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 思いわずらうことなく愉しく生きよ
著者
江國 香織 著
出版社
光文社
定価
税込価格 1890円
第一刷発行
2004/06
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ISBN 4-334-92435-2
 
自分のしたことに後悔なんかしないわ。 結婚して7年の麻子、結婚はしないけど同棲中の治子、恋愛なんて信じていない育子。のびやかで凛とした三姉妹の物語。
 

本の要約

強気な恋愛ばかり繰り返す34歳の次女・治子は代々木公園の見えるマンションで同棲中。阿佐ヶ谷のアパートに住み、自動車教習所の事務をしている29歳の三女・育子は、恋愛なんて信じていない。理解できる他人とのつながりは友情と信頼、肉体関係だけ。36歳の長女麻子は、「理由もなく暴力をふるうわけではない夫」と結婚して7年になる――。DV問題も絡めて、三姉妹の異なる恋愛のあり方を独特の文体で綴る恋愛小説。



オススメな本 内容抜粋

第1章

育ちゃんってば変ってるんだもの、あれじゃボーイフレンドなんかできっこないと思うわ、と、熱い湯で割った焼酎を畷りながら治子が熊木に言っているころ、当の育子はボーイフレンドとベッドの中にいた。
子猫が毛糸玉にじゃれている図柄の、クリーム色のネルのパジャマを着たままの育子は、毛布と羽根布団とに行儀よくくるまって、出会ってまだ日の浅いボーイフレンドの顔かたちを、検分しているのだった。
肌がきれいだな。
そう思った。
指先でそっと触れてみる。
やわらかい。
男は唇を半びらきにして寝息をたてている。
このひと、ヒゲをそる必要があるのかしら。
午前一時という時間を考えると、男の肌は、たしかにふしぎなほど滑らかだった。
育子は頬ずりをしてみる。
頬の感触は頬でたしかめるのがいちばんだからだ。
子供の肌みたい。
そして、そう結論づけた。
唇がややぼってりしているが、鼻すじはとおっている。
髪と眉は豊かだ。
額の狭いところがかわいい、と、育子は思った。
二人の姉同様育子も酒に強い。
今夜もビールと日本酒をいい加減のんだ。
それでも育子は身体があたたまっただけで、べつにどうということもなかった。
出会ってまだ日の浅いボーイフレンドは酔っ払い、育子のシャワーを待てずに寝てしまったというのに。
毛布の下で男の手首を探しあて、ひっぱりだして腕も検分する。
私とどっこいの筋肉だと、育子は思った。
なま白い腕。
爪はきれいに切り揃えられていて形がよく、清潔そうに見えた。
男は裸同然の恰好で寝ている。
二十六だと言っていた。
育子は先週二十九になった。
男の身体にぴったりくっついて添い、男の腕を自分に巻きつけてみる。
首と肩のあたりに。
育子は目をとじて、小さく息をすった。
子供のころ持っていた、キツネの顔つき衿巻を思いだした。
男の腕は、ちょうどそんなふうだった。
でも育ちゃんは、パワーあるから大丈夫だよ。
熊木は言い、いかの塩からを口に入れた。
そうねえ、と相槌を打ちながら、治子はしかし、全然ちがう、と思っていた。
私の言っていることはパワーとは何の関係もない、と。
でもそれを熊木に説明してもたぶん無駄なのだ。
熊木は男のひとだから。
男のひとというのは物がわからないようにできているのだ。
育子の問題は、と、だから治子は胸の内だけで考える。
育子の問題は、むしろパワーがありすぎることなのだ。
「心配?」
熊木に尋ねられ、治子は呆れて首を横にふった。
「まさか。あたしたちおなじ釜の飯で育ったのよ。おなじ釜の飯で育った姉妹っていうのはね、心配なんてしないものなの」
熊木はおもしろそうに笑って、へえ、と、こたえた。
箸で塩からをつまみ、治子の前にさしだす。
治子は目を閉じて口をあけ、ぬらりとして身のつめたく張ったそれを嚥み下すと、ああ、と感に堪えたため息を吐いた。
おいしいものを食べると幸福になる。
「こっちに来て」
手をひいて熊木を立たせ、寝室にいく。
治子が熊木と暮らし始めて二年になる。
熊木は、スポーツライターといえばきこえがいいが、つまりはあまり収入のない物書きで、気の弱いところがいとおしい、と、治子は感じている。

(本文P. 3〜5より引用)


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