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 夜のピクニック
著者
恩田陸/著
出版社
新潮社
定価
税込価格 1680円
第一刷発行
2004/07
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ISBN4-10-397105-3
 
高校最後のイベントに賭けた1つの願い。あの一晩の出来事は紛れもない「奇跡」だったと、あたしは思う。ノスタルジーの魔術師が贈る、永遠普遍の青春小説。
 
夜のピクニック

本の要約

「本の雑誌」が選ぶ 第1位 2004年 BEST 10

夜を徹して八十キロを歩き通すという、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。生徒たちは、親しい友人とよもやま話をしたり、想い人への気持ちを打ち明け合ったりして一夜を過ごす。そんななか、貴子は一つの賭けを胸に秘めていた。三年間わだかまった想いを清算するために―。今まで誰にも話したことのない、とある秘密。折しも、行事の直前にはアメリカへ転校したかつてのクラスメイトから、奇妙な葉書が舞い込んでいた。去来する思い出、予期せぬ闖入者、積み重なる疲労。気ばかり焦り、何もできないままゴールは迫る―。



オススメな本 内容抜粋

 晴天というのは不思議なものだ、と学校への坂道を登りながら西脇融は考えた。
 こんなふうに、朝から雲一つない文句なしの晴天に恵まれていると、それが最初から当たり前のように思えて、すぐにそのありがたみなど忘れてしまう。だが、もし今のお天気がどんよりとした曇り空だったらどうだろう。または、ポッポッと雨が降っていたりしたら。ましてや、吹き降りだったりしたら?

