誕生〜幼少時代あだ名は“マメアイコ”
─ まずは生”年月日時”から。
a 1975年”月22日、お昼の1時26分に大阪で生まれました。
生まれるときにお母さんが、あまりに痛くて「無痛分娩に変えてください」って言ったら、「今からじゃ遅いです!」ってパシーンと叩かれたという。
なんかね、その前日の夜から陣痛が始まって、一晩苦しんだらしいんですよ。
もちろん私はそのときのことを全然覚えてないんですけど(笑)、できることなら協力したかったね。
「んっ!んっ!んっ!」
って体をズラして出やすくしてみる、とか(笑)。
でも体は小っちゃかったみたい。
未熟児ギリギリの2560グラムやったって。
─ ”愛子”という名前の由来は何です、か?
a”誰からも愛される子供でありますように”って。
お父さんがつけてくれた名前なんやけど「女の子が生まれたら”愛子”」って、最初から決めてたんだって。
で、「男の子だったら”蔵人」だったらしい。
─ ニックネームはありました?
a子供の頃は、みんなに“ラブ”って呼ばれてた。
あとは小っちゃかったから“マメ”とか“マメアイコ”。
夏は日焼けして真っ黒だったんで“黒マメアイコ”って呼ばれたり(笑)。
最近よく言われる“アイちゃん”は、ホント、東京に来てからですね。
“アイちゃん”っていう呼び方は、大阪ではちょっとこっ恥ずかしいんで。
なんかこう、ちよっとだけ都会っぽいというか、東京っぽくて。
だから今でも大阪の友達は“アイコ”って呼びますね。
─ 兄弟は?
aひとりっ子。だから周りの大人にすごいかわいがられたみたいで、1歳の誕生日のときとか、大変だったって。
家に人が入れないくらい、いろんな人がお祝いに来てくれて、なんやもう、入れ替え制のようだったらしい(笑)。
親戚、お父さんとお母さんの友達、同じマンションに住んでるご近所さんが、入れ替わり立ち替わり来てくれたんやて。でね、「愛子が20歳になったときに開けよう」って、お父さんがすっごい
いっぱい買っていたワインやウイスキ
ーのほとんどを、1歳の誕生日に開けてもうて(笑)。
─ 全部飲んでしまった?
a 結局、私が20歳になったときには、赤ワインー本と、バランタインー本しか残ってなかったんです。
でも、バランタインはともかく、赤ワインはもう澱がひどくて。
「そんなに置いとくもんじゃないねえ」という結論に達した(笑)。
─ 両親はどんなタイプの方ですか?
a父親は飲食店をやってて、オシャレでワガママで、すべてアバウトな人。
でも半面、すっごいキッチリしてるAB型(笑)。
例えば料理なんかも、あるものでパパッと作っちゃって、それが結構おいしいんですね。
そういうのはいいんやけど、時間にはものすごいルーズで、「6時に待ち合わせ」って言うたら必ず6時半に来る人やから。
私もそういうとこあるんやけど、お役所事とか、税務所関係とか住所変更とか、すーごい疎い人というイメージがある。
せやけどオシャレなんで、私が子供の頃は乗ってた車が、濃いこげ茶色のケンメリで。
ヒゲなんかもちょつと生やして、ゴールドの大っきい指輪をして、香水も自分でブレンドしたものをつけてましたね。
その香水が、子供にはすごい臭いんだ、これがまた。
お父さんは夜、仕事に出掛けて夜中に帰ってくるんやけど、帰ると寝てる私にヒゲでジョリジョリしてくるの。
それがもうすごいイヤやって。
痛いし、お酒臭いし、香水臭いし。
「ううっ、ヤな感じ」って目が覚めて、また寝る、みたいな。
─ 基本的には優しいお父さん?
a 基本的には。でも怖かったですよ。お父さん、親戚や近所の子供からは“ダイオン”って呼ばれてたし。”ラ”って発音できないから“ダイオンのおじちゃん”つって。
だいたい、「ほら、これ食べ!食べ!おい、おい!」とか言うから。
悪気はないんやけど、テレ屋だからそういう言い方になるんです
よね。もう、ホントに強引やからね、うちのシゲちゃんは(笑)。
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