BOOKSルーエのおすすめ本 画像
 一瞬でいい
著者
唯川恵/著
出版社
毎日新聞社
定価
税込価格 1,785円
第一刷発行
2007/07
e−honでご注文
ISBN 978-4-620-10714-1

 ★ 会員登録はこちら(1500円以上で宅配送料無料)⇒
 
ここにふたりで存在する。 この一瞬でだけでいい  18歳から49歳、31年間のラブ・ストーリー。
 
一瞬でいい 唯川恵/著

本の要約

あの一瞬がなければ、私たちは・・・。浅間山での事故が少女と少年の運命を変えた。18歳のあの一瞬から49歳まで、31年間のラブストーリー。



オススメな本 内容抜粋

プロローグ

浅間山を見る。
冬の冴え渡った空気の中で、その稜線は凛と浮かび上がっている。
頂上から湧き立つ霧のような白煙が澄んだ空に滲み、雪でうっすらと覆われた山頂は化粧を施し
たように美しい。緩やかに伸びた裾野は、軽井沢の町を包み込むように広がっている。
沖村稀世はテラスに出て、しばらく眺め入った。
浅問山を見る。
それはどこか祈りに似ている。
何を願うわけでも望むわけでもないが、この町に来ると日に何度も浅間山を仰ぐ。たとえ雲や霧
に覆われ、その姿を望むことができなくても、見るという行為そのもので気持ちに収まりがつく。
浅問山とはそういう山だ。
冷気は容赦なく稀世の頬や指先を凍らせる。寒いというより、痛みに近い。
紅葉も盛りを過ぎた十一月の軽井沢は、今朝も氷点下だった。テラスの庭に広がる芝もすっかり
枯れて、一面、白い霜に覆われている。
視線をずらすと、少し離れた通りを、少女が乳色の息を吐きながら自転車を走らせてゆく姿が見
えた。高校生だろうか。短いスカートがめくれそうになるのも構わず、必死にペダルをこいでいる。
こんな寒い朝に……。
と思ったが、すぐに、自分もかつて多少の雨や雪など厭わず自転車で通っていたことを思い出し
た。
もう三十年以上も前の話だ。稀世はこの町の高校に通っていた。
自宅から、すっかり葉の落ちた落葉松やクヌギに囲まれた道を走ると、時折、リスやウサギが目
の前を横切って行った。乾燥した冬の風に、耳も頬も鼻先も真っ赤に充血し、吐く息さえもちりち
りと音をたてそうだった。凍りついた身体で教室に入った瞬間の、あの息苦しいような暖かさ。蝿
張った身体が解き放たれてゆくのを、しばらく気が抜けたように待ったものだ。
自分にも、あの少女と同じ時間があったなんて、今では夢のように思えてしまう。
寒さに耐え切れなくなり、稀世はストールをかきあわせて、部屋に戻った。
二十畳ばかりのLDKに、寝室がふたつ付いたロッジである。リビングの隅には薪ストーブが据
え付けてあり、耐熱ガラスの窓を開けて、一本、薪をくべた。榿色の火の粉が舞い散る。薪が爆
ぜる小気味よい音が耳に広がる。三日滞在の予定で申し込んだので、壁際には必要な量の薪が積み
重ねられている。床暖房も行き渡っていて、部屋の中にいる限り寒さは微塵も感じない。
食器やグラス類は、キッチンに揃っている。調理器具も一通りある。足りないものがあれぼ、管
理事務所に連絡すると、大抵のものは用意してくれる。
今年の春も、ここを三日ぼかり借りた。浅間山が見渡せる部屋を、と不動産屋に頼んで、紹介さ
れたのが、この塩沢湖の近くにある貸しロッジだった。希望通り、テラスからも寝室からも浅間山
が一望でき、あの時は一日の大半を、外ばかり見て過ごした。
かつて、この辺りはレタスやキャベツといった高原野菜の畑が広がっていた。少なくとも、稀世
の幼い頃はそうだった。祖父の仕事に連れ立って来たのでよく覚えている。やがて畑の代わりにテ
ニスコートが設けられるようになり、初夏から秋口にかけて大学生たちが合宿や遊びに大挙してや
ってくるようになった。畑はいつの間にか姿を消していた。今も、以前ほどのブームではないにし
ても、シーズン中は学生たちで賑わっているようだ。
「会いたいの、できたら軽井沢で」
と、半月ほど前、嶋田未来子から連絡があった時、すぐにこのロッジを思い浮かべた。
稀世は昨日、到着した。東京からは車を使った。四谷にある自宅マンションを出てほぼ三時間。
都内が混んでいたのと、凍結のことを考えてスピードを抑えて来たことで、予定より多少時間がか
かってしまった。速さから言えば、一時間少々で着く新幹線を使った方が便利だとわかっている。
それでも、軽井沢で動くことを考えて車にした。セダンの国産車は四駆で足回りもいい。久しぶり
に、ひとりでドライブを楽しみたいという気持ちもあった。
昨夜はひとりで静かに過ごした。未来子と会う前に、もう一度、整理しておかなければならない
ことがたくさんあるように思っていた。しかし実際には、遠い昔のこともほんの半年前のことも、
混然となって頭の中を交錯するばかりで、考えるというより、消えては浮かぶ映像をただぼんやり
眺めやるばかりだった。
腕時計に目をやると、午前九時を少し過ぎていた。
今日の予定は決まっている。十時にスーパーに出掛けて、夜の食事のための買物をする。


(本文P. 5〜7より引用)

 

▼この本の感想はこちらへどうぞ。 <別ページでご覧になれます



e−honでご注文
BOOKSルーエ TOPへリンク
 ★ 会員登録はこちら(1500円以上で宅配送料無料)⇒


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.