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 準備だけはあるのに、旅の
著者
内田春菊 /〔著〕
出版社
中央公論新社
定価
税込価格 1575円
第一刷発行
2004/09
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ISBN 4-12-003565-4
 
わがままおやじに怒る貴女、生意気女に憤る貴男に内田春菊が贈る、シュールでブラックな傑作長編小説。
 

本の要約
大王様、どうぞ永遠にそのままでいらして。わたくしども女こどもは、別の国へ旅立ちます―私の人生を、あんたなんかの思い通りにされてたまるもんか。歪んだ王国の最期を描く、バイアス長編ファンタジー小説。



オススメな本 内容抜粋

「なんだかえる志が、可哀相みたい」
える志のお通夜に来たえる志のお姉さんがそう言いながら泣いて帰るのを見ていたまよ子は、突然悲しい気持ちに襲われてしまった。
今まで気が張っていて、感じていなかったのだろうか。
いや、まよ子はえる志が死んだことを信じてなかったのかもしれない。
今までまよ子は、ずっとえる志と暮らしていく自分を想像していた。恋愛中は別れようと思ったこともあったが、結婚してからはただただえる志との未来について考えた。
だけど突然、階段から落ちて頭を打ち、ほんとにあっけなくえる志は死んでしまった。こうなって初めてまよ子は、自分とえる志の人生は別々だったことに気付いたのだ。
「える志はあたしのこと、生き返らせてくれた人かもしれないのに……」
そんなことはない、俺は何もしなかったとえる志は言い続けていたが、彼が役所や病院に出かけては何かを訴えているところを見た人がいるのだ。
その人は言った。
役所の受付のおじさんとおばさんが泣いてごまかそうとしても、える志は断固として語り続けていたと。
「あそこのおじさんとおばさん、特におじさんがなんだけど、すーぐ泣いてごまかすんだよ。きっとまよ子さんのことも、ろくに調べもせずに対応したに決まってるよ。だけどえる志くんはがんばってたよ。まよ子のことを知りもしないくせに泣いてもらっても嬉しくないって言ってた
よ」
その人の話をきいているうちに、まよ子は左脇の下がしくしくと痛んだ。
そこの肉がなぜかえぐれてしまっていて、生き返ってもそこだけ元通りにならないのだ。それも、なんだか引きちぎられたようになっている気がする。
「私の肉はいったいどこへ行ってしまったのだろう」
そもそも私はいったい、何が原因で死んだのか。気がついたら死にかけていて、そこを何人かの人が見守っていた、それだけは覚えてる。
その中にえる志はいなかった。いなかったと思う。記憶にあるのはじゅうじゅうという音。香ばしい匂い。近くの家で夕飯の準備でもしていたのだろうか?
もしかしたら生き返るときにここの肉がなくなってしまったので、それが申し訳なくてえる志は私に恩着せがましいことを言わなかったのでは?
まよ子はえる志に対してもう、批判的な気持ちになることはなかった。結婚する前はしょっちゅうなっていたのだが、まよ子自身はもうそれを忘れてしまっている。ずっと昔からえる志を愛し、思いやる、従順な自分だったと思いこんでいる。一度死んだ時にそうなってしまったのだろ
うか?
「まよ子さん」
声を掛けたのは、える志の母親だった。
「疲れたでしょう、少し休んだら?」
「ああ、ありがとうございます。でも」
「もっとなり子が手伝ってくれると思ったんだけど、泣いてばっかりいて、さっさと帰っちゃって」
コ一人でいられるのも、今日明日までですし……」
「実の姉なのにねえ。結婚したらもうあっちが大事なのかねえ。今どきそういうのもあんまし聞かないけど」
「そういうの、とは……?」
ついにえる志の母親の話題に引きずり込まれるまよ子。
「昔は女の子が嫁に行ったらもう向こうの人間ってことだったけど、今はみんなしょっちゅう実家に帰って来るし、娘をやったって感じにはならないって。なのになり子は変わってる。ぜんぜん帰って来ない。あたしが孫の顔見たくてうずうずしてるの知ってるくせに、ちっとも連れてこないの。あの子はねえ。なんか、兄弟の中で一人だけ公立受からなかったしねえ、それで良い結婚も出来なかったからねえ。卑屈になってるのよねえ。それで向こうの言いなりになって。里帰りくらい好きにすればいいのに。正月だって向こうの実家ばっかし。向こうの実家だけでなく、向こうのお父さんの実家にまで里帰りするのよあそこ。ぞろぞろぞろぞろ。生きてる限り孫もひ孫も玄孫だってきっとぞろぞろぞろぞろ。きつとお父さんマザコンなのよ。やっぱ公立受からなかったからそんな人としか知り合えなかった」
「はあ……」
どうして結婚と公立受かんなかったことと関係あるんだろ、とまよ子はぼんやり考えた。
「まよ子さんは?」
「私ですか?里帰りって言っても−…」
「じゃなくて。まだしてないの?」
「え。何を……」
「だから、妊娠」
「えっ聲」
考えてもみなかったまよ子は思わず大きな声を上げてしまった。
「いやそんな。ってわかんないけど、ええと多分」
「あーいいのいいの言わないで。ダメかも知れないけど、もしかしたらってあたしも楽しみに取っておきたいから」
「………」
「もちろん妊娠してたらうちに来てもらって、生活から何からうちが見ますから。ね。ね」
える志の母親は、そう言いながらまよ子のお腹をじろじろ見た。まよ子は気持ちが悪くなって席を外した。
トイレから出ると、目の前にえる志の母親が立っていた。
「きゃっ」

(本文P. 10〜13より引用)



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