 彼は自分がそんな天候の中で坂を登っているところを想像してみる。傘をさし、足元が濡れ、舌打ちをしながらここを歩いている俺。
 そうしたら、今、心の中にあるのは、お天気のことだけに違いないのだ。どうしてよりによって今日がこんなお天気なんだ、頼むからせめて雨だけは降らないでくれ、贅沢は言わないからなんとか止んでくれ、なんでこんなにツイてないんだと、今どろ空の上の誰かを罵ったり、誰かに祈ったりしているだろう。
 だけど、実際のところ、今日は、こんなにも素晴らしい、あっけらかんとしたお天気なのだ。
風もなく、ぽかぽかして、秋の一日を外で過ごすのには最高の晴天。だから、俺はたちまち天気のことなど忘れてしまう。その幸運を当然だと思い込み、もし今後ろから友達に声を掛けられたら、あっというまに頭から天気の話題など消え失せてしまうに違いないのだ「とおるちゃーん」
後ろから思い切り肩をどつかれ、その痛みに多少腹を立てつつ振り返った融は、たった今自分がした予想通り、すっかり天気のことなど忘れてしまった。
「いってーな」
「おはよう」
後ろから来た戸田忍が、どついたあとに続けて膝ヵックンをしようとする気配を察知し、融は慌てて逃げた。
「やめて、膝はやめてっ。まだ怪我が完治してないんだよっ」
「あれ、そうだっけ?」
「頼むよー、これから丸一日歩くんだから」
「融がバスに乗っちまったら嫌だもんなあ」
「不吉なこと言うなよ」
「悲しいよな、これでバスに乗せられちゃったら」
「それだけは蹴搬だよ」
バス、という言葉がこれだけ不吉な言葉として囁かれるのは、世界広しと言えども、今日と明日の北高だけだろう。
一年生の頃の、夜間歩行のことを思い出す。まだそんなに遅い時問ではなかったし、団体歩行の三分の二が終わった辺りではなかったか。
腹痛を訴え、路肩で動けなくなっている、三年生男子がいた。教師たちが、後ろから来る救護バスに乗るようにしきりに説得していた。だが、彼はどう見ても重症なのに、頑なに首を左右に振り続けていた。歩く、みんなと歩く、と脂汗を流しながら必死に立ち上がり、またよろよろと歩き始めるのだが、数メートルもいかないうちに、苦痛のあまりしゃがみこんでしまうのである。
友人に肩を支えられて次に立ち上がった時、彼は泣いていた。
あの時は、こんなことで泣くかよ、と思ったものだったが、今にして思えば彼の気持ちはよく分かる。高校生活最後のイベントを、途中で一人だけやめてしまうなんて、考えるだにゾッとするではないか。しかも、入学した時からさんざん大変だぞと脅され、実際参加してみて何の因果でこんな行事がと呪い、卒業生が懐かしそうに語る理由が三回目にしてようやく分かってきた今になって、この一日を最後まで経験せずに終わらせてしまうなんていうのは、本当に本当に恐ろしいことだ。
「おまえ、やっぱ明日走らないの?」
「実は、まだ決めてない」
隣に並んで歩き始めた忍に聞かれて、融は煮え切らない返事をした。
校門に向かう坂は、リュックやナップザック、もしくはいつものデイバックを背負って登校してきた白いジャージ姿の生徒でいっぱいである。北高の体操着は、上下共真っ白と決まっている。
汚れは非常に目立つし、運動していてもどこか問抜けな感じがするし、膨張色だし(と女子が嫌がっていた)、あまりメリットは感じない。だが、それもこれも、年に一度の、今日と明日のこの行事のためだ。夜間歩いていて目立つためには、紺や嚥脂では駄目なのだ。全校生徒が移動していることを世に知らしめるためには、やっぱり白でないと。
忍は今年初めて同じクラスになった奴だが、とてもうまの合う男だった。高校生活のほとんどは、硬式テニス部の友人を中心に推移してきたが、高校三年で忍と友人になれたのはラッキーだったと思う。テニス部の連中が、どちらかと言えばグループ全体が仲問という家族的な雰囲気だったのに比べて、忍は本当に、こそばゆい言葉だが一対一の親友という感じがしたのだ。
「テニス部の奴らと一緒に歩くのならそうしろよ。膝が治り切ってないんなら、なおさらだ。俺は、どっちにしても走るからさ」
忍は融に気を遣ったのか、さらりと言った。
「足の状態も分からないから、今夜歩いて決めるよ」
「そうだな。それがいい」
朝の八時から翌朝の八時まで歩くというこの行事は、夜中に数時間の仮眠を挟んで前半が団体歩行、後半が自由歩行と決められていた。前半は文字通り、クラス毎に二列縦隊で歩くのだが、自由歩行は、全校生徒が一斉にスタートし、母校のゴールを目指す。そして、ゴール到着が全校
生徒中何番目かという順位がつく。もっとも、順位に命を懸けているのは上位を狙う運動部の生徒だけで、大部分の生徒は歩き通すのが最大の目標であった。
だから、自由歩行は、仲の良い者どうしで語らいながら、高校時代の思い出作りに励むのが通例である。誰と一緒に歩くかは、ほとんどの生徒が事前に決めていた。ただし、自由歩行と言っても時問制限があるから、最初のうちはある程度走って距離を稼いでおかないと問に合わな
い。それに、既に一晩歩いて疲れ切っているので、思い出作りどころではない生徒も多いのである。
融は、テニス部の三年生に誘われていた。五人ほどのメンバーで一緒に歩こうというのだ。
もちろん、高校生活の大半を一緒に過ごしてきた連中だし、彼らとイベントをしめくくるのも悪くはない。
だが、融は、今回は忍と一緒に二人でゴールしたかった。どうやら忍の方でもそう思っているらしい。けれど、忍は融がテニス部のみんなに誘われているのを知っていたから、遠慮している。
彼は水泳部に所属しており、毎年一人で走って結構いい順位に入っていた。
それでも、今年の北高鍛錬歩行祭が近付くにつれ、忍が「走る?走らない?」と聞くようになった。「走る」は、忍と二人で自由歩行をすることだ。「走らない」は、テニス部のみんなと歩くという意味。そして、今朝になっても融はまだ迷っている、というわけなのだ。
「おっ、甲田と遊佐だ」
忍が前方を見て顔を上げた。
「あの二人が仲いいのって、ホントに不思議だよな」
そう言って、忍がちらりと融を見るのが分かる。
こいつ、疑ってるな。融は彼の視線に気付かないふりをしながらそう思った。
やっぱり日焼け止め持ってくればよかった。
つんと澄み渡った秋の朝を味わいながらも、甲田貴子は自宅の洗面所で最後まで持っていくかどうか迷っていた、日焼け止めクリームの赤いケースを思い浮かべていた。
抜けるような青空、とはまさにこのことだ。嬉しいけれど、これが数時問後にはげんなりするような暑さになることも予想できる。
体力に自信がないわけではないけれど、根っからの軟派な文科系を自認している貴子にとって、一番耐えがたいのが暑さである。
「おはよう貴子」

(本文P. 3〜7より引用)



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