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 6ステイン
著者
福井 晴敏 著
出版社
講談社
定価
税込価格 1785円
第一刷発行
2004/11
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ISBN 4-06-212641-9
 
存在を秘匿された組織、市ヶ谷−−防衛庁情報局で過酷な任務に身を投じる工作員の男たち、女たち。20世紀にいくつかの「染み」を残した彼らへの、6編の鎮魂歌。
 
6ステイン

本の要約

ファン待望の初短篇集、ついに刊行!
存在を秘匿された組織、市ヶ谷――防衛庁情報局で過酷な任務に身を投じる工作員の男たち、女たち。20世紀にいくつかの「染み」を残した彼らへの、6編の鎮魂歌。

いまできる最善のこと/畳算/サクラ/媽媽/断ち切る/920を待ちながら

 



オススメな本 内容抜粋

「……そうじゃない。いきなり女の話なんか持ち出すな。相手はあの旅芸人みたいなニヤケ面で、主婦層の支持を取り付けてる若手議員だぞ?なによりスキャンダルを恐れてる御仁にそんなことしたら、それこそ逆効果になんだろうが。自分からサイン出してくるまで、女をあてがうような真似はすんな。わかったな?」
そこでさらに電波状況が悪化したのか、携帯電話ごしに聞こえる部下の声がほとんどノイズにかき消された。
ここで失探したら、上総川間駅を過ぎるまで通話は絶望的になる。
八人がけの長座席の下から這い上がってくる、ディーゼルエンジンの振動も通話困難に拍車をかけており、ひとさし指で片耳を塞いだ中里裕司は、「もしもし、聞こえてるか?」と何度目かの大声を出していた。
「なれない接待役で、大変なのはわかってるさ。おれだって行けるもんならすぐにでも駆けつけてるよ。でもしょうがないだろ?この『おサルの電車』のチンタラぶりはおまえもよく知ってんだろうが。ここいらじゃレンタカーなんて気のきいたもんはないし……。とにかくな、地元コンサルの突き上げで受注が危うくなってるって時に、談合体質の抜けない営業の連中だけに任せとくわけにはいかねえんだ。
技術のわかる人間が中に入って、環境アセスやらなにやら、素人にもわかるように説明してやんなきゃ。
……そうだよ。
いまはどこだって必死なんだ。
これからは技術の優位性と、それを上手に宣伝する口がモノを言うんだからな。おれもできるだけ早く合流するから─」
そこまで言った時、バタバタと木製の床を踏み鳴らす足音が「ピッカピッカ、チュー」の奇声とともに目前を通りすぎ、部下の返事を聞こえなくしてしまった。
小学二、三年生といったところだろうか。もこもこと着ぶくれたダウンジャケットに、流行ものの七分ズボン。
まだ光沢の残るランドセルに定規を覗かせ、養老渓谷駅からこの車両に乗り込んできた少年は、以来片時も休まず、車内の端から端を行ったり来たりしているのだった。
喉まで出かけた怒鳴り声をどうにか呑み下した中里は、途切れがちな携帯電話にしがみついているだろう部下の声に意識を戻した。
彼が赤坂の料亭で接待に四苦八苦している相手は、かつて部会長を務めていた父親の七光りを浴び、建設族の若手ホープと目される新進の二世議員だ。
技術畑一筋できた部下には、荷が勝ちすぎる仕事であることは承知だが、三日間降り続いた秋の長雨が鉄砲水を引き起こし、自分が図面を引いたトンネルの掘削に大幅な遅れが出そうだと聞けば、施工管理を請け負う建設コンサルタント会社の担当として、じっとしているわけにもいかない。
ともかくも千葉県大多喜町にある現場に向かい、泊まり込みで対策を立てて復旧の目途をつけてきたばかりの中里は、房総半島南部を縦走するこの「おサルの電車」ー小湊鉄道の終電に揺られている身だった。
もはや希少価値のディーゼル駆動車両は、朝夕のラッシュ時でも二両連結が精一杯で、山間の単線をゴトゴトのんびり走るさまは、ふた昔前の遊園地の定番だった「おサルの電車」のあだ名が相応しい。
JR五井駅と上総中野駅を結ぶ間にある駅は、半分がホームとプレハブ小屋だけで構成される無人駅というありさまで、通勤通学の時間を過ぎればほとんど乗る者もなかった。
お陰で日本で二番目に高い運賃を誇る列車は、鹿や狸が線路上に出れば一旦停止する人の好さも誇っており、時間に追われてあちこち現場を飛び回る身には不便なことこの上ない。
