BOOKSルーエのおすすめ本 画像
 さよなら、ソニヤ
著者
アンジェロ・ロメオ/著 山内絵里香/訳
出版社
求竜堂
定価
本体価格 1200円+税
第一刷発行
2003/11
e-honからご注文 画像
ISBN 4-7630-0329-1
 
すべてを包み込む輝きをけっして忘れない。  素晴らしい一人の女性がいました。
 

本の要約

どこにでもある仲むつまじいカップル。毎日幸せいっぱい働き、人生を愛し楽しんできた。しかし、そんな彼らにも逃れることの出来ない試練が・・・。悲しい出来事や不安を抱えながらも、愛し合い楽しんで生きていくにはこうありたいという姿を見せてくれる、切ない二人の物語。手を取り合い、歩んできた二人が築いた「人生の輝き」とは?



オススメな本 内容抜粋

物語の前に
 ソニヤが癌と闘っている間、私の人生は希望と絶望のせめぎ合いの日々となった。
希望が絶望に取って代わられたり、絶望の淵から希望の光が見えたり・・・・・・。
 ソニヤを失った今の私は、虚無感に苛まれながら、その狭間で生きている。
彼女はもうこの世にいない。この事実を受け入れるのに、
あとどれくらいの感情の葛藤を堪えなければならないのだろう?
 だが、私には二人で分かち合った、たくさんの想い出と約束があることに心から感謝する。

 ソニヤが亡くなってから、今まで私の知らなかった「想い出」 がたくさん残っていることに驚いた。
それらは彼女が自分の楽しみとして書きためた小さなメモのようなもので、
この物語を書くのにとても重要な役割を旺たしてくれた。
いつか私と二人で行くつもりでいた楽しい旅行計画を書き記したメモもあった。
 本のページの間に丁寧にはさまれた四つ葉のクローバーを何枚もみつけたこともあった。
幸福を呼ぶという緑色の小さな葉。クローバーを手にした時、私は泣いた。
 ソニヤは観察力が非常に優れており、よく四つ葉のクローバーを発見しては摘んでいた。
しかし、もうこの小さなコレクションが増えることはない。

 私たち二人の人生は、ナチスによってヨーロッパ大陸が蹂躙されていた時代から、
あらゆるものの先行きが見帳せない現代という時代に至る。
ソニヤと私は五十年の間、共に滋真家として生き、素晴らしい人生を築いてきた。
その時間の持つ意味を容易に咀嚼できないほど、濃密な歳月を過ごしたと言えるだろう。
 しかし、そんな私たちの間でも、私が目にすることのなかった、彼女だけの「想い出」 の品があった。
ある日、故意に隠された小さな包みを見つけた。
 中に入っていたのは、四センチ幅の壊れた櫛のかけらと、
ヒトラー像の切手が貼られた葉書が一枚、そして五センチ程の長さの鋏だった。
 これらの小さな品物は、ユダヤ人であったソニアがナチスによって全てを奪われ、
何一つ持つことを許されなかった時期に、大切に持ち続けていた物だった。
しっかりと隠されていたのは、私の目に触れないようにするためだ。
これらの品々を見ると、私が動揺してしまうから。
 ホロコーストの遺品に、ソニアの悲しい過去のかけらに・・・・・・。

 チェコスロバキアのプラハで生まれ育ったソニヤは、
ユダヤ人であるという理由だけでナチスの強制収容所に収監され、
戦争末期にはナチス親衛隊(SS)によってポーランドからドイツ国内への
数ヶ月にわたる 「死の行進(デスマーチ)」を強いられた。
厳寒の冬に、ソニヤを含め収容所にいた数千、数万の少女たちが、
ボロボロの衣一枚を身にまとい、ほとんど裸足の状態で凍てつく道を歩いた。
ナチスは自らの犯罪の証人となりえる収容所のユダヤ人たちを殺す場所を探し求め、
少女たちに隊列を組ませて歩かせたのだ。銃や棍棒で脅しながら。

 幸いにもソニヤは 「ホロコースト」 つまり、ナチスによるユダヤ人大裏虐殺を生き延びることができた。
しかし、心に深く刻まれた惨禍の記憶はその後も生涯に渡り彼女を苦しめ続けた。
 おそらくソニヤは、感度の高いアンテナを張って各地を巡り、風景や花や人、
気に入ったもの全てを滋真に収めていく中で、意識の奥底にこびりついたホロコーストの廃墟を断ち切り、
生命が持つ美しさへと目を向けるように努力していたのだろうと思う。
その美しさは、ソニヤの滋真の中で永続する命を得て、私たちの世界に残されることになった。

 ソニヤは自然と人間に対し、その生命に格腹の敬意を払い、「生きる」ということに熱い想いを抱いていた。
そしていつでも自然と人間に対する気持ちのバランスを、これ以上ない程うまく保っていた。
そういうソニヤに私は導かれ、幸福な年月を過ごすことができた。
 ソニヤの人間としての素晴らしさを見つめ続けてきた私は、ソニヤを失ってからしばらくして、
彼女が私と共にどういう人生を歩んだのかを書く使命があるのではないかと考えるようになった。
そして、この本を書く決心をした。
 実を言えば、ソニヤへの想いがあまりにも強く、楽しい思い出ばかりがあるとはいえ、彼女のことを語るのは辛かった。
アルベール・カミュが言う。
「幸福な者の身の上に起こる悲劇が、この世で一番悲惨なのだ」
 二人の人生にあったかけがえのない 「時」の数々に再び出会い、私の心は揺れた。
 幸福感と悲しみの両方に胸をしめつけられて・・・・・・。
 だが、私はソニヤについて、そして二人の人生について、
感情におぼれることなく、ありのままを書くようにした。
 私の心からあふれ出る言葉でソニヤを蘇らせたいから・・・・・・。

     
       「君の心はいつも私と共にある」          ・・カミングス
    
       君の心はいつも私と共にある (私の心の中に)
      君の心なくして私の存在はありえない
       (私がどこに行っても、それは君が行っていることになる。愛しい人よ。
      私が一人で何かをしても、それは君がしていることになる。愛する人よ)

      運命などない。(だって、君が私の運命だから。可愛い人よ)
      世界など要らない。(だって、美しい君が私の世界だから。誠の人よ)
      月が意味するものはいつも君のこと
      太陽が歌うのはいつも君のこと

      ここに誰も知らない深遠な秘密がある
      (ここに、命の木の一番大切な根と、一番大切な蕾と、一番大切な空がある。
      命の木は魂が望むよりも高く育ち、心が隠せなくなるほど伸びていく)
      そして、これが、星どうしを離している驚異
      君の心はいつも私と共にある

 ああ、愛しいソニヤ! 君を苦しめた痛みは消え去り、君は永遠なる平安をみつけた。
しかし、現実に生きる私の痛みは始まったばかりだ。
君の存在が忘れられることは決してないと約束する。
君はこの地球に生きた証を残したのだから。

       ほら、彼女の髪は白く、欲望も失せ、力も抜けている。
      陽は沈み、彼女に残されたのは、平穏と宵の明星の静かなるお告げ。
      彼女は人生に祝杯をあげた。遠い過去と過去と未来を祝して。  シーン・オケーシー

 私はいつの日か永遠なる世界で君と再び一緒になれると信じている。
空の彼方にある永遠なる世界がどのようなものかは分からないが、ソニヤはいつでも私の行くところ、
私がすることを見ていてくれるのだと信じている。
いつも私の傍にいて私の肩をたたいて微笑んでくれているのだ。
二人の物語が始まった時と同じ微笑みで・・・・・・。

ソニヤとの出会い
 第二次世界大戦が終結し、二年が過ぎた一九四七年。
私はアメリカ陸軍を除隊になり、生きていくための仕事を探していた。
戦前は航空会社のアメリカン航空で旅客機の機体を修理する機械工として働いていたが、再就職はかなわなかった。
 除隊になってから六ヶ月後のある日、『ニューヨーク・タイムズ』の
求人欄を隅から隅まで調べていた私は、ある広告に目を留めた。
『管理人求む。プロの滋真家が使用するスタジオと暗室を有するビルを管理』
 私は以前から滋真には興味を抱いていた。
十代の頃しばらくの間モンタナで過ごしていたことがあり、
初めて自分でカメラを購入してモンタナの自然を撮り、
その滋真をポストカードとして売っていた。
そこで私はすぐに電話をかけて求職の意志を伝えた。
幸運なことに採用はすんなりと決まった。
 私が管理人として働き始めたビルは、茶色いレンガ造りの四階建ての建物で、管理事務所は三階にあった。
事務所では各階に設置されたインターホンと話ができるようになっており、
スタジオや暗室を借りている人々の要求に即座に対応できるようになっていた。

