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再開
一年ぶりに再会したかつての恋人は、垢抜けしたイイ男になっていた。待ちあわせに指定してきたバーも酒落た店だ。バーテンとの話しぶりを聞いていると、しょっちゅう通ってきているのがわかる。背広もカジュアルだけど高級そうだ。短めの髪形も悪くない。「やっぱり変わるのねえ」酔いが回ってくると、私は緊張のあまりぞんざいになる。「年上の女とおつきあいなさると、趣味が変わるのねえ」男は気障にふっと笑った。以前はこんなすかした笑い方はしなかった。「アイツとは、とうに別れたんだ」独り言のようにさらりと言ってのけた。
「へえ?そうだったんだ。どうして?」「どうしてかな。だんだんいっしょにいるのが気づまりになった」男に未練があったわけじゃないのに、私は内心「ブラボー」と叫んでいる。別れたと聞くと妙にうれしい。なぜだろう。今夜、ここに来るまでよりを戻したいなどとは考えもしなかったのに。「オマエは、ちっとも変わってないな」これは褒め言葉なのだろうか、それともバカにしているのだろうか。「悪かったわね」「なに怒ってんだよ」「どうせ、アタシは進歩のない女ですよ」男は愉快そうに笑う。
「そういう意味じゃないよ。ほっとしてるんだよ。もっとつんけんされたらどうしょうかとドキドキしてた」「あはははは。そうだよねえ、そっちから振っておいて、今さらアタシを呼び出すなんて都合いいもんね」そう、言葉にするとチクリと胸が痛む。振られた女のハートには、抜けない小さな棘があるのだ。男は返事をしない。聞こえないふりをしているみたいだ。男とは苗場のスキー場で知りあった。お互いに友人同士でスキーに来ていて、ゲレンデのレストハウスでたまたまテーブルが近かった。
あっちも三人、こっちも三人。リゾート気分で盛り上がり、夜はみんなでカラオケに行こう、ということになった。苗場プリンスの一室で、私たちは男を値踏みした。誰が誰にアプローチするか、あらかじめ決めておかないと後でめんどくさい。「アタシ、絶対に緑のウェアの子!」真っ先に手を上げた。別に男が飛び抜けて美形だったわけではない。好きなタイプだったのだ。筋肉質で肩幅のある男が好みだった。顔じゃない。体だ。水泳で鍛えたような逆三角形の、しかもマッチョじゃない体が好きなのだ。ケツは絶対に小さくなければいけない。
カラオケボックスでお互いの携帯の番号を交換した。だけど、東京に戻って一週間経っても電話はかかってこなかった。だから仕方なくこっちから電話したのだ。最初、名前を言っても男は私だとわからなかった。「ほら、苗場で……」と言うと、「ああ、あのときの」とやっと思い出してくれた。それでも、嫌がらずに誘いには乗ってきた。たまたま彼女がいなかったので暇だったのかもしれない。三回のうち二回は私がデートに誘った。そうすると一回は男から誘ってくれる。名前を言えば誰でも知っている食品会社に勤めていた。大学は慶応で、趣味はスキーとテニスだそうだ。三流短大を卒業して小さな貿易商社のOLをしてる私にとっては、ちょっと舞い上がってしまう学歴だった。
二回目の男からのお誘い、つまり六回目のデートでセックスした。もともとあまり性経験のない私は、それがどんなセックスなのか比較検討のしょうがない。初めての男ではなかったけれど、人生で三度目のセックスだった。ちなみに初体験の相手は短大時代にほんのちょっとつきあったことのある成践の学生で、気がついたらフタマタをかけられていて別れた。やっと、セックスが気持ちよくなりそうだな、でもまだちょっと痛いな……って頃に別れてしまったので、私は本当のエクスタシーってものを知らなかった。苗場の男は、イイ奴だった。最初のときだってシティ・ホテルをとってくれたし、セックスした翌日にはちゃんと電話をくれた。遊んでいるような感じは微塵もなかった。
