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 私は薬に殺される
著者
福田 実 著
出版社
幻冬舎
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2003/11
e-honからご注文
ISBN 4-344-00428-0
 
あなたの飲んでいる薬は大丈夫か!?
 

本の要約

貴方の薬も決して安全ではないーー医者から出された薬のせいで、私は今、死にかかっている。データを過信して患者の真実を診ようとしないバカ医者と拝金主義医療の実態を暴く衝撃の闘病記!



オススメな本 内容抜粋

夢を追いかけて生きてきた。
歯を食いしばって何回も叩きのめされて、やっと夢をつかみ始めて、もっともっと大きくなれると思った時、副作用の説明も確認もせず、まして必要な血液検査もしない医者に夢をたたれ、今殺されようとしている。
医療過誤が叫ばれている。
無責任な医者や拝金主義の製薬会社によってどんどん人間が死んでいる。
本来ならこの本も、すべてがきれいに片付いてから書きたいのだが、体がどんどんつらくなり、書き始めておかないと自分でペンが持てなくなるので書き始めておく。

※なお本文に登場する人物名は部の方を除き仮名にしてあります

第一章流転

二十三歳で会社に入社して十年。
選んだ会社は順調に業績を伸ばし、バブルがはじけた世間の不景気とは関係なく、店頭公開(現・ジャスダック)から東証二部上場を果たし、次のターゲットである一部上場を狙っていた。
俺は、本社事業本部技術部長として、全国七十五オフィスのサービス部門のトップとして三百人の部下を統轄し、渋谷でバリバリ仕事をしていた。
入社七カ月で、埼玉県熊谷オフィスのチーフになり、一年で関東四オフィスのエリア長、一年半で関東八オフィスのセンター長、三年目で本社本部の副責任者となり、四年目からサービス部門トップになり、二十八歳で組織を自分の色にした。
毎月毎月が過酷なサバイバルゲームで、一年間の予算がクリアされなかったり、組織に問題があれば降格で、息が抜けるのは、毎月行われる全国のセンター長会議(部門幹部会)終了後に行う、”ごくろうさん会”だけだった。
その時は都内で思いっきり遊んだ。
それ以外では、三カ月に一回、温泉での宴会とゴルフ。
半年に一回、報奨旅行で海外でのゴルフとマリンスポーツ。
これだけが唯一リラックスできる時だった。
一日十五、六時間仕事をして、もっともっと本物になってやると燃えていた。
年収も仕事の結果でアップし続けた。
二十六歳で六百万円、二十七歳で八百万円、二十八歳で年収一千万円をクリアさせてもらった。
入社十年目、三十三歳の時には一千五百万円位だった。
入社五年目には会社が買収したアメリカ・ロサンゼルスの会社にも、会社幹部の交換社員として行かせてもらい、課長、次長、部長と昇進した時はすべて最年少記録を塗り替えた。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで、部下の結婚式では、どこでも主賓として招待してもらっていた。
どこの会社の管理職にも、業績と仕事内容では絶対に負けないというプライドに満ちあふれていた。
会社は、大学を卒業した新卒者二百名から三百名位を毎年採用していた。
大学を出て五、六年のメンバーが中心で組織を回していて、若さイコールパワーだった。
年一回の社員旅行も全国から二千人の社員が海外に現地集合し、平均年齢が二十七歳と若いので、仕事も遊びもバリバリはじけていた。
俺はサービス部門でも売り上げノルマを入社以来一度も落としたことはなかった。
サービス部門は受身で固定給制の会社が多いが、このシステムを変えてもらった。
メンバーのやる気が変わるからだ。
自分たちの部署は自分たちで守るため、バンバン売り上げを伸ばした。ゼロだった売り上げを七年で六億まで引っぱりあげ、営業や間接部門でリストラがあっても、完壁にリストラゼロで部下を守った。
同時に内部での経費削減は徹底して行い、部門内利益も出し、将来は分社しようと思っていた。
分社して初めて部下を食わせたと言える。
ここまでは、サラリーマンとしての夢をすべて実現してきた。
三十二歳で実家のある埼玉県に家も建て、二男一女の三人の子供にも恵まれた。
自宅から本社のある渋谷までクルマで通勤していたが、課長以上は、会社がトヨタマークUを三年ごとに新車リースしてくれ、ガソリン代、高速代、駐車場代を含め月六万円を経費としてくれて、仕事をする上で物凄いバックアップをしてくれていた。
実績を正当に評価してくれるこの会社で、もっともっと本物になりたかった。
部長を三年やって、次は役員、年収三千万円を目指していた。
夢は自分の力で手に入れられると思っていた。
そんな時期だった。
一九九六年十月、三十三歳になろうとしていた時だ。
ちょうど半期の決算が終わり、全国から選ばれた優秀社員二十名とサイパンに出かけ帰ってきたところだった。
渋谷のクリニックで、年一回の会社の健康診断を受けた。
入社時より体重が10キロ増え、動悸がすることがあった。
毎日の面談、社内接待。
家庭。
仕事のストレスで飲みたくもない酒を飲むことも多かった。
当時、身長178・3p、体重89・2s。
健康診断の結果は、高脂血症。トータルコレステロール257・中性脂肪651(当時の正常基準値はトータルコレステロールー50〜219・中性脂肪50〜149だから数値的にかなり高いものだった)。
高脂血症は、血液中の脂質が必要量よりも異常に多い状態をいう。
この状態が続くと動脈の内側にコレステロールが溜まり、血液の流れが悪くなる。
これが動脈硬化で、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こすことがある。
動悸の原因が分かった。
自分の体をきちんと管理しないと、部下の管理もできない。
それは二十八歳の時からはっきり分かっていた。
二十八歳で組織を持った時、部下は百人ちょっとだったが、自分の健康をきちんと管理するため、タバコをすっぱり止めたことがあった。
それまでは、日々のストレスと過労のため、一日一、二箱吸っていたタバコをだ。
自らの健康管理をきちんとできなければ、思いっきり戦えないことが分かっていたからだ。
もっときちんと健康管理しよう、そう思った俺は、健康診断後、毎晩、ウォーキングを始めた。
ここ数年間の不摂生で少しガタがきた体を鍛え直して、高脂血症くらいあっという間に治してみせると、運動とともに、食生活の改善をした。
仕事柄、外食がほとんどなのだが、動物性脂肪の多いメニューは避けた。
そば、うどん、魚、野菜中心の食事に変えた。
ただ、酒は仕事柄どうしても必要な時があったので、この時点ではやめられなかった。
体重はこのニカ月で8キロも減った。
一九九六年十二月二十四日、きちんと体を治すために、健康診断の結果を持って自宅近くの埼玉県H市民病院へ向かった。
ここは二十二歳の時からかかっている総合病院で、もう十年以上のつきあいになる。
高校二年の時に頭に毛嚢炎ができたが、その時は医者に行かなかったの
で大変だった。
二十二歳の時、初めて皮膚科に行き、十年くらい通って治した。
主治医の女医がいい先生で、それからずっと何かあればこの病院に行っていた。
カルテもあるし、一通りの検査はできるので利用していたのだ。
もちろん信頼もしていた。
内科に行き、血液検査をして高脂血症と確認され、治療のアドバイスを受けた。
同時に、キッセイ薬品の【ベザトール】という高脂血症治療薬を二十八日分出された。
この日から、ベザトールを飲み始めた。
四日後、ちょうど女房の誕生日の十二月二十八日のことだった。
近くの運動公園でウォーキングをしていたら、突然脈が飛び、不整脈が起こった。

(本文P. 5〜11より引用)

 

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