰せという、馬の条件は話すつもりだ。そっちはどうだ」
「疲れたな」
本音を吐きだした。
「そりゃあそうだろう。俺もくたくただ。体中が痛い。しばらくこっちで仮眠をとって、オヤジが帰ってくるのを待つ。今日はもう動かねえのだろ」
「ああ」
「明日また連絡する」
いって、原は電話を切った。

(本文P.3〜5より引用)

 
 

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