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 サウダージ
著者
盛田隆二/〔著〕
出版社
角川書店 角川文庫
定価
税込価格 460円
第一刷発行
2004/09
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ISBN  4-04-374302-5
 
「盛田隆二が書きつづけているのは、居場所を探す者たちの旅である」 北上次郎
 

本の要約
「サウダージ」、それは、失われたものを懐かしむ、さみしい、やるせない想い―。日本人の父とインド人の母の血をひく裕一。若いパキスタン人労働者シカンデル。日系四世のルイーズ。裕一の行きつけのバーの雇われママ、フィリピン人女性ミルナ。それぞれが癒しがたい喪失感を抱きながら、東京に流れ着き、出会い、そして別れていく。人々の胸に去来する、やるせない想いを描く傑作長編。



オススメな本 内容抜粋

そこにいない人と暮らすことを彼はよく夢見たものだ


一九九〇年八月二十五日(土)

ラジカセのスイヅチを入れると、MCハマーがボリューム一杯の音量で唄いはじめた。
「ごきげんだろ?」とシカンデルが言った。
「さっき、ビックカメラで買ってきたんだ」
「持って帰ったら喜ばれるだろうな」と風間裕一は言った。
シカンデルは少しだけボリュームを下げた。
「なんだって?」
「故郷に持って帰ったら、みんな喜ぶだろうな」
裕一がくりかえすと、もちろんだよ、とシカソデルは指を鳴らした。
「ラジオなんて村長の家にしかなかったからな。雨が続くとみんな村長の家に集まって、ダムや貯水池や運河のニニースを聴くんだ」
裕一はうなずき、ハンカチで首筋の汗をぬぐった。窓は開け放たれているが、風はまったく入らない。
六十階建ての高層ビルが目の前にそびえ立っている。まるで巨大な滝だ。
いまにもこちらに倒れかかってくるように見える。
シカンデルはこの部屋を四人のパキスタン人と共同で借りている。
だが、彼らと顔を合、わせることはほとんどない。
四人とも深夜の東京駅で新幹線のメンテナンス作業をしているからだ。
彼らはシカンデルが仕事に出かけたあとに帰ってくるし、シカンデルが戻ってくるころにはすでに出かけている。
アパートには中国人やタイ人も住んでいるという。
「ラマダンのことは知ってるよな」
シカソデルが洗面器に小麦粉を入れながら言った。
「いや」と裕}は首を振った。
「詳しくは知らない」
「嘘だろ、兄貴」
シカンデルは振り向き、ひどく驚いた顔をしてみせた。
裕一は日本人の父とインド人の母の血を半分ずつ引いている。
母親からは癖の強い髪と彫りの深い顔立ちを譲り受けたが、肌の色は一般の日本人とほとんど変わらない。ボンベイで生まれ、ロサンジェルスで育ち、日本の地を初めて踏んだのは十三歳のとぎだった。
「第九の月になると、日の出から日没まで断食をするんだ」
水道の蛇口を開き、小麦粉に少しずつ水を注ぎながら、シカンデルが話しはじめた。
「夜になって月が昇ったら中庭に出て、チャパティを少しだけ食べる。政府は新月が昇ったかどうかを調べるため、毎日飛行機を飛ぽして観測するんだ。そして新月が昇ると爆竹を鳴らして、一晩じゅうお祝いをする」
パキスタン説りの英語でそう言うと、シカンデルは自慢の口髭をひくひくと動かした。
少しでもおとなっぽく見せようとしているが、その顔はひどく幼い。
履歴書では二十三歳になっていたが、十八か、せいぜい十九にしか見えない。
日本語はどれくらい話せるのか、と裕一は訊いた。
一か月ほど前、面接をしたときのことだ。シカンデルは首を振り、黙ってうつむいた。
履歴書には「日常会話レベル」と書いてあった。
しかし、それはブローカーが書いたものだ。
記入された内容などほとんど信用できない。
パスポートも偽造の場合が多かったが、裕一は入国管理局の係官ではない。
本人の働く意志を確認できればそれでよかった。
「まあ、これから少しずつ覚えていけばいい。それよりシカンデル、いい名前だね」
裕一がそう言うと、シカンデルはうつむけていた顔を上げ、うれしそうに片目を閉じてみせた。
シカンデルとは、ウルドゥー語でアレクサンダーを意味する名前だった。
派遣手続きは簡単だった。シカンデルが入国管理局のブラックリストにあがっていない日本語学校の入学証明書を持っていたからだ。
もっとも、彼が学校に通うような時間などありはしない。その費用は月々の給料から差し引かれ、ブ・ーカーに振り込まれることになっている。派遣先は大手商社の社員食堂だった。
派遣一日目の朝、商社の担当者から連絡が入った。受話器の向こうでシカンデルの上ずった声が聞こえていた。裕一は状況を確認したあと、シカンデルに代わってもらった。

 

 

(本文P. 7〜9より引用)


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