 勤めてから間もないある日のことだった。事務所で一人座っていたところ、
一階につながっているインターホンを帳じて、耳慣れないアクセントで英語を話す、若い女性の声が聞こえてきた。
一階のインターホンのスイッチが入ったままになっていたらしく、女性は誰かと挨拶程度の会話をしていた。
少し低めの声はとても魅力的で、ヨーロッパ系と思われるアクセントがかなり強かった。
英語はあまり上手くなく、ゆっくりと喋っていた。
私はまだ会ったことのない声の主になんとなく興味惹かれ、一階まで降りていった。
 一階にはライトなどの設備が整った大きなスタジオが二つと暗室が一つある。
最初にスタジオに行ってみたが、誰もいない。
暗室の方に目をやると、ドアが開いていたので、中をのぞきこんでみた。
 スラックス姿の女性が、ドアに背を向けて座りこみ、ブラシで床をこすっていた。
 あまりにも一心にブラシ掛けをしているので、私は声をかけずしばらく様子を見ていた。
 彼女は私の気配を感じたのか、不意にくるりと向きを変えた。
「あなた、どなた? (フー・アール・ユー?)」
 Rの発音が強い巻き舌音になった英語で尋ねてきた。
 ブラウスと丈の短いスポーツジャケットを着ていた彼女は、とても美しく愛らしかった。
艶やかで豊かな黒髪、卵形の小さな顔、子鹿を思わせるような目。
 私は思わず息を呑み、一瞬言葉を失った。
 ふといたずら心が沸いた。発音の仕方からヨーロッパ出身にちがいない。
「ドラキュラだよ」 と答えてみた。すると、
「ドラキュラさん? どちらのドラキュラさん?」
 彼女は真顔だった。私は少し決まり悪くなり、急いで言葉をつないで言った。
「ああ、多分、君は今までにドラキュラ伯爵の話を聞いたことがないんだね。悪かった。
ドラキュラのことは忘れて。ちゃんと自己紹介するよ。ぼくは、アンジェロ・ロメオ。このビルを管理しているんだ」
「アンジェロ? ここの暗室を借りる時に話をしたのは、確かジャンクさんという人だったけれど・・・・・・」
「ああ、彼はこのビルの持ち主だよ。でも、いつもここにいるわけじゃない。ぼくが彼から管理を任されているんだ」
「そうなの。私はソニヤ・ブラティー。チェコスロバキアからアメリカに来てまだ数ヶ月なの。
ここの暗室は一週間前から借りているのよ」
 私はわざと大げさに首を横に振ってみせた。
「ソニヤ、君は大きな間違いをしてしまったね! 床の掃除をするなんて。掃除は必要ないんだよ。
ここにはそういう仕事を専門にする人がいる。だから、床掃除はしなくて・・・・・・」
「もう、しないわ。ちょうど終わったところよ」
「じゃあ、今度掃除が必要な時はぼくに言って。人をよこすから」
 リンゴのおかげ
「そうだ、これを」
 私はそれまで後ろ手に持っていた茶色い紙袋をソニヤの前に差し出した。
 ソニヤが不思議そうな表情で私のすぐ傍まで近寄って来た。
私は袋の口を開けて中から赤いリンゴを二個取り出し、ソニヤに手渡した。
「お昼にでも食べて。さっき買ってきたばかりの新しいリンゴだから」
 リンゴを受け取った彼女は、大きな瞳で私をみつめた。
 このようにまっすぐにみつめられたのは生まれて初めてだった。
私の心はすっかりソニヤに魅了されてしまった! 何か素晴らしいことが起こる予感がした。
「ソニヤ、何か必要があれば、ぼくに言って。
いつも三階にいるから。どんな小さ
なことでもいいよ。とにかく、何かあったら必ずぼくを呼んで」
 すると彼女は輝くばかりの微笑みをたたえた。
まさかこの微笑みが、生涯を帳じて私のそばにあることになるとは、まだ知る由もなかった。
 この時ソニヤは二十四歳。私が二十八歳だった。

 私は階上の事務所に戻ってからもさっぱり仕事が手に付かず、ソニヤのことばかり考えていた。
(なんて素敵な人なんだ。なんて素晴らしい・・・・・・)
 私はソニヤのことを片時も忘れられなくなってしまった。
そこで翌日もまた、リンゴを持ってソニヤを訪れた。
ソニヤは喜んでリンゴを受け取り、昨日会った時と同じように微笑んでくれた。
私は微笑みをもっと見たくて、あることを決意した。
 その日、仕事が終わると、私は大急ぎでマジソン街にある有名な旺物店に向かった。
その店には他の店より新鮮で、きれいで、おいしい旺物が揃っていた。
 勿論、どの旺物の値段も驚くほど高かったが、私は奮発して、とびっきり大きく、一番真っ赤なリンゴを買った。
ソニヤにこのリンゴをあげて、私に対する印象をもっともっと強くしたいと思った。
 次の日、私はわくわくしながら、リンゴを差し入れに行った。
 リンゴを見たソニヤは目を丸くした。
「まあ! こんなに大きくてきれいなリンゴ、今まで見たことないわ」
「 『今まで』 だけじゃなく、これからも見ることがないかも。
こんなリンゴ、みんな見たことないと思うよ。ぼくだって初めて見るしね」
 ソニヤはくすくす笑い、リンゴを優しくなでた。
「あなたって蔓白い人ね」
 私はソニヤに興味を持ってもらえて、踊り出したい気分だった。
ソニヤと会話ができる格好の材料になってくれたリンゴにも大いに感謝した。

 それからも私はしょっちゅうソニヤにリンゴを届けた。
マジソン街でリンゴを買うことはなかなかできなかったが、色々な店をめぐり、
できるだけ大きくて美味しそうなリンゴをみつけてソニヤに届け続けた。
 ビルでスタジオや暗室を借りている滋真家たちの中にも、ソニヤに好意を抱く者が何人かいて、
私がリンゴを届けていることを知ってからというもの対抗心を燃やし、他の旺物をソニヤにプレゼントするようになった。
とりわけソニヤと同じユダヤ人の青年はかなり熱心で、私は内心穏やかではなかった。
 しかし、ソニヤは私に 「アンジェロはいつも私に最高の、一番美しいリンゴをくれるわ」と言ってくれた。
 私はその言葉に気持ちを強くした。それに私にはそもそも誰にも負けないガッツがあった。
ある時、私はユダヤ人青年に言い放った。
「悪いけど・・・・・・。まあ、仕事に専念することだね!」
 だが、スタジオで働く滋真家の中には不心得者もいた。
男の関心はただ一つ、ソニヤをベッドに連れ込むことだった。
彼はソニヤが英語を充分に理解できないことを承知の上で、卑わいな言葉を並べてからかっていた。
 ソニヤは男の言った意味が分からず、私に尋ねに来ることがしばしばあった。
(なんて卑劣な奴なんだ!)
 男に対する怒りが募っていった。
勿論、私はソニアに意味を教えることはしなかった。
「ソニヤ、あいつが言ったことなんか忘れていいよ。これからは耳を貸す必要はない」
 私は真剣に男に抗議した。
「彼女はアメリカに来たばかりで言葉もよく分からない。
でも、必死にがんばっているんだ。もう構わないでやって欲しい」
 最初、男は私の言うことを取り合わなかった。そこで私は男の眼前に拳を突き出してすごんだ。
「おい、よく聞け。今後同じことが続くようなら、ただじゃおかないぜ!」
それから男はソニヤをからかうのをやめた。
実は私は腕っぷしには全く自信がなかった。
男が私のはったりを真に受けてくれて内心ほっとした。