優しかったし、気を使ってくれているのがわかった。だけど、どうしてか自分が愛されているような気がしないのだ。なんだか愛されているという実感がない。とはいえ、私は自分が熱烈に男から愛された、という経験がないので、愛されるということがどういうことなのか、実はよくわからなかった。なんか違うんじゃないかなあ、と思いながら、でも、こんなもんかもしれないなあ。そんなことをぼんやり考えながらつきあっていたのだ。つきあいだして一年が過ぎた頃、男が言った。
「ごめん。他に好きな女性がいるんだ」ショックだったけど、やっぱり……とも思った。あのときの「やっぱり」という気持ちが何なのか未だにわからない。それは、愛されているという実感がなかったことの結果として浮上した気持ちなのか。それとも、無意識のうちに男の態度に女の影を察知していたからなのか。相手の女は五歳年上で、最初は仕事上のつきあいだったそうだ。男の態度ははっきりしていて、私が引き止める余地などまるでないように感じた。もともと私には不釣りあいな男だったんだわ。いながら、私は男と別れたのだ。と、グリム童話のキツネみたいなことを思「俺って、感情を出すのが下手だと思う?」急に男はそんなことを言いだした。「え、どうして?」
「つまりその、別れるときにそう言われたんだ。あなたは何を考えているのかわからないって」あ一、やっぱり他の女でもそう思うのか、と妙に納得した。「オマエとつきあってた頃は、そんなこと言われたことなかったから」思っていたけど言わなかっただけだ。「そんなことないと思うよ」なぜか嘘をついた。「オマエにずっと会いたいと思ったけど、怖くて電話できなかった。それに、会ってもらえないだろうと思っていたし……」意外だった。もしかして男は私のことをけっこう好きだったんだろうか。それすらも私にはよくわからない。
「なんか、すごくうれしいなあ。そんなこと言ってくれたの、初めてじゃない?」「そうかな」「そうだよ、あなたって、好きとか愛してるとか、そういうことは言わないほうじゃない」「それがよくなかったのかなあ」「かもね。そういうこと、言葉にしてくれないと嫌だっていう女の人、けっこういるから」大部分の女は頼むから言葉にしてくれ−、と思っているに違いない。「俺、苦手なんだよな、そういうの。男の兄弟ばっかりだったし」「わかるわかる。アタシも兄三人の末っ子だもの。ガサツだよねえ男兄弟って」「そういうとこが、気が合ったのかな、オマエとは」絶対に違うと思う。
「う−ん、そうね−」この男と別れた後で、私がつきあったのはとんでもない中年男だった。たぶん振られたショックで頭がどうかしていたんだろう。相手は離婚歴のある四十歳の独身男で、私の住むアパートの近所でスナックを経営していた。昔、ちょっとだけバンドをやっていて、メジャーデビューもしたことがあるという話だが、私はそのバンド名を知らない。お客のいなくなった店で、ギターを弾いてエリック・クラブトンを歌ってくれた。そんな陳腐な展開でねんごろになってしまった。
自分でも情けない。この男が、とにかくセックスが好きだった。金曜日の夜に男の部屋に連れ込まれて、四十八時間やりまくった。よくもまあ、四十のオヤジのくせにこれだけ体力があると思うくらい、男は強いのである。やってやってやりまくっているうちに、だんだんやらずにはいられなくなった。セックスってのは中毒になるらしい。快感を覚えると、貪るようにセックスがしたくてたまらなくなった。私たちは会うとサカリのついた犬みたいに、セックスばかりしていた。もう気持ちよくてたまらなくて、こんな楽しいこと他にないって思った。
