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 透明な旅路と
著者
あさのあつこ/著
出版社
講談社
定価
税込価格 1,470円
第一刷発行
2005/04
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ISBN4-06-212836-5
 
男は、血管が透けて見えるほど白い頸を絞めて、女を殺す。男は、車で逃げる。月の光が注ぎ雨の降る夜、少年と幼女が、男の運転する車の窓ガラスを叩く…。
 
透明な旅路と あさのあつこ/著

本の要約

『バッテリー』『NO.6』で注目の作家・あさのあつこ初のモダン・ミステリー!男は、血管が透けて見えるほど白い頸を絞めて、女を殺す。男は、車で逃げる。月の光が注ぎ雨の降る夜、少年と幼女が、男の運転する車の窓ガラスを叩く……。 「……女性の死体が発見されました。昨夜、○○区○○のホテルの一室で、女性が殺されているのをホテルの従業員が発見し、110番通報をしました。女性の年齢は30歳から……」――<本文より>



オススメな本 内容抜粋

一月夜


月が出ていた。
満月に近い、丸い月だ。しかし、満月というには、どこかがわずかに欠けているよう
で、その欠落部分のわずかさだけ、歪みを感じる。そんな月だった。昨日、日本列島の南
西部を観測史上二番目という速度で横断し日本海に抜けた台風の影響で、空には雲が多い。
雲は、月をたびたび隠す。
くねくねと幾重にも曲ねる山道の真ん中に車を止め、吉行明敬はライトを消してみた。
闇が覆いかぶさってくる。闇より他には、何も無い。手を伸ばせばどろりと絡まってくる
ような濃い闇。都会では決してお目にかかれない闇。もう何十年も忘れていた闇だ。
車からおり、煙草に火をつける。しゃがみ込み、煙を吐き出す。何年も禁煙していた。だから、しばらくぶりの煙草だった。火をつけるとき、指の先が微かに震えた。
この指で絞めた。
白い頸だった。とても白かった。血管や筋肉組織まで透けて見えるんじゃないかと錯覚
するほど色素の薄い皮膚だった。覚えているのは、その白さだけだ。一時間以上、同じ
ベッドの中にいて、ずっと接触していたのに、ほとんど何も記憶に残っていない。
乳房、腹、膀、耳朶、髪、尻、陰部、太腿、声、体温、皮膚の湿り気……何一つ、残つ
ていない。
ぽつりと水滴が頬にあたった。一つ、また一つ。同時に雲が切れて月がのぞく。青みを
おびた光が闇に差し込み、アスファルトの上に吉行の影をつくった。長身痩躯ではあるけ
れど、身体のそこここに相応の緩みを帯びた中年の男の影だ。
濡れちゃあいけんぞ。
ふっと言葉を思い出す。誰のだろう。
月といっしょに降る雨は不吉なもんじゃ。濡れちゃあいけん。濡れるんなら、お天道さ
まの雨にしろ。
ばあちゃんだ。中学生のときに死んだばあちゃんだ。おれが夜、雨に濡れて帰ってきた
とき、そう言った。あの時の雨も、月夜の雨だったんだろうか。死病に冒されてがりがり
に痩せていたのに最後まで入院を拒否し、口からも肛門からも、嫌な臭いのする液を流し、
看病のおふくろを嘆かせ、夫婦喧嘩の原因になり、そのことを本人も充分承知しながら、
意志を貫いて自分の家の狭い部屋の薄い布団の上で死んだ。その数日前のことじゃないか。
月の雨に濡れちゃいけん。
ぽつり、ぽつりと雨がふる。青いぼんやりとした光の中に落ちてくる。煙草を投げ捨
て、靴の踵でふみつける。車に乗り込み、ライトをつける。人工の強烈な光が闇も月明
かりも瞬時に切り裂く。光の届く範囲に、黒々とした山の斜面と崖に挟まれた道路がう
かびあがった。中国山脈を東西に横切る道路は、秋や春の観光シーズンをのぞいては、日
に十数台の交通量でしかないはずなのに、ちゃんと舗装がしてある。道幅も広い。この辺
り一帯を選挙基盤に持つ国会議員が政府の要職にあると聞いたが、そのことと山間の妙に
りつぱな道路とは因果関係があるのだろうか。



(本文P. 5〜7より引用)



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