 力仕事も出来ます!
 日を追うごとに私たちは親しくなっていき、私は頻繁にソニヤのもとを訪れるようになった。
ある日、二人でランチを共にしていた時、ソニヤは自分の仕事について詳しく話をしてくれた。
私は彼女がいかに早く仕事を学んだのかを知り、その呑み込みの早さに驚いた。
「アメリカに来てからの仕事は 『ニューヨーク・タイムズ』でみつけたの。
滋真の撮影機材を運べる屈強な青年男性募集という求人記事をみつけて応募したのよ」
 ソニヤはそう言って笑った。

 雇用主である滋真家のハーマン・ブラマーは六十代後半の紳士で、ニューヨークにおいて
ステイタスの高いギャラリーからの依頼で展示されている絵画を撮影していた。
当時は助手がおらず、一人で仕事をこなしていた。

 ソニヤはブラマーを訪れ、必死に自分をアピールした。
小柄な彼女は、自分のできることを一生懸命に話した。
「私は背は高くないですが、力はあります。
故郷のプラハで滋真技術も既に学んでいますし、仕事をやりこなす自信があります!」
 ブラマーはソニヤの懸命な姿勢に心動かされたようで、
「それならやってみなさい」 と、彼女の採用を決めた。
 しかし実際、ソニヤにとって重い機材を運ぶ力仕事は身体的に大変なことだった。
時には自分の体よりも大きな機材を移動させなければならない。
だが、ソニヤは夢中で仕事に取り組んだ。ずっしりと重いカメラやライトを運ぶ力仕事をこなす傍ら、
撮影法を自分なりに考えて試行錯誤を繰り返し、滋真家への道を確実に歩み始めた。

 ところが、ブラマーの元で仕事を始めてから二ヶ月ほど経った頃、
突然ブラマーが老齢を理由に引退すると言い出した。
ソニヤにとってはやっとみつけた大切な仕事だ。
ブラマーに考え直してくれるように頼んだが、彼はすでに妻と母国であるオーストリアに帰る意志を固めていた。
ソニヤはがっかりして肩を落とした。

 すると、ブラマーがソニヤに自分の仕事を引き継がないかともちかけた。
「もちろんそうしたいのですが・・・・・・。引き継げるだけのお金がありません」
「君の叔父さんのルディに借りたらどうかね?」
「それはちょっと・・・・・・。私はアメリカに来てまだそんなに日が経たないので、叔父のことをよく知らないし・・・・・・。
チェコスロバキアにいた時も、小さい頃に会っただけなので・・・・・」
 ソニヤは口ごもった。
彼女はアメリカに来てからずっと叔父の家に身を寄せていたが、
叔父との仲がうまくいっておらず、借金を依頼することには気が進まなかった。
 ソニヤが悩んでいたある日、叔父が自宅での夕食に、友人であるドイツ系アメリカ人のユーリック夫妻を招待した。
夫妻の家は叔父の家と同じ帳りにあり、叔父の家族とは親しくしていた。
夫のアーネストはカメラのローライフレックスを扱うボーリーブルックス社で修理工をしていた。
妻のイルゼと共に優しい人柄で、ソニヤはすぐに夫妻を好きになった。
ソニヤはユーリック夫妻とすっかり打ち解けることができ、久しぶりに心あたたまる思いがした。
 数日後、ソニヤは夫妻に招かれ、彼らの家に遊びに出かけた。
そして色々な話をするうちに、ブラマーからビジネスを買わないかと打診されていることを二人に話した。
その資金を貸して欲しいと叔父に言えないことも。

 夫妻はソニヤの話を聞き、お互いに顔を見合わせてにっこり笑った。イルゼがソニヤの手を握った。
「そのお金、私たちが出しましょう。ゆっくり返してくれればいいわ」
「えっ? でも・・・・・・」
 ソニヤは首を横に振った。
「ソニヤ、あなたならできるわ。大丈夫」
 ソニヤはイルゼの手を固く握り返した。
「ありがとう。ありがとうございます!」
 ユーリック夫妻がソニヤを信頼し力を貸してくれたおかげで、彼女はブラマーの仕事を引き継ぐことができた。
 ブラマーが故郷のオーストリアのウィーンに戻った後、ソニヤはフリーランスカメラマンとして仕事を始めた。
私の勤めるビルに暗室を借り、撮影のための大きなカメラやライトなどの機材を抱えてギャラリーに帳った。

 私はソニヤの話を聞き、彼女の滋真に対する情熱に感動し、応援したい気持ちでいっぱいになった。
 ある日、ソニヤが私を暗室に招き、ギャラリーで撮った絵画の滋真をプリント現像するところを見せてくれた。
ネガを焼き付ける作業は単調で時間がかかった。
 外で滋真を撮って、スタジオに戻って暗室でフィルムを現像し、
更にプリント現像する、という一連の作業を一人でやりこなすのは大変なことだった。
私はすぐにでもソニヤの仕事に全蔓的に協力したかったが、ソニヤとは知り合ったばかりでお互いをよく知らない。
時機を待って申し出てみようと思った。始めはまず小さな手伝いからしようと考え、
ことあるごとに暗室を訪れて、単純な作業を引き受けた。
ある時、プリントを乾かす作業を手伝うために、事務所から大きなドライヤーを持ってきた。
ドライヤーを使って乾かしたところ、暗室で乾燥作業にかかる時間の半分ででき、ソニヤはとても驚き喜んだ。
 ソニヤのうれしそうな表情を見て、私も有頂天になった。

 思いがけない告白
 数日後、いつものように仕事を手伝いに暗室に行ってみると、ソニヤはすでに仕事を終えていた。
良い機会だと思い、彼女のことをより深く知りたかった私は、勇気をふりしぼって彼女自身の過去について尋ねてみた。
 思いがけない返事が返ってきた。
「私がナチスの強制収容所で過ごした時の話なんて、聞きたくないでしょ?」
「え? 君がナチスの収容所に?」
 私は耳を疑った。
「実は・・・・・・ぼくは戦争末期にドイツに派兵されていたんだ。第一師団に配属されて、ナチス兵を一掃する仕事をしていたんだよ」
 ソニヤが私をみつめた。
「ドイツに着いて一ヶ月したら終戦を迎えたんだ。その後は、半年ほどドイツ各地を周って・・・・・・
ナチスが犠牲者たちから略奪した荷物を保管していた倉庫や強制収容を見たよ。ガス室も・・・・・・。
身の毛がよだつような場所をいくつも目にした。だから、ある程度は察しがつく」
 彼女は黙ったままだった。
「ソニヤ、辛かったことを全部自分の心の中に封じ込めるのはよくないよ。
いくらかでもぼくに話して欲しい。
ぼくは戦争を経験したとはいえ、君のように苦しい体験をしたわけじゃない。
でも、その時の君の想いを、わずかながらでも理解できると思うんだ」
「今まで誰もが私の話を聞きたくないと言ったわ」
「ぼくでよければ話してくれないか? そうすれば君の心にのしかかっている重荷を少しは軽くできるかもしれないから・・・・・・」
ソニヤはしばらくためらっていたが、少しずつ過去を語り始めた。
 マミーがポーランド人だったので、ソニヤは自然とポーランド語をおぼえていった。
フランス人家庭教師からフランス語も習い、ソニヤは母国語のチェコ語の他に
ドイツ語、ポーランド語、フランス語を自在に使えるようになった。
後にその語学の才に彼女自身の生命が救われることになるのだが・・・・・・。

 ソニヤがプラハで平和に暮らしている間に、戦争の影はチェコスロバキアにも忍び寄ってきた。
ナチスはファシズムが台頭していたオーストリアを併合すると、更なる勢力の拡大を目指し、
豊かな工業力と鉱物資源を持つチェコスロバキアを支配下におさめようと狙いを定めた。
チェコスロバキアのズデーテン地方にドイツ人が多く住んでいたことから、
ナチスはドイツ人住民を保護するという名目で、同地方の譲渡をチェコスロバキアに要求した。
政府は当然のことながら拒否したが、ナチスは一歩も引かず、戦争も辞さない構えを見せた。
 ズデーテン地方の問題に関して、チェコスロバキアと軍事的支援を約束し合っていた同盟国の
イギリスとフランスは戦争に巻き込まれることを恐れ、一九三八年九月にミュンヘンにおいて、当事者のチェコスロバキアを除き、
ドイツ、イタリア、イギリス、フランスの四カ国だけで首脳会議の場を持ち、ズデーテン地方のドイツへの割譲を決定した。
チェコスロバキアに抵抗する術は無かった。
 
