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 7月24日通り
著者
吉田 修一
出版社
新潮社
定価
税込価格 1365円
第一刷発行
2004/12
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ISBN4-10-462803-4
 
この恋を取れば、きっと傷つく。でも、あなたが選んでくれるなら、それだけでいい。
 
7月24日通り 吉田 修一

本の要約

普通の女には、平凡な未来しかないのかな?? でも、一度くらいはドラマみたいな恋をしてみたい――。平凡なOL・小百合に差し伸べられたのは、高校時代、誰もが憧れていた先輩の逞しい腕だった。不幸な恋の結末を予感しながらも、自分の気持ちに正直に生きようとする小百合の「いま」。最も注目される作家が紡ぐ、恋の奇跡!

吉田修一 (よしだ・しゅういち)

1968年、長崎県生まれ。法政大学経営学部卒。1997年、「最後の息子」で文學界新人賞を受賞。2002年、『パレード』で山本周五郎賞、「パーク・ライフ」で芥川賞を受ける。主な著書に『東京湾景』『長崎乱楽坂』『ランドマーク』『春、バーニーズで』などがある。



オススメな本 内容抜粋

1・モテる男が好き!

今朝、港で蝶の死がいを見つけた。
最初、ハンカチかと思ったが、近寄ってみると、黒い羽根に黄色い模様のある大きなアゲハ蝶だった。
一瞬、どうしてこんな時期に、と首をひねってみたが、よくよく見てみると、なんと胴体にピンが刺してある。標本にされていた蝶が、どういういきさつかは知らないけれども、港の岸壁に落ちていたのだ。
胴体に刺されたピンを見た瞬問、ちょっと背中がチクッとした。
足元のすぐ先が岸壁の突端だったこともあって、直角に海に落ちるその場所へ、自分のからだがふっと吸い込まれそうだった。
私はあわてて蝶の死がいを跳び越え、いつものように岸壁を歩き出した。
まだ午前中だというのに、目が痛くなるほど真っ青な空だった。
その真っ青な空が、港の水面にも映っていた。
月曜日から金曜日まで、私は毎朝7:16のバスに乗る。
ときどき、バスが遅れることはあっても、私自身がそのバスに乗り遅れたことはない。
「ジェロニモス修道院前」の停留所を出たバスは、小さな丘をいくつか越えて市街地に入る。
右手に海を見渡せる道に出ることもあるのだが、たいていは平凡な建売住宅が並んでいるだけの市道で、たまに見かけるコカ・コーラの赤い自動販売機でさえ、そこに置かれているとハッとさせられる。
バスはオフィスのあるガレット通りまでいくのだけれど、私は毎朝その二つ手前の停留所で降り、日々その色を変える港を眺めながら、岸壁を歩いてオフィスに向かう。
以前は退屈で仕方がなかったこの朝のバス通勤を、最近なんとなく楽しめるようになったのは、まだ行ったこともないポルトガルのリスボンという街の地形が、私の暮らす街とどこか似ていることを発見してからだ。
たとえばいつもバスに乗る「丸山神社前」という停留所の名前を、「ジェロニモス修道院前」と言い換えてみれば、右手に海を見ながら丘を越えて市街地へ入っていく経路は、リスボンの地形とそっくりで、だったらこの「岸壁沿いの県道」が「7月24日通り」で、再開発で港に完
成した「水辺の公園」は「コメルシオ広場」だ、などと言い換えているうちに、県庁所在地でもない、どちらかといえぱ地味な日本の地方都市に、リスボンの市街地図がすっかり重なってしまった。
もちろん、こんな馬鹿げた発見を、他人に話したことはない。
話したところで、同僚の梅木さんなら、「へえ、そうなの?」と、ちょっと驚いたふりをしてくれるだけだろうし、最近バイトで入った菜月ちゃんは、「リスボン?リスボンってアメリヵでしたっけ?」などと言い出しかねない。
ならば、いっそみんなには秘密にしておいたほうがいい。
ただ、最近ちょっと度を超しているような気がしないでもない。
先週だったか、菜月に取引先の場所を教えているとき、「ほら、中央駅の先にローソンがあるじゃない。そのビルの六階よ」と言ってしまった。菜月はぽかんとしていた。ヨーロッパではないのだから、そんな名の駅がこの街にあるわけがない。
岸壁をコメルシオ広場まで歩くと、目の前に海軍工廠が見えてくる。実際は、港の遊覧船を主とした地元フェリー会社の建物なのだけれども、どちらも船が関係するということで海軍工廠と呼んでいる。
この建物にぶつかる手前で岸壁を離れ、オフィスのあるガレット通りへと入っていく。
ガレット通りに入るとすぐに、とても古めかしいカフェがある。
入口に「NHK放映中」などと貼 り紙のあるこの店に、以前は見向きもしなかったのだが、これをコメルシオ広場脇のカフェだと思えば、通勤客用に店先で売っているサンドイッチにもどこか異国情緒がただよって、最近では毎日のようにここでミックスサンドと牛乳を買ってオフィスに向かう。
カフェの主人はいつも無愛想で、言葉を交わしたこともない。
ただ、今朝は珍しく奥さんのほうが店先に出ている。
「岸壁のほうは、寒かったでしょ?風が強くて」
一瞬、どうして岸壁を歩いてきたことを知っているのだろうかと思ったが、店先からは海軍工廠先の岸壁が丸見えだった。
「何か海に落としたの?」
奥さんにそう問われ、「え?」と私は訊き返した。
「なんか、ほら、あそこで立ち止まって下を覗き込んでたから」
「あ、いえ。岸壁に蝶々が落ちてたんですよ」
「蝶々?この寒空に?」
「なんか、ピンが刺さってたから、たぶん……」
そう言うと、奥さんはまるで自分がピンで刺されたように顔をピクッとしかめてみせた。
サンドイッチと牛乳の入った紙袋を受けとると、通りの向こう側から、「本田さ〜ん!」と叫ぶ菜月の声がした。
決して狭い通りではないのだけれど、菜月の甲高い声は、まるで背後に立っているかのように聞こえる。
ふり返って菜月に軽く手をふった。
なかなか変わらぬ信号に地団駄を踏みながら、通りを走り抜けていく車を、恨めしそうに一台ずつ目で追っている。
置いて歩いていくわけにもいかず、横断歩道の手前で待っていると、信号が変わるなり走り出してきた菜月が、「大ニュース!大ニュース!」と周囲をはばかることもなく、大声を出して近づいてくる。
「な、何よ?」
体当たりしてきそうな菜月をよけながら私は訊いた。
「け、今朝、バ、バスでえ、私の前に、だ、誰が立ってたと思います?」
息切れしながらも、菜月は気味悪いほどニヤニヤしていた。
「誰よ?」
私は素っ気なく訊き返した。
「本田さんの弟さんですよ!耕治くん!」
「耕治?」
「そう。耕治くんがあ、私の前にずっと立ってたのお〜」

(本文P. 5〜9より引用)



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