いつもは車で行き来しているのだが、急に持ち上がった接待のため、部下を車で先に帰してしまったいまの中里にとっては、東京に続く唯一の交通手段であることに違いなかった。
五井行き最終の上り線はもちろん一両編成で、運転手と車掌が前後に詰める車両には、自分とランドセルの背中しか見当たらない。運転席の扉前できびすを返し、スキップでこちらに戻ってきた少年から目を逸らした中里は、携帯電話を耳に当て直した。
「で、どうなんだ。
先生、そんなに揺れ動いてる様子か?……ったく、先代からのつきあいかなんか知らねえけど、地元の弱小コンサルに泣きつかれたぐらいで、うちをどかすような素振り見せやがって。
これだから建設業界の評判が落ちるってんだ。……え?向こうはこの工事が受注できなければ倒産する?バカ、そんなこと気にしてどうする。これは商売なんだぞ。
うちが強引に横取りしたなんて、そんなこたあ関係ねえ。うちの施工方法が、向こうより優れてるのは間違いない事実なんだからな」
そろそろ葉を落としつつある木々が、車内から漏れる光に幽鬼のような姿を浮かび上がらせ、窓外を流れていた。そこに映った、四十がらみの中間管理職がすっかり板についた自分の顔を見
ながら、中里は躊躇の声を出し続ける部下を遮った。
「新聞の切り抜き、ちゃんと見せてんだろうな?そう、おれと建設大臣がにつこり握手してる
例のやつ。業界紙じゃダメだ。素人には新聞の方がハクがつくからな。おれが中心になってプロ
ジェクトを進めるってところを強調してだな、環境大賞を取ったうちの会社が工事を引き受けれ
ば、地元の評判もあがるってさりげなく吹き込むんだ」
窓ガラスに反射する自分の顔がそう言い、五年前には想像もできなかった豹変ぶりに、これは本当におれなのか、こうしてハーフコートを着こみ、携帯電話を片手に部下に指示を飛ばしている男は何者だと、いつもの感慨を抱いた中里は、ふとまったく別の顔がそれに重なるのを見て、続ける言葉を一瞬呑み込んでしまった。
どこかでいまの生活を借り物のように感じている自分を喧い、窓ガラスに浮かび上がった顔は、環境アセスメントに配慮した画期的なトンネル工法を考案し、建設大臣から賞状を受け取るはずだった男のもの。中途採用でもぐり込んだ自分とは対照的に、三十代前半でトンネル部の副部長を任じられながら、スキャンダルに足をとられて社を追われていった元エリート社員の顔だった。
特に恨みがましい様子もなく、淡々とした無表情をこちらに向ける幻影を見据えた中里は、
「……強い奴が生き残り、弱い奴はおっ死ぬ。正真正銘、これからはそういう時代なんだ」と、
電話と自分の両方に言った。男の顔は消え去り、五年前に較べればだいぶ脂をつけた自分の顔が、窓ガラスに戻ってきた。
「地元コンサルが潰れようが、社長が首つろうがこっちの知ったこっちゃない。必死なのはこっちも同じだ。成り上がり者のおれがしくじるのを、てぐすね引いて待ち構えてる奴が社に何人いると思う?今度の工事をきっちり仕上げれば、連中を黙らせることだってできる。だからおまえも……」
ひどくなったノイズが、部下の返事を消し去る。最大になっている携帯電話の音量を確かめ、舌打ち混じりに「もしもし」とくり返した時、再び「ピッカピッカ……」の声が目前を横切っていった。
これで六度目。あからさまに顔をしかめ、足を組み直してそれをやり過ごそうとした途端、スキップする運動靴が思いきり中里の革靴を踏んづけてくれた。
いら立ちで逆立った神経を、文字通り土足で踏みつけられたようなものだった。気づいているのかいないのか、ランドセルの背中は謝りも振り向きもせずに後部の車掌室へと去ってゆく。
もう我慢ならない。受話器から耳を離した中里は、「おい」とランドセルの背中を呼び止めた。
「おい、坊主」と重ねて、ようやく七分ズボンから突き出た足が立ち止まった。頬を赤く染めたまる顔が少し驚いたような表情を見せると、それはすぐに警戒の色に染まり、少年は無遠慮に中里のつま先から頭までをじろじろと睨みつけた。
「小便でも我慢してんのか?」
精一杯の抑制をきかせて言った中里に、少年はぶんぶんと首を振ってみせる。
「じゃ、おとなしく座ってろ」と中里は逸らさない目で言ってやった。
「歩けば電車のスピードが上がるってわけじゃねえんだから」

(本文P. 5〜7より引用)



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