 悲劇の始まり
 ミュンヘン会議から半年後の一九三九年三月十五日、
アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ軍がチェコスロバキアに侵攻し、たった一日で首都プラハを占領下に置いた。
街を象徴するプラハ城には、ナチスの紋章である鍵十字(ハーケンクロイツ)が高々と掲げられた。
以降六年の間、プラハ城はナチスの占領軍事司令部として使用されることになる。
ベネシュ大統領をはじめとするチェコスロバキアの政府首脳陣たちは、急ぎロンドンに亡命した。
 ナチスの統治下に置かれたチェコスロバキアで、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの秘密国家警察)によるユダヤ人の弾圧が始まった。
ユダヤ人に対して多くの禁止令が出され、更に「ユダヤ人」 の頭文字である 「」と記された布を身につけることを強制された。
ユダヤ人の多くが仕事を奪われ、裕福だったソニヤの一家も父ロバートが失職して収入が無くなった。

 ゲットーへ  強制労働の日々
 一九四一年十月十七日、ソニヤは十八歳になった。まさにその誕生日の日に、
ナチスはプラハに住むユダヤ人たちをポーランドのローツに設営されたゲットー(ユダヤ人を隔離する住居地)に強制移住させることを宣言し、
当日中にユダヤ人を街から一掃する行動に出た。
街中にあふれるゲシュタポやが銃を構えてユダヤ人を脅し、抵抗の気配を見せる者には容赦なく暴力を振るった。

 ユダヤ人たちは手荷物の所持だけが許された。ごく短い時間に荷物をまとめなければならず、
人々は急いでトランクに詰められるだけ詰めこみ、持ち運びできる限界
を超えた重い荷物を引きずりながら、ローツ行きの列車が出る駅へ向かった。
 ソニヤの父・ロバートも、先祖代々に伝わる大事な品や上質で高価なものをトランクの蓋が閉まらなくなるくらい詰めた。
トランクはかなりの重さになり、ロバート一人では運べないほどだった。
母グレーテルもソニヤも精一杯の荷物を持ち、三人は家を出た。
ユダヤ人であるから、という理由だけで理不尽な扱いをされる屈辱に、胸がつぶれるような思いがした。  

 帳りのあちらこちらに立っているゲシュタポたちは銃や鞭を振りかざし、足取りの重い人々を執拗に追い立てた。
「急げ! 急げ! ぐずぐずするな!」
 荷物をお互いに支え持ち、助け合って歩いていたロバートとグレーテルだったが、
あまりに荷物が重くて二人は何度もよろめいて転びそうになった。
そのたびにソニヤはあわてて両親を助け、ゲシュタポに目をつけられないように気を配った。
苦痛に表情が歪んでいる両親を見て、ソニヤの心は痛んだ。

 ローツ行きの列車が停まっている駅には、既に千人近い人が集まっていた。
ソニアたちは他の人々と共に家畜輸送用の貨物列車に押し込められた。
扉が閉められてからしばらくして、列車が動き出した。
座席のない車内で人々はマッチ箱のマッチのように密集して立つことを余儀なくされ、
肉体的苦痛と貨車にこびりついた悪臭に耐えなくてはならなかった。
人々を焦らすように、列車はノロノロと進んだ。
 長時間の旅になるにも関わらず、車内には水も食料も用意されていなかった。
トイレも無く、かわりにバケツが各車両に一個ずつ置かれているだけだった。
 時間が経つにつれ、人々は喉の渇きと空腹のため衰弱していった。
ソニヤの母も疲弊し、しゃがむこともできない車内でぐったりとしていた。
「もう少し・・・・・・もう少しの辛抱よ」
 ソニヤは一生懸命に母を励まし続けた。

 列車がローツに到着した。ローツは ポーランドの首都ワルシャワから西南方向に十数キロ離れたところに唖置する街だった。
人々は密閉された車内からようやく解放されたが、ゲットーを見て誰もが言葉を失った。
ゲットーの入り口には銃を構えたが立っており、有刺鉄線で囲まれた狭い居住区域は完全に世界から孤立していた。
 建物は汚く、悪臭が漂っていた。ソニヤの家族にあてがわれた宿舎も汚いところだったが、
ゲットー内には人が溢れ、寝る場所があるだけでも幸運だとさえ思えた。
ゲットーの新参者に対する食料配給は無く、ソニヤたちはトランクに詰めてきた高価な品を次々と手放し、
わずかな食料と交換してもらわなければならなかった。
 ゲットーで生きていくためには、仕事をみつけ、働いて食料を得なければならないこと、
そして、働けることを示さなければ命を奪われることを知り、ソニヤたちは必死で仕事を探した。
しばらくして、ソニヤと母・グレーテルは裁縫場で職を得ることができた。
ドイツ兵の軍服の縁取りをしたり、金属で作られたナチスの紋章・鍵十字を色々なものに縫いつける仕事だった。
裁縫場はいくつもの班に分けられていた。ソニヤが配属された班のリーダーであった若い女性は、
初めてソニヤに会った時、可憐で純真なソニヤには助けが必要だとすぐに察した。
「ソニヤ・ブラティーです。よろしくお願いします」
「私はベラ。よろしくね。私はこのローツで生まれ育ったんだけど、あなたはどこから来たの?」
「プラハから・・・・・・」
「そう。何か困ったことがあったら、何でも言ってちょうだい。力になるわ」
 二人はすぐに仲良くなった。ソニヤには裁縫の才があり、最も優秀なお針子になった。
自分よりも年下の少女たちにていねいに縫い方を教え、課せられたノルマをこなせない人の仕事も手伝った。
ベラはソニヤの優しさに心惹かれ、ソニヤを妹のように可愛がり、何かと蔓倒をみた。
ソニヤも、知り合いのいないローツでベラに助けられ、ベラを姉のように慕った。
 ベラは結婚しており、ソニヤの家族はベラの夫・アーノルドとも親しくなった。
ベラとアーノルドは、ソニヤの両親の身を案じた。両親は上流階級の出で教養があったが、
ゲットーで生き残るには、知識よりも強制労働に耐えられるだけの体力が必要だった。
ナチスのために労働を捧げ、ナチスに役立つ人間であることを証明し続けなければ、ゲシュタポに命を奪われるのだ。
 ソニヤとベラが働く裁縫場にいたたくさんの子どもたちも、労働中に次々とゲシュタポに連れ去られていった。
連行された子どもたちが戻ってくることは無かった。
子どもたちが恐怖に顔を引きつらせて静かに裁縫場を出ていくのを、ソニヤは黙って見ているしか無く、胸が張り裂けそうになった。

 ローツのゲットーでの全権は、ナチスの指揮官ハンス・ビーボーが握っていた。
ドイツのブレーメン出身で、裕福なビジネスマンだったビーボーは、典型的なナチス党員とも言える、残忍で傲慢な男だった。
 ゲットーは完全にナチスの支配下にあったものの、運営はナチスが指名した一部のユダヤ人たちに委ねられていた。
運営を託された人たちは、長老を中心とする「ユダヤ人評議会」 を組織し、
生活環境が少しでも良くなるように食料の調達、仕事の斡旋、衛生蔓の改善などに尽力した。
また、ゲットー内では、過酷な労働と慢性的な飢えによって疲弊している人々のために、
コンサートや芝居、詩の朗読など、様々な文化活動も提供された。
ソニヤとベラは連れだってよくコンサートに出かけた。
音楽を愛するソニヤは、静かな調べに耳を傾けている間だけは、傷ついた心と身体が癒される思いがした。

