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 沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男
著者
キン シオタニ 著   キン シオタニ FAN SITEはこちら
出版社
集英社
定価
税込価格 1470円
第一刷発行
2005/06
沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男 キン シオタニ 著  ご注文
ISBN 4-7976-7138-6   サイン会 07/10 詳細はこちら
 
こんな旅がしたい 25歳のキンは吉祥寺の路上で絵を売り、夏は北、冬は南へあてもなく放浪する。夜行列車、野宿、ヒッチハイク、貧乏旅行だからこその出会い。絵を描く詩人、キン・シオタニ初の実話的小説。
 
沖縄の海の水を北海道に捨てに行く男 キン シオタニ 著

本の要約

ペットボトルのキャップを開け
腕を伸ばしてなるべく高い位置から注ぎ込んだ
北緯四十五度三十一分十四秒
亜熱帯、東シナ海、の海の水が
亜寒帯、オホーツクの海に出会った瞬間だ
その間、時間にして一分足らず
誰も知らない僕だけの孤高の瞬間がそこにあった


←初版本だけの特典 特製シオリ



オススメな本 内容抜粋

目的はない、金もない、暇はある


夜行列車は眠れない。人は横になって寝るもんだ。しかし、僕は九州の電車なら何でも
乗れるフリー切符を持っているから、ほぽ毎日、こうして硬い座席の夜汽車に乗って、宿
代を浮かせている。切符の有効は二十日間。目的はない。お金もない。時間はある。
窓の外は真っ暗で何も見えない。外は海なのかもしれないし、山なのかもしれない。気
がつくと、黒い窓ガラスを眺めている自分と目があう。僕は誰で、今はいつで、ここはど
こで、そして僕は何者なのだろう?
すると窓の向こうの僕が答える。僕の名前は均で、人はキンと呼ぶ。それ以外は何者で
もない。三年前に大学を卒業してからは、自分で描いた絵葉書を路上で売って、ためた貯
金を食いつぶしている。たくさん売れるわけではないが、売った以上に使わなければお金
はたまる。それは生きるためだ。小説も書きはしているが、読んでくれるのは友人だけだ。
今は一月で、だからこそ僕は九州にいる。気温二十四度を好む僕は、夏になったら北海道、
冬になったら九州を旅している。もちろんここも寒い。毎日意味もなく電車に乗って気が
向いた駅で降り、そこの街を歩きまわり、そしてまた電車に乗って、窓の外を眺め、また
街を歩き、夜になったら夜行に乗る。そうして九州をあてもなくぐるぐるしている。正月
に東京を出て、もう五日はたっただろうか。
車内アナウンスが消灯を告げる。最近スリが多発していると注意をしている。僕は財布
を確認する。最近とかいって、もう何年も同じことを聞いてる気がする。明日はどこで何
をしよう?


一大事

「お客さん、終点ですよ!」車掌に身体を揺すられた。眠い。ここはどこなんだ?荷物
を持ってホームに降り、ここがどこか確かめる。終点の西鹿児島だ。そうか、昨日は博多
にいたんだっけ。
駅を出て、しばらくぶらぶら歩き、喫茶店でモーニングを頼み、コーヒーで眠気を醒ま
す。今日も一日が始まる。旅先の喫茶店のモーニングは、僕が旅で最も好きな時間のひと
つだ。厚いトーストを食べて、コーヒーで流し込む。店においてある地元の新聞を眺める。
何のことかはわからない。日本という狭い国にいながら異邦人を気取れる時でもある。
朝食のあと、しばらく散歩をした。そのとき大変なことに気づいた。僕は用心深いとい
うか、心配性というか、事あるごとにポケットに手をやって、財布と切符を確認するのだ
が、それがいけなかったのか、切符がなくなっていたのだ。やばい。マジで、ない。どこ
にもない。僕は愕然とした。パニックに陥った。どうしよう?どうしよう?落ち着け、
僕よ。
自分が来た道を逆に戻った。まだ楽観はしていた。十時だった。駅に着いたのは八時頃
だったから、まだ二時間しかたっていない。今来た道を戻れば見つかるかもしれない。風
が吹いた。切符がどこかで舞ってはいないだろうか?商店街の通りをボランティアのお
ばちゃんが掃除している。余計なことをしないでくれ、頼むから。あのおばちゃんには僕
の「九州ワイド周遊券」がどれほど大切なものかわからないだろう。切符は緑色だし、お
ばちゃんは葉っぱだと思って掃いてしまうかもしれない。そう想像すると、無性に腹が立
ってきた。この現象を僕は「予定むかつき」と呼んでいる。


桜島

力ランコローン、という呑気な音とともに、僕はモーニングを食べた喫茶店のドアをあ
けた。
「すみません、さっき何か忘れ物ありませんでした?」と僕は聞いた。僕の座ってた席に
は誰もいなかったので捜したが、ない。トイレにもなかった。僕は店を出た。カランコロ
ーンという音が残念でしたと言っているようで、それにも腹が立った。
おかしいなあ。僕は自分の記憶をたどっていったが、どうにも思い出せない。朝のコー
ヒーを飲むまで僕の頭は覚めていなかった。とうとう駅まで戻った。駅前ではボランティ
アの掃除人が大勢いた。なんだこの街は?きれい好きだなあ。そのおばちゃんたちにも
聞いたが、知らないと言われた。駅員にも聞くと、今のところないね、あったらとってお
くから、また来てよ、と言われた。
僕は諦めた。これからどうしよう?ヒッチハイクで帰ろうかな?まだ旅は始まった
ばかりなのに、ああ、何やってんだろ。ただ、こればかりは他人のせいにはできない。考
えたら、僕はいろんなことを他人のせいにしてたかもな。いちいち例を挙げて説明はでき
ないけれど、でも実際は、自分で慌ただしくポケットをいじって、そのせいでなくしてし
まったことがあるような気がする。いろんな意味で。
僕は桜島行きのフェりー乗り場に行きました。ほら、今の事件で反省し、謙虚になった
僕は言葉遣いが丁寧になっています。これからしばらくはこうでしょう。鹿児島港から桜
島までは十分です。料金は百円と安いです。フェリーを降りると、少し先に温泉と書いて
あるのを見つけました。切符をなくした僕の心を温泉に入って癒そうと思います。


一期一会

温泉では、老人と二人になりました。湯船につかっていると、老人は何やら話しかけて
きました。目があって、挨拶したからです。老人は七十歳で漁師でした。老人はいろいろ
と僕に話しかけるのですが、訥りと、その言葉が風呂の壁にこだまして、何を言っている
のかよく聞き取れませんでした。僕はただ、老人の言葉に耳を傾け、そうですね、そうで
すね、といって頷きました。年はいくつだ?とか聞いてたらどうしようかと思ったけど。
風呂を出るときに、こう言った言葉だけはなぜかはっきりと聞きとることができました。
「おいは明日んことだけ考えて生きるが」
帰りのフェリーは気持ちよかった。温泉で温まった身体を海風が心地よくなめた。桜島
が雲とつながる噴煙をあげながら遠ざかっていった。この遠い地で人と出会い、話を聞い
て、今こうやって一人、雄大な風景を見ている。そんな開放感に包まれた僕は、もうなく
した切符のことなんか小さいことのように思えた。

 

 


(本文P. 8〜13より引用)



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