7days in BALI
著者

田口ランディ

出版社
筑摩書房
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2002/09/10
ISBN4-480-80367-x
書き下ろし長編小説

お待たせしました!
田口ランディ、一年半ぶりの書き下ろし長編小説です。
内容は、失踪した友人から届いた三枚の絵ハガキを頼りに、主人公がバリ島にでかけ、不思議な体験に巻き込まれていく、というもので、バリ独特の濃密な空気といい、完成度の高さといい、田口ランディの最高傑作と言っても過言ではありません。著者自身も「新境地を開いたと思う」と言っているとか。
バリの宗教や自然もさることながら、今回のテーマはじつは「音楽」。主人公は、ピアニスト志望の母親に小さい頃から絶対音感を叩き込まれ、けれどその夢に挫折したフリーライター。失踪した友人は天才ピアニスト。この二人がバリの自然や音楽にふれてどう変わっていったのか。物語の中で失踪した友人・ミツコは主人公に向かってこういいます。「ねえ、マホ。音楽には秘密がいっぱい。……音楽は、エネルギーだし、言葉だし、乗り物なの。」
そこで描かれるのはまさに“意識の乗り物”としての音楽。ガムランの調べに導かれて意識の深奥に降りていった主人公が見たものは――?大ブレイクの予感です。

1st day

「ご職業は?」
と、聞かれて、一瞬、とまどった。
「いきなり職業を聞く人は、めずらしいです」
ボリュームを絞ったラジオの音が暗い車内に淀んでいく。
インドネシアの歌謡曲らしい。
甘ったるい男の鼻声。
けして好きな音楽じゃなかった。
「失礼だったらお詫びします。人の職業に興味があるんです。ほんとうにいろんた仕事をしている人が、たくさんいるから」
たしかに、何をして生きているかを知ることは、その人間を知る近道かもしれない。
もちろん私の職業は別に隠し立てするほどのものでもない。
「フリーライターです。雑誌やPR誌に雑文を書いています」
男は「ほう」と、嬉しそうに横目で私を見た。
この対応には慣れてはいるけれどいつも少し傷つく。
多くの人がマスコミの仕事に華やかなイメージをもつけれど、私の現実の仕事はとても地味だ。
美味しくて安い焼き肉屋の紹介とか、化粧品の効能とか……だ。
フロソトガラスには密度の濃い闇が張りついていた。真ん中に一本、白い道路が浮かんでいる。
「この島には、世界中から作家がたくさんやって来ます。どれくらい滞在するんですか?」
私は作家じゃない、と言いたかったけれどやめた。
「一週間ほど」
「観光ですか?」
男の質問に、彼は何も知らされていないのだとわかった。
「まあ、そんなものかな」
どこをどう走っているのか、さっばり見当がつかなかった。昼に成田を発って、空港に着いたのは夜の十時を過ぎていた。
温度差と疲れのせいだろうか、ひどく頭が重かった。
「身体がこの島の湿度に慣れるまで、少し辛いでしょう?」
曖昧に笑って、私は頷いた。
空港に降りたら「オダ」という男が待っている。
その男がホテルまで送ってくれる。
何か頼みたいことがあったらなんでも「オダ」に相談するといい。手紙にはそう書いてあった。
「オダさんは、バリは長いんですか?」
目鼻立ちのくっきりしたオダは、陽に焼けていてバリ人のように見える。
「いえ、バリに来てまだ二年です。こっちの大学に留学してるんです」
学生には見えなかったのでびっくりした。顎ひげのせいだ。
「なんの勉強をしているんですか?」
「この島の生態系についてです。厳密に言えばバクテリア、菌類と生態系の関係を研究しています。と、言っても僕はもともと美術を専攻していて、最初はこの島のダンスや芸術史に興味があって来たんです。でも滞在するうちに興味の範囲が自然科学の方に移ってし
まった」
さらに質問してもとうてい自分には理解できないような気がした。それに、頭を使うには私は疲れ過ぎていた。
しばらく黙って車の振動に揺られていた。
ある場所から突然、道が悪くなった。
「もうじき着きますよ」
急に、ひどい後悔が襲ってきた。
なんでこんなところまで来てしまったんだろう。
私はいったい何をしようとしているんだろう。
なけなしの貯金もすっかりはたいてしまった。仕事も強引に休んでしまった。
もしかしたら東京に戻ったら、もう、私に仕事をくれる出版社はないかもしれない。

(本文P.5〜7より引用)

 
 

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