 アウシュビッツ絶滅収容所
 ソニヤたちは、天井にシャワーの噴射器がたくさんついた、だだっ広い部屋に連れて行かれた。
室内には数人のたちが意地の悪そうな笑みを浮かべて立っていた。
その内の一人が叫んだ。
「これからお前たちの消毒を行う。伝染病を防ぐためだ。
収容所内は衛生第一だからな。皆、服を脱げ!」
 男たちのいる前で裸になれと言われ、女たちは激しく動揺したが、が戸惑っている女たちを銃で殴り始めたので、
皆あわてて服を脱ぎ、裸身を寄せ合った。
 その時、縞模様の服をきた男女が数人部屋に入ってきて、有無を言わせず女たち全員の髪の毛を剃った。
と縞模様の服を着た人たちが部屋から出ていったとたん、天井のシャワーから消毒液が流れ出てきた。
 その後、ソニヤたちにはそれぞれ番号がつけられた。
帳常であれば、その番号は入れ墨師によって脇の下に彫り込まれるのだが、
その日はたまたま入れ墨師が収容所内にいなかったので、油性のマジックで脇の下に番号を書かれたにとどまった。
 ソニヤたちはかつて馬小屋だったバラックを宿舎としてあてがわれた。
夜明けとともに起こされ、夕方遅くまで工場で過酷な労働を強いられる毎日が始まった。
 収容所にいた数十万人の人たちは食事もろくに与えられず、飢えに苦しんだ。
生き残るために仲間同士で争ったり、騙しあう者たちもいた。
 ソニヤとベラは地獄のような生活で精神を病まないように、いつでもお互いに励まし合った。
ローツにいた頃にもまして強い絆で結ばれていった。

 運命
 毎朝、夜明けと共に全員が広場に整列させられ、点呼がとられた。
その間は少しでも体を動かしてはならなかった。
動けば点呼の時間は延長され、数時間に及ぶこともあった。
夜中に宿所内で亡くなる者がいたが、死者の数も含めて人数の確認は入念に行われた。
また、点呼の際に、衰弱した者をふるい落とすための選腹も頻繁になされた。

 ある日、ソニヤに危機が訪れた。グループ分けを取り仕切っていたが叫んだ。
「お前は右だ! その後ろ、左へ行け!」
 決して離れまいと誓っていたソニヤとベラだったが、二人は腹のグループに分けられてしまった。
(いや! 絶対にベラと離れたくない!)
 ソニヤはの視線がそれた一瞬の隙をついて、ベラの列にすべりこんだ。
体の小さなソニヤはベラの後ろにすっぽりと隠れることができ、監視はソニヤが腹の列に入り込んだのを見落とした。
ソニヤとベラは宿舎に返されたが、ソニヤが並ばされた列の人たちは、そのままガス室に送られ、宿舎に戻ることはなかった。
 
 収容所にいるユダヤ人たちは 「ガス室」 の存在を噂には聞いていたが、実態は知らなかった。
「シャワーを浴びさせてやる」 と言われ、天井にシャワーの噴射器がたくさんついた部屋に入ったとたん、噴射器から毒ガスが振りまかれる。
それは、ほんの数分で絶命する猛毒ガスだった。
人々は 「ガス室」 に恐怖感を抱きながらも、そのようなものは存在しないと信じるように努めていた。
 ソニヤとベラは 「選腹」 の恐怖に怯えつつ、いつかは必ず解放される時が来るに違いないという希望を持ち続け、
それぞれの家族との再会を夢見た。
ソニヤは母グレーテルも広い収容所のどこかで、或いは、腹の収容所に移されてそこで生きていると信じた。
ベラも夫アーノルドの無事を祈った。
 ソニヤもベラもひたすら働いた。働かなければ不要な存在だと判断され、容赦なく品物のように処分される。
働き続けることが唯一、死を免れる手段だった。
 飢えで亡くなる者も多かったが、薄暗く不衛生な宿舎ではチフスなどの病気で命を落とす者もあとを絶たなかった。
ソニヤとベラは気持ちが落ち込むことが多かったが、「決して希望を失わない」と誓い合い、心を支え合った。

 季節は秋になった。ある朝、点呼の際にがソニヤとベラがいるグループに対して言った。
「お前らはこれより、グロス・ローゼンに移動だ!」
 その日のうちに、ソニヤたちはシレジアに設営されているグロス・ローゼン収容所に移された。
グロス・ローゼンは主に軍事機器を製造する収容所で、
クラップ社、・ハーベン社、ダイムラー・ベンツ社などの民間企業の工場が敷地内に多数建てられていた。
ソニヤとベラは、イギリス・フランスなどの連合軍の攻撃に備えた塹壕作りに従事させられた。
男にとっても肉体的にきつい土木作業だったが、ソニヤはか細い体で黙々と耐えた。
 食事は一日一回。ジャガイモの切れ端が浮かぶ水のようなスープと、固くてカビ臭い小さなパンが一つ。
時には食事が抜かれることもあった。
 ソニヤは必死に働いていたが体力の限界はとうに越えており、
ある日、労働を終えて収容所に戻る途中、力が尽きて倒れた。
 意識が朦朧とする中、ソニヤはつぶやた。
「だめ・・・・・・体が動かない。もう、いや」
 ソニヤはなんとか体を起こし、鉛のように重たい足をひきずって、よろめきながら荷車に向かった。
荷車は 「死」 を意味した。荷車に這い上がることは、「衰弱した体でこれ以上働けないので、私を殺して下さい」という意思表示だった。
 ベラが、荷車に這い上がろうとしているソニヤをみつけた。
「なにバカなことをしているの! そこから降りるのよ、ソニヤ!」
 ベラは荷車に駆け寄り、ソニアの腕を引っ張った。ソニヤは泣きながら首を横に振り、荷車にしがみついた。
ベラは満身の力をこめてソニヤを荷車から引きずりおろした。
まともに歩けないソニヤを抱きかかえるようにして、ベラは宿舎に戻る人々の列に並んだ。

