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 いつも旅のなか
著者
角田 光代 著
出版社
アクセスパブリ
定価
税込価格 1575円
第一刷発行
2005/04
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ISBN 4-901976-22-2
 
仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにゆく 
 

本の要約


モロッコ・ロシア・ギリシャ・スリランカ・ラオス・イタリア・ベトナム・ネパール・モンゴル・タイ・アイルランド・韓国・スペイン・キューバ・・・仕事も名前も年齢も、なんにも持っていない自分に会いにゆく―。直木賞作家がこよなく愛する旅を綴った最新作。



オススメな本 内容抜粋

一ヵ月間、予定をなんにも決めず、モロッコを縦断していた。
移動先の宿でガイドブックを広げ、次にどこにいこうか決める。
そんな旅だった。
ワルザザードという、砂漠にほど近い町に滞在していた私は、そこからバスを乗りついで五時間ほど北上した、トドラ峡谷にいこうと思いついた。
トドラ峡谷は、オートアトラスの麓近く、左右二十メートルほどの岩壁が続く景勝地だとガイドブックに書いてある。
ワルザザードからティネリールという町まで、カスバ街道を越えバスで三時間、そこから乗り合いタクシーで二時間、とある。ロッククライマーたちがこぞって練習しにくるという、その岩壁の村を見てみようじゃないか、と荷物をまとめ、早朝ワルザザードを出発した。
バスの窓からは茶一色の山並みが続き、そのなかにぽつぽつと緑が見えてくると、川が流れ町や村がある。
乾いた自然と、水場を中心にできたちいさな村を眺めていると、サハラ砂漠のすぐ近くにいるのだと実感する。
さて、ティネリールの町が近づいてくるにしたがって、窓の外は無人の山並みから町らしい光景へとかわり、数十分ごとにバスは停車し、人々を乗せたり降ろしたりして走り続ける。
ある停留所で、ひとりの男の子が乗ってきた。砂漠付近の男の人がたいていそうしているように、布地をターバン状に頭にぐるぐる巻きにしている。
十八、九歳だろうか、なかなかかわいい顔立ちをしている。
バスに座席指定なんかないのに、「えーと、ぼくの席、ぼくの席」などと英語でつぶやきながら、私の隣の空席に腰かける。やばい、と勘で思った私は咄嵯に寝たふりをした。
やばいというのは、何も彼がすりひったくりの類であるとか、ささいなことですぐキレそうなワカモノであるとか、そういうことではなくて、この子は何かの客引きだろうと思ったのだった。
絨毯屋か、砂漢ツアーか、観光ガイドか、安宿か、そのどれかの。たんなる客引きならばやばいということもないのだが、じつは私は意志薄弱であきらめが早く、しつこくしつこく何かに誘われると心底面倒になって、「あーもーいーや」と、ついていってしまう性癖がある。
だから、押しの強そうな客引きとはいっさい会話しないほうが身のためなのだ と、経験によって知っている。
ところが、この男の子はべつだん話しかけてくるふうもない。
鼻歌をうたってみたり、何か独り言を言ってみたりするだけで、寝たふりを続ける私にかまう様子は見られない。
私はそろそろと目を開け、窓の外を見遣る。窓の向こうに埃っぽいちいさな町がある。
店と店のあいだのちいさな路地で子どもがサッカーボールを蹴って遊んでいる。
「日本人ですか」隣の席の男の子は、遠慮がちにだがやっぱり声をかけてきて、無視するのも大人げない、「そうですよ」私は答えた。
まあいいや。
この子が何かの客引きだったとしても、しつこくつきまとうタイプではなさそうだし、こちらも強い意志とあきらめないココロを持ってすれば、何か買う羽目になったりついてく羽目になったりすることもなかろう。
男の子は、ぽつりぽつりと、旅は何日目か、どこをまわってきたのか、モロッコの印象は
どうか、などと質問をし、ふいに、「ぼくには日本人の友達がいっぱいいるよ」と、異国の悪いやつが八割がた口にするせりふを言った。

 

(本文P. 8〜10より引用)


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