男は私がだんだんセックスにのめりこんでいくのがうれしくてたまらないみたいで、いくらでもしっこく愛撫してくれる。これでもかこれでもかと体中舐めてくれた。いろんな場所で、いろんな格好でセックスした。四六時中セックスのことばかり考えていた。私はそんなことをこの一年繰り返していて、そしてつい最近、スケベオヤジと別れたばっかりだった。さすがに飽きたのだ。ただ寝るだけの男だった。それ以外に何もないのだ。もう少し恋愛がしたいと思ったけど、男は「そんなめんどくさいことはもうできない」と言い切ったのだ。「また、スキーに行こうぜ、みんな誘ってさ」男の手が私の肩に回る。どきんとした。コロンの香りがする。いだけだ。やっぱり男は若いほうがいいなあ、と思う。
「行こう行こう、楽しみだなあ。これからなら北海道がいいね」「そうだな。富良野とか行きたいな」目が合って、ほんのちょっとだけ唇を重ねるキスをした。「会いたかったよ。ずっと寂しかったんだよ、アタシ」オヤジはいつもヤニ臭そう言って、「ありがとう。肩に顔をうずめると、ごめんな」男は小さく眩いた。ホテルに誘ったのは私のほうだった。欲情する癖がついてしまっている。もう今夜、この男と寝ないで帰るなんてできないと思った。下半身に火がついてぼうぼう燃えている感じだ。部屋に入ると、男は冷蔵庫からコーラを取り出して飲み始めた。こいつはエッチな気分にならないのか?と不思議に思った。私は今すぐにでもベッドに押し倒されたいのだが……。「シャワー、先に浴びる?」などと悠長なことを言っている。
オヤジとはいつも浴室でもセックスしていた。トイレだろうと、バスタブだろうと、どこでだってやる奴だった。それから、ハタと思った。もし、今、この男とセックスしたら、彼は私の体の変化に気がつくだろうか……と。つまり、この一年で私が中年男とやりまくっていたのに気がつくだろうか。自分ではわからないが、たぶん私は相当、セックス慣れしているはずだつた。急に血の気が引いた。ベッドに入ると、男は優しくキスをしてきた。それに応えて、思わず舌を入れそうになるが、かつてこの男とつきあっていたときに果たして私は自分から舌を入れたりしただろうか。
いったい、一年前にどんなセックスを自分がしていたんだろう。それを再現できるだろうか。とてもできそうにないと思った。乳首を含まれると気持ちが昂ぶって思わず声が出てしまう。久しぶりの別の男なので体がさらに興奮しているみたいだ。自分でも恥ずかしいほど濡れてきている。なるべく一年前を再現しようとするのだけれど、そうすると自分がいかに受け身でセックスしていたかがわかる。あの頃はただ、寝ころんでいただけだった。しょうがない、よく知らなかったのだ。挿入されると、腰を動かしたくてたまらない。ああもう、生ぬるいと思う。じれったい。
もっと激しくだよ、と苛々してくる。もっともっと昇りつめたいのだ。自分で動いて絶頂に達したいと思う。でも、そんなことをしたら、きっと男はびっくりするに違いない。年上の女とつきあって垢抜けしたわりには、男のセックスに進歩はなかった。男はすでに、自分勝手にイキそうになっている。私はついにがまんしきれず、「まだ、ダメ」と叫んだ。「まだ、ダメよ」そう言って、自分から男の股間に恥骨をすりつけ、夢中で腰を回していた。事が終わると、男は無口になっていた。
その態度から、何かに動揺しているのが窺える。いったいどんなことを考えているのだろう。よくわからないが、部屋の空気は空々しいのに重かった。起き出して、シャワーを浴びて出てくると、男はベッドに腰かけてコーラの残りを飲んでいた。その様子を見た途端、いったいこの男のどこがあんなに好きだったんだろうって思った。恋してた。ずっとずっと好きで、大好きで、会うだけでうれしくて、別れた後は哀しくてせつなくて毎日泣いていた。本当に好きだった。コイツを好きだった頃の自分が愛おしくてたまらない。
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