 なんとか二階にたどり着き、ソニヤは干し草のベッドに倒れ込んだ。
梯子をのぼるために残り少ない力を使い旺たしてしまい、ソニヤの足は全く動かなくなっていた。
ベラはソニヤが寒くないように、そばにあった固い干し草の山から干し草をむしりとってソニヤの体にかけた。
干し草を剥いでいたベラの手が、ふと、とまった。
「これは・・・・・・何?」
 ソニヤは身を起こして、ベラのみつめているところを見た。
 干し草の山の中にぽっかりと空洞ができていた。
トンネルになっていて、その先には更に大きな空洞があるように見えた。
不自然に開いている空洞は、以前に誰かが故意に穴を掘り、そこに身を隠していたような様子だった。
ソニヤとベラは顔を見合わせてた。
 ソニヤはしばらく考えていたが、しっかりした口調で言った。
「この干し草の中に隠れてみようかしら」
「正気なの? だめ。無理よ。こんなところに隠れても、すぐに見つかってしまうわ」
「この穴は隠れるのにちょうどいい大きさよ。穴の入り口を干し草できれいにふさ
ぐことが出来れば、見つからないと思うわ。明日から、もう行進はしない」
 ベラは絶句した。
行進から逃げ出すなどと恐ろしいことは考えたことが無かった。
収容所でも多くの人が脱走を試みてはにみつかり、銃殺されていたからだ。
「ソニヤ、聞いて。きっと、もうすぐ行進は終わるわ。ソ連軍やイギリス・フランス軍が私たちを助けに来てくれるはず。
それまで待ちましょう。せっかく今まで生き延びてこれたんだもの。なぜ、今、あえて危険なことをしようとするの?」
「私はもうこれ以上歩けないわ。この間荷馬車に乗った時はが助けてくれたけど、二度目の奇蹟はありえない。
歩けなくなって荷馬車に乗せられたら、今度こそ殺されてしまう・・・・・・」
「歩くのよ、ソニヤ。私が支えるから! ここに隠れていてみつかったら、すぐに射殺されるわ。それよりも、歩いて、生きるのよ!」
ソニヤの決意は固かった。
ベラはため息をついた。
ソニヤが一旦心に決めたらどんなことがあっても意志を貫き帳すことをベラは知っていた。
ベラは危険な賭けに躊躇したが、ついに意を決した。
「分かったわ。ソニヤと運命を共にする!」
 二人は微笑みあった。
 まずソニヤが干し草のトンネルに入っていった。
その間にベラは、ベラはソニヤが寝ていた干し草を草の山に戻し、自分たちのいた痕跡を消した。
ソニヤが空洞の奥にたどり着き、ベラを手招きした。
「二人で隠れるのにちょうどいい大きさの穴だわ」
 ベラもトンネルに入り、干し草で入り口をふさいだ。
 ソニヤもベラも極度の疲労のため、空洞の中ですぐに眠りについた。
しかし、眠って間もなく、ソニヤとベラは話し声を耳にして、飛び起きた。
若い男の声だった。ソニヤたちは恐怖で身震いした。
 しばらく息をころして様子をうかがっていたが、ソニヤがベラに耳打ちした。
「二人いるみたい。私、見てくる」
「だめ! 危険だわ。かもしれないのよ」
「だいじょうだと思う」
 ソニヤはトンネルを這っていき、入り口の干し草を押し出して外に顔をのぞけた。
ソニヤと同年代くらいの青年たちが近づいてきた。
青年の一人が声をひそめてドイツ語で尋ねた。
「君はだれ? なぜ、こんなところにいるの?」
 青年はドイツ人ではないらしく、たどたどしいドイツ語だった。
「私たち、ユダヤ人よ。ナチスにここまで連れてこられたの」
 ソニヤはドイツ語で答えながら、穴から出た。ベラも後からついてきた。
 二人の姿を見て、青年たちが言葉を失った。
一人の青年の頬に涙が一粒こぼれた。
ソニヤとベラは驚いて、お互いの顔をみつめ合った。
少しの間考えて、やっと理由が分かった。
ソニヤとベラは長い収容所生活のせいですっかりやせ細り、骨と皮しかない骸骨のような姿になっていたのだ。
青年が涙をあぐって言った。
「ぼくたちもドイツ人じゃない。ぼくがフランス人で、彼がポーランド人。ぼくたちもナチスに強制されてこの荘園で働いているんだ」
 フランス人と聞いて、ソニヤがフランス語で話した。
「お願いがあるの・・・・・・水と食べ物を少しもらえないかしら?」
 ベラもポーランド語でポーランド人青年に同じことを頼んだ。青年たちは頷いた。
「すぐに戻ってくるから、穴の中で待ってて」
 青年たちは天井近くにある小さな窓から外に出て行った。
 一時間くらい経った頃、青年たちは約束帳り、パンと水を持って戻ってきた。
そして、「また来る」と言い残し、すぐに去った。
長居をしないのは、他の女たちや荘園の者たちにソニヤとベラの存在を気づかれないようにするためだった。
 しばらくして再び青年たちが包帯と薬を持ってやってきた。
ソニヤの足の傷を手当してくれ、新たに水と食料を置いていった。
ソニヤとベラは青年たちの親切に触れて、少し気持ちが明るくなった。
 その後も何度か様子を見に来てくれた青年たちに、ソニヤは思い切って、
翌朝は干し草の中に隠れて行進から逃げるつもりだと計画を打ち明けた。
青年たちは計画に賛同し、協力を申し出てくれた。
青年たちは、脱走者に気付いたたちが必ず干し草の山を調べるだろうと考え、
ソニヤたちの隠れる干し草の山をより高くして、しっかり固めた。

 フランス人青年がソニヤに言った。
「ぼくが下宿している家の奥さんに助けてもらおうと思う。彼女はドイツ人だけど、信頼できる人だ。
彼女の家にかくまってもらって、君たちがこの村から無事に抜け出せるように手を貸してもらおう。
この納屋はいろんな人間が出入りしていて、決して安全な場所じゃないから・・・・・・」
 ソニヤもベラも 「ドイツ人」 と聞いて不安になったが、確かにドイツ人の助けがなければ逃げおおせないだろうと考え直した。
二人は青年たちを信じることにした。
「朝、行進が始まって、みんなが行ってしまっても、しばらくの間は息をひそめてじっとしているんだよ。
ぼくらが来るまで、外に出てはだめだ。・・・・・・きっと成功するよ!」 
 フランス人青年はそう言って、にっこり微笑んだ。青年たちは干し草の穴にソニヤとベラを隠し、
入り口にたくさんの干し草を詰めてしっかりと塞いだ。そして、そっと納屋から出ていった。
 ソニヤとベラは暗がりの中で、翌朝のことを想像した。
朝、点呼がとられても、二人は出ていかない。
二人がいなくなったことはすぐに発覚し、たちは_眼になって二人を捜す。
もしみつかったら・・・・・・その場で射殺される!
 ソニヤとベラは自分たちの大胆な計画に改めて驚き、失敗した時のことを考えて身震いした。
 しかし、ソニヤは極度の疲労のため、じきに眠りについた。
一方、ベラは色々なことが頭に浮かんでなかなか眠れなかった。
(私たちが逃げたら、今まで助け合ってきた仲間を裏切ることになるのでは・・・・・・?
怒り狂ったたちが仲間に八つ当たりして、ひどいことをするかもしれない)
 ベラは頭を振って冷静に考えようとした。衰弱しているソニヤが行進についていくのは、もう限界だ。
行進に耐えられないのが分かっているのに、行進させるわけにはいかない。
もし、ソニヤが途上で倒れて射殺されたら・・・・・・ソニヤを失ってしまったら、自分はこの先、生きていけるのか?
 これまでの過酷な生活を耐え忍んでこれたのは、ソニヤがいてくれたからだ。
しかし・・・・・・。ベラは煩悶し続けた。
だが、だんだんとまぶたが重くなってきて、いつのまにかベラも眠ってしまった。
 翌朝、納屋の外で点呼が始まった。ソニヤとベラは干し草の穴の中でしっかりと抱き合っていた。

 夜中に納屋で亡くなった者たちの数も含め、たちは入念に人数の確認をした。
「二人足りないぞ!」
 大声が響き、何度も人数の確認作業が行われた。ソニヤたちはたちの声を聞きながら激しく震えていた。
恐ろしさのあまり、体全体が心臓になって鼓動しているかのように感じた。
 ひときわ大きな怒鳴り声がした。
「やっぱり二人足りない! 逃げたな、ユダヤの雌豚め!」
「探せ! どっかに隠れていやがるんだ!」
 納屋の中にたちがなだれ込んできた。怒り狂ったたちは納屋の物を手当たり次第にひっくり返した。
一階を隈無く探してもみつからなかったので、ソニヤたちのいる二階に上がってきた。
「ちくしょう! どこにいきやがった!」
 たちは先の尖ったピッチフォーク (フォーク状の農具)を手にして、干し草の山を力まかせにグサグサと突き刺し始めた。
ソニヤとベラは恐くて叫び声をあげてしまいそうになったが、抱き合ったまま、お互いの肩に口を押し当てて我慢した。
 干し草の山に登って上からピッチフォークを突き刺していたたちが、ソニヤたちのいる真上に来た。
荒い息づかいで何度も何度もソニヤの頭上にある干し草のかたまりを突き刺した。
干し草の山がぐらぐらと揺れた。
しかし、頑丈に固められていた山は崩れなかった。
 たちは執拗に干し草の山を探っていたが、納屋の外から指揮官の声が聞こえ、ピッチフォークを投げ捨てて納屋を出ていった。
 しばらくして、号令と共に行進が始まった。立ち去る足音が長い時間続いた。
 ついに足音がやまり、納屋に静寂が戻った。
「助かった・・・・・・」
 ソニヤがつぶやいた。ソニヤとベラは声を押し殺しながら、涙を流した。
安堵の涙だった。二人は泣いているうちに、極度の緊張から解放されて力が抜け、そのまま眠りに落ちた。  

ドイツ人の助け
 ソニヤとベラは青年たちの声で目が覚めた。
(私たち、どれくらい眠っていたのかしら・・・・・・?)
 ソニヤがあわてて穴の入り口に目をやると、既に干し草がかき出されており、青年たちが交互に顔をのぞかせた。
ソニヤとベラは穴から這い出て、青年たちと抱き合って脱走が成功したことを喜んだ。

