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 痛み、失われたものの影、そして魔法 王国 その2
著者
よしもとばなな
出版社
新潮社
定価
本体価格 1100円+税
第一刷発行
2004/01
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ISBN 4-10-383405-6
 
今を生きる読者に宛てた、よしもとばななの、長い、長い手紙。ライフワーク長篇、第二部。物語の奥深くから、今、最初の光が届く。 
 

本の要約

泣きたい気持ちだった。不安でいっぱいだった。生きることの輪郭が日々ぼやけていくようだった。退屈にも似た淋しさから抜け出すにはどうしたら……震える魂を抱えた「私」は、光を探し求めていた。そしてそれは都会暮らしの、さりげない隣にあるようだった。忘れかけていた胸騒ぎよ、よみがえれ! 魂の色つやを守り抜け!

よしもとばなな (よしもと・ばなな)

1964年東京生まれ。主要な小説作品に『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』『白河夜船』『アムリタ』『とかげ』(以上新潮文庫)、『TUGUMI』『ハネムーン』(以上中公文庫)、『不倫と南米』(幻冬舎文庫)、『体は全部知っている』(文春文庫)、『ハゴロモ』(新潮社)、『デッドエンドの思い出』(文藝春秋)などがある。



オススメな本 内容抜粋

「うわあ、まただ。また、泣いて目が覚めた。」
私は思わず口に出してそう言っていた。
まるで何かを振り払うように。
それと同時に熱い涙が枕にぽたりと落ちた。
そして、窓の外ではすっかり明けた曇り空がぼんやりと世界を覆っていた。
町の音は不思議と聞こえず、だからといって静かなわけでもない。たまに鳥の声が響く。
車の音がばくぜんと流れているような気がする。遠くで、川の音みたいに。
耳鳴りのように。
帰りたい、帰りたいよう。もうここでは息ができない。
目が覚めたときはそれで頭がいっぱい、もうそれしか考えられない。
楓が旅立った楓の家で留守番のひとり暮らしをしはじめてから、たまに山の生活の強烈な夢を見るようになった。
夢の中の私はまだ山の上にいて、うるさいほどに響き渡る鳥の声だとかせみの声で目覚める。
透明な、朝の光が家の中をいっぱいに照らしている。
洗濯物がよく乾いていい匂いになるような、まだ若いけれど強い光だ。
私は家の中で普通に毎日のことをしはじめている。水をくんだり、庭掃除をしたり、朝ごはんのしたくをしたり。
空気がきれいで、空は穴みたいに濃い色をしている。
おばあちゃんの後ろ姿が机のところに見える。
当然の暮らしをしているのに、どうしてか私は泣きたくなって、不安でしかたなくなっている。
こんなにいつもの毎日なのに、どうしてこんなに悲しいんだろう?と心のどこかで思っている。
おばあちゃんが何か話しかけてきたり、食卓の上にあるいつもの器に盛られた漬け物を食べたり、薬草の乾きぐあいを見たり、洗濯物を取り込んだり……忙しくしているうちに私の心はどんどん沈んでいく。もう時間がない、もうすぐ目が覚めてしまう、だから、山の緑を見ておかなくては、心に焼き付けなくては!あと少ししか時間がない。
なんでかな?でもそんな気がする……。
そして私は何回でも、窓からじっとじっと、いつも見ているその山や空の形を見ている。
こんもりした緑、陰影のあるその木々の姿。見飽きるほどに見た、私の生活の小さなこと……敷居のところにいつも死んでいる虫や、山の湧き水で入れたお茶の味とか、やかんの取っ手の小さい焦げ跡だとか。
夢の中の私は気の毒なほどに一生懸命で、苦しそうで、せっぱつまっていて、まるで……死刑を前にした囚人のようだ。
そして、目が覚める。
山を降りた直後には、おばあちゃんがマルタ島に行ってしまってひとり暮らしになっても、山の夢をあまり見なかった。
普通に通いでここに来ていて楓がいたころにも、楓との仕事についていくのに夢中で、そんな夢を見るひまもなかった。
今頃になって余裕ができてきたからなのか、それとも、今になって失ったものの大きさに気づいたのか。
山の空気や水ばかりではなくて、もう漬け物をのせていたお皿も、見慣れたボロいやかんさえもこの世にはないのだ。みんな火事でなくしてしまった。

(本文P. 5〜7より引用)


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