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 残虐記
著者
桐野夏生/著
出版社
新潮社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2004/02
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ISBN 4-10-466701-3
 
薄汚いアパートの一室。中には、粗野な若い男。そして、女の子が一人――。 
 

本の要約

失踪した作家が残した原稿。自分は、二十五年前の少女監禁事件の被害者だった……。奔流のように記される、自らが封印してきた悪夢のような記憶のすべて。

失踪した作家が残した原稿。そこには、二十五年前の少女誘拐・監禁事件の、自分が被害者であったという驚くべき事実が記してあった。最近出所した犯人からの手紙によって、自ら封印してきたその日々の記憶が、奔流のように溢れ出したのだ。誰にも話さなかったその「真実」とは……。一作ごとに凄みを増す著者の最新長編。



オススメな本 内容抜粋

文潮社出版部書籍編集

矢萩義幸様

冠省矢萩様におかれましては、益々ご清祥のことと思います。
初めてお手紙を差し上げる非礼をお許しください。
小生は「小海鳴海」こと生方景子の夫です。
妻がいつもお世話になっております。
矢萩様に小生がこのような手紙をしたためることになるとは、誠に遺憾であります。
何卒、驚かれませんように、と最初に申し上げておきます。
実は、妻が失腺して、すでに二週間になります。まるで散歩にでも出かけるように、ふらりといなくなりました。
現在のところ、何の連絡もありませんので、不安でないと言ったら嘘になります。
しかし、気まぐれな妻のことですから、いつか帰って来るだろう、と小生も肚を据えて待つつもりです。幸い、雑誌連載などの仕事はお断りしていた模様ですので、多方面にご迷惑をかけずに済んだと安堵しております。
同封した原稿「残虐記」は、妻の机の上にプリントアウトして置いてあったものです。
タイトルの横に「文潮社.矢萩様に送付してください」と書いたポストイットが貼ってありましたので、もしやお待ちの原稿ではないかとお送りした次第です。このポストイットが唯一、妻の残した書き置きです。
妻に何が起きたのかは不明ですが、もしかするとこの原稿に書かれたことと関係するのかもしれません。
率直に申し上げますが、小生は矢萩様に原稿を送付するのを、しばらく躊躇しておりました。
果たして、矢萩様にお送りすることが妻の本当の意思なのか不明であること、矢萩様には失礼ながら、妻の失腺が周囲に洩れてしまうのではないかという危倶、そして、出版界のどなたもご存じないと思われる、ある事実が白日のもとに晒される、という三つの理由からであります。
この原稿に書いてある事件は事実なのです。
小生が、驚かれませんように、と書きましたのはそのことです。
小生の妻、旧姓北村景子は、十歳の時にある男に拉致され、一年余を男の部屋に監禁されて過ごしました。
男は逮捕されて、妻は無事解放され、事件も結審いたしました。
妻も中学進学の折に新しい土地に転出したために、周囲の誰も、作家の小海鳴海が監禁事件被害者であることを知りません。
小生の知り得る限り、妻は事件について口を嘆んでいました。
デビュー作『泥のごとく』に事件のことが表れておりますが、妻が連れ去られる前に起きたとされる殺人死体遺棄事件が主たるモチーフになっていると思われます。
確か、当時の批評に「何年か前の児童監禁事件を想起させる」と書かれたように記憶しております。
また、デビュー作の編集者でもあられる矢萩様に、「高校生にしては大人びている。
どんな体験をしてきたのですか」と真塾に尋ねられた、と妻が語っていたのを覚えています。
以来、十七年間、妻の担当をされてきた矢萩様と妻とがどの程度、胸襟を開いて話をされていたかは存じませんが、おそらく、妻は事件について、ひと言も言及していないのではないでしょうか。
しかしながら、妻の沈黙は、たった一通の手紙によって破られました。
二十二年の長きにわたって罪を償い、出所した犯人の男から、妻宛に手紙が届いたのです。
小生も先程、「残虐記」を読み終えましたが、手紙の何が妻をして急に事件の回想をさせ、かつ失踪させたのかは不明であります。
ただ、妻にとって、封印したはずの事件が生々しく蘇ってきたのではないか、と小生は哀れに思います。
夫として無力だった虚しさも感じますが、小生は妻を待つつもりです。
男からの手紙は、「残虐記」の最初に付されております。作品の一部であろうと考え、敢えてそのままお送りいたします。
考えたくありませんが、もし妻に何かあった場合、原稿の扱いは協議して決めたいと思いますので、とりあえず送付いたします。
後ほど、電話でご連絡させていただきます。

不一

生方 淳朗

(本文P. 3〜6より引用)


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