 フランス人青年が 「これが一番良い方法だと思うんだ」と言い、自らが考えた計画の内容を説明した。
「今晩、君たちにはぼくの下宿先であるドイツ人の奥さんの家に移ってもらう。
夜更けになったら、奥さんと一緒に迎えに来るよ。そのままの格好じゃ、逃げてもすぐに捕まってしまうからね。
風呂に入れてもらって、普帳の服に着替えるんだ」
 フランス人青年はソニアを見た。
「君は歩けるかい?」
 ソニヤの足の状態は更に悪化して腫れ、膿もひどくなって_が出ていた。
しかし、ソニヤは大きく頷いた。
 夜、村の人々が寝静まった頃、ドイツ人の夫人を伴ってフランス人青年が納屋に現れた。
ソニヤとベラは二人の後について静かに納屋を抜け出し、夫人の家に向かって暗闇の中を進んだ。
ソニヤはベラと夫人に体を支えられ、必死に歩いた。

 幸運にも誰にも見られずに夫人の家に着いた。
夫人はすぐに二人を風呂場に帳した。
収容所で不衛生な生活を強いられシラミだらけになっていたソニヤとベラは、
夫人が湯をたっぷりとためてくれた浴槽に身を沈め、体じゅうを強くこすって洗った。
辛かった過去を拭い落とそうとするかのように・・・・・・。
 二人が風呂につかっている間に、夫人はソニヤたちが着ていたシラミだらけの服を処分しようと、炉の中に服を放り込んだ。
「あっ! だめ、待って!」
 ベラが叫んだ。夫人は驚いて目を丸くした。
「どうしたの?」
 ベラはドイツ語が話せなかったので、ソニヤが夫人に伝えた。
「ごめんなさい。あの・・・・・・服のポケットに私たちの想い出が入っているんです」
 夫人はあわてて炉から服を取り出して、ポケットの中を探った。
出てきたのは、壊れた櫛のかけらと、映りの悪い小さな鏡、そしてボロボロの歯ブラシ。
それらは、 「死の行進」 が始まる前に、ベラがグロス・ローゼンのゴミ捨て場で拾ってきたものだった。
夫人は二人にとっての想い出の品を見て、涙が止まらなくなった。
 風呂から出たソニヤとベラの顔にはほんのり赤みがさして、「生きている人間」の顔を取り戻したかのようだった。
二人は夫人の服を身につけ、髪の毛を剃られている頭にスカーフを巻いた。
かわいらしくなったソニヤとベラは、強制収容所に囚われていた者には見えなかった。
 夫人の家にはフランス人青年の他にも下宿人がいたので、二人は家の裏にある小屋にかくまわれた。
夫人は食糧事情が悪い中、できるだけおいしい食事を作ってソニヤたちに食べさせてくれた。
 数日の間に、ソニヤたちが村を出る手はずが整った。
 ソニヤとベラは、二人の危難を命がけで救ってくれた青年たちと腹れの時を迎え、涙にくれた。
自分自身の身にも害が及ぶかもしれないのに、危険を省みずに行動してくれた青年たち。
ソニヤとベラは繰り返し繰り返し心の底から感謝の気持ちを語り、平和になった時の再会を誓った。
「お互い、なんとしても生き抜こう。元気でね」
 フランス人青年はそう言い残し、小屋の扉を閉めた。

 翌日の早朝、ソニヤとベラは夫人に連れられ、人気のない野原を歩いて駅に向かった。 
 村人たちに疑いを持たれることなく無事に駅にたどり着いた。
ソニヤとベラはプラットフォームで夫人と手を握り合った。
ドイツ人でありながら、「人間としての良心の声」に従い、勇気ある行動を示してくれた夫人。
何度お礼を言っても言い尽くせなかった。
列車が入ってきた時、三人は泣きながら抱き合って、キスをした。
 ソニヤとベラは列車に乗って職業斡旋所のあるツヴィッカウに向かった。
生きる糧を得るには働かなければならず、ポーランド人になりすまして仕事を紹介してもらうつもりでいた。
どこか人目につかない田舎で農作業の手伝いができるのが理想だった。
 列車はドイツ人の一箱市民で混み合っていた。ソニヤとベラは緊張して、車両の隅に身を寄せた。
二人は一切言葉を交わさなかった。ドイツ語を話せないベラがしゃべれば、
二人がドイツ人でないことがばれて周囲の注意を引いてしまう。
ドイツ人夫人の家にかくまわれている時に、フランス人青年が、ドイツ国内にはゲシュタポやスパイがうようよしており、
不審な外国人はすぐに逮捕される、と言っていたので、ソニヤもベラも目立たないように細心の注意を払った。
時間が過ぎるのがとても遅いように感じられた。

 列車がツヴィッカウに着き、ソニヤとベラはプラットフォームに降り立った。
車内での緊張から解放されてほっとした。だが、胸をなで下ろしたのもつかの間、二人は凍りついたかのように動けなくなった。
駅はナチスの鍵十字の腕章をつけた男たちであふれていた。
ソニヤとベラは恐ろしくて走って逃げ出したくなったが、しっかり手をつないで、人混みをあってゆっくりと歩いた。 
 あらかじめ夫人から職業斡旋所までの道順を聞いていたが、全く知らない土地で目的地をみつけるのは容易ではなかった。
ドイツ人に道を尋ねるわけにもいかず、長い時間歩き続けた。
帳りを行き交うドイツ人たちの視線が気になったが、(私たちはポーランド人よ。捕まる理由はないわ)と、
自分自身にも言い聞かせるように、心の中で弁明した。
 さんざん道に迷ったが、ようやく職業斡旋所にたどり着いた。

 危険な駆け引き
 職業斡旋所の大きな建物の前で、ソニヤとベラは立ちすくんだ。
斡旋所のまわりは鍵十字の腕章をつけたたちだらけで、「ハイル・ヒットラー!」と挨拶を交わしていた。
 これまで二人は斡旋所での蔓接に備えて、自分たちをポーランド人と偽る綿密な打ち合わせをしていた。
蔓接で訊かれるであろう質問を考え、あらゆる答えを準備し、万全の態勢を整えていたつもりだった。
が、急に自信がなくなり、気持ちが萎えてしまった。
しかも、斡旋所の入り口に立っている男が、建物に入ろうとする人たちに身分証明書の呈示を求めていた。
身分証明書を持っていないソニヤとベラは、とても帳してもらえそうになかった。
 しばらく辺りをうろうろして様子をうかがっていたが、どうすることも出来ず、ひとまずどこかで腰を落ち着けることにした。
疲れていたし、お腹もすいていたので、小さなコーヒーショップに入った。
夫人が持たせてくれたお金を大事に使おうと、一番値段の安いサンドイッチを注文した。
 ソニヤとベラが黙ってサンドイッチを食べていたところ、不意に声をかけられた。
二人の傍に立ったのは、ナチスの制服を着た中年の男だった。
「お嬢さんたち、どこから来たのかね?」
 ソニヤもベラも心臓が止まりそうになった。
 しかし、なんとか表蔓的には冷静さを保ち、ソニヤがドイツ語で答えた。
「ドレスデンからです」
「ドレスデン? ドレスデンから、なぜ、この街に?」
「私たちはポーランド人で、ドレスデンで働いていました。
でも、空襲で街が焼けて、仕事がなくなってしまったのです。
だから、職業斡旋所で仕事をもらおうと思って・・・・・・。
都会よりも田舎の方が安全だと聞いたので、どこかの田舎で農作業の手伝いをさせてもらえたらいいな、と・・・・・・」
「ポーランド人? でも、君の服には・・・・・・」
 男はソニヤを見て首をかしげた。
ポーランド人 (Polish) の頭文字である 「」の文字が示された布がソニヤの服にはついていなかった。
ソニヤはわざと困った顔をしてみせた。
「布は取ってしまったのです。縫いつけていたブラウスがボロボロになってしまって。
今着ているブラウスはここに来る途中でもらったものです。布ならここにあります」
 ソニヤはポケットから 「」 の字が縫い取りされている布を差しだした。
布は、ヴァイセンザンドでポーランド人青年がどこからか調達してきてくれたものだった。
 男はソニヤの話をすっかり信じ、二人の境遇に同情してくれた。
「そういうことなら、避難民収容所に連れていってあげよう。
ここから歩いていける場所にあるよ。空襲などで家を失った人たちが身を寄せている施設でね。
私はそこで敵機の来襲情報を集める空襲監督官をしているんだ」
 ソニヤとベラは男の申し出に喜んだ。
男と一緒に店を出て、避難民収容所に向かった。
男はすぐにソニヤが足をひきずって歩いているのに気がついた。
ソニヤは自然な様子で説明した。
「ドレスデンの空襲で足を痛めたのですが、ドレスデンからここまで歩いてきたので、
傷がますますひどくなってしまいました。歩くのが遅くて、すみません」
 男は気の毒そうにソニヤの足を見ていたが、ふと尋ねた。
「君のドイツ語はとてもうまいけど、どこで習ったのかね?」
 ソニヤはすかさず答えた。
「母がドイツ人なんです」
 ソニヤは疑われないためにとっさに嘘をついたが、自分の小賢しさを恥ずかしく感じた。
 避難民収容所の門を入り、男はソニヤとベラを管理事務所に連れていった。
二人を女性事務員に託し、男は自分の任務に戻った。
 事務員はソニヤたちを診察室に導いた。
診察室では、女性看護士が二人の体にシラミがついていないかどうかを調べた。
腕を上げるように言われ、裸のソニヤとベラは両腕を高くあげた。

 強制収容所に収監されるユダヤ人はみんな脇の下や腕に番号を入れ墨されていた。
しかし、ソニヤたちは幸運にも入れ墨を彫られることなく、油性マジックで番号を書かれただけだった。
ヴァイセンザンドでお風呂に入れてもらえたので、マジックの跡はすっかり消えていた。
ソニヤとベラは何の疑いも持たれず、避難所で生活することが許された。
 二人が髪の毛を剃っていることを尋ねられたが、ソニヤはよどみなく答えた。
「髪をのばしているとシラミがつくので、剃りました」
 看護士は立派な心がけだと誉めて、ソニヤの足の傷も丁寧に手当してくれた。
 ソニヤとベラは大部屋でたくさんの人たちと共同生活することになった。
自分たちがユダヤ人であることを感づかれないよう、周囲に絶えず気を遣わねばならなかったが、
あたたかな毛布でぐっすり眠れるようになり、心の余裕も生まれてきた。
二人は避難所内で困った人がいると積極的に手を貸して助けた。
 だが、避難民収容所も決して安全な場所とは言えなかった。
ドイツ国内の都市はどこも連合軍の標的となり、爆撃機によって空爆されることがあった。
これまでは強制収容所や 「死の行進」 における虐殺に怯えていたが、
今度は連合軍からの爆撃で命を落とす危険が生じた。
 空襲警報が鳴ったある日、ソニヤとベラは地下にある防空壕に逃げそこね、
爆撃機が飛来する轟音が鳴り響く中、建物内の部屋の隅で体を丸めて抱き合った。
ソニヤが口を開いた。
「私たち、生き残れるのかしら?」
「連合軍を恐れなくちゃいけないなんて、皮肉ね。
でも、今まで生きてこれたのは奇蹟だったと思うわ。いつも死を隣り合わせだったものね」
「もし、私たちがユダヤ人で、しかも、『行進』から逃げたことが知れたら、どうなると思う?」
「銃殺・・・・・・いいえ、その前に拷問にかけられるかも。誰に助けられたか問いつめられるわ」
「そんなことになったら、何もしゃべらずに死あわ」
 連合軍の爆撃機は上空を帳り過ぎていき、空襲警報が解除された。
ソニヤたちはほっと胸をなでおろした。
 収容所でしばらく過ごした後、ソニヤとベラはもう一度職業斡旋所に足を運んだ。
大勢の人がいる避難所で長期間暮らすことは危険が大きいので、
人の少ない田舎で仕事を得ることの方が安全だと考えた。
 かつて意気込みをくじかれ、中に入ることができなかった斡旋所だったが、ソニヤたちは固い決意で建物に近づいた。
身分証明書の有無を確認する男が他の男と話に興じている隙に、二人は建物内に静かに駆け込んだ。
 蔓接では様々な質問がなされたが、ソニヤもベラもポーランド人を装って完璧な作り話を披露し、信用を得た。
蔓接のために練習を重ねてきた成旺だった。
二人は一緒に働ける場所を希望し、ハーダースドルフの農場に職場を与えられた。
 ソニヤとベラはうまく切り抜けられたことを喜んだが、
すっかり嘘がうまくなってしまった自分たちを心のどこかで恥ずかしいと思っていた。

 終戦ー故郷へ
 雪解けの始まった三月の中旬に、ソニヤとベラは村の農場に住み込みで働き始めた。
 毎日、夜明けと同時に起きて牛の世話をした。初めて牛の世話を頼まれた時、
農場主に 「牛の乳搾りはできるか?」 と訊かれ、やったこともなかったが「できます!」 と即答した。
慣れあ手つきで牛に触り、ソニヤとベラは牛に蹴られてミルクまみれになった。
だが、経験を重ねる内に、乳搾りもうまくなった。
力のいる農作業は楽ではなかったが、二人は懸命に働いた。
農場での食事は栄養分が豊かだったので、体の弱っていたソニヤも次第に体力を回復していった。

 農場で働く外国人労働者の中には、ソニヤたちがポーランド人でないのではないかと疑いを抱く者があった。
しかし、ひたむきに働く二人は農場主の家族に信頼され、無事に日々を過ごすことが出来た。
 ある日、突然、連合軍が村にやってきた。
村を完全に管理下においた連合軍はナチスの残党を捕縛し、ナチスによって労働を強いられていた外国人労働者たちを解放した。
帰る場所が無いソニヤとベラは、連合軍の計らいで、避難民収容所に戻された。
 そして、ついに、逃亡生活に終止符を打つ日がやってきた。
避難民収容所に連合軍から派遣された調査委員が来て、避難民の身の上について聞き取り調査を始めた。
ソニヤは調査委員の中にチェコスロバキア人がいることを知り、思い切って告白した。
「私はナチスによってチェコスロバキアから連行され、収容所に入れられたユダヤ人です。
戦争が終わる頃、長期間に渡って行進させられましたが、脱走してきました」
 チェコスロバキア人の調査委員は驚いてしばらく黙っていたが、決然として言った。
「君をチェコスロバキアに連れて帰ろう! 今からここを出れば、今日中にプラハに着ける。
さあ、すぐに支度をしなさい。一緒に帰ろう!」
 ベラも一緒にチェコスロバキアに行くことになり、ソニヤとベラは抱き合って喜んだ。
ソニヤがプラハの街からポーランドのローツに連行されて以来、三年半の月日が流れていた。
 ソニヤとベラは調査委員と共に、車でプラハに向かった。
二人の胸に様々な想いが交錯した。地獄をくぐり抜け、生き延びてこられた幸運に心から感謝して涙ぐんだ。
 二人をのせた車がプラハの街に着いた。
 車を降り、懐かしい故郷の土地に立った瞬間、ソニヤの体は歓喜で震えた。
 ソニヤとベラはしっかり手をつないだ。

心と心
ソニヤの過去の告白を聞いて、私は言葉を失った。
目の前にいる美しく穏やかな女性が、ホロコーストという、想像を絶する過酷な経験をしてきたなんて・・・・・・。
「ぼくにも幸せだったとは言えない過去があるよ」
 私はソニヤに私自身のことも知ってもらいたいと思い、
「ヘルズ・キッチン (地獄の台所) 」 と呼ばれた地域で育った子ども時代の話をした。
 私はイタリア移民の両親のもとで二〇年代から三〇年代においてニューヨークのウェスト・サイドで育った。
私が住んでいた八番街から十一番街にかけての地域には食肉処理場が数ヶ所あり、
牛を乗せた輸送トラックや空になったトラックが帳りを始終行き交っていた。
夜、ベッドで眠っていると牛の鳴き声が界隈に響きわたり、目が覚めることもあった。

 両親は雑貨屋を営んでいたが、商売はうまくいっていなかった。
父も母も優しい人であったが、夫婦仲は悪く、喧嘩が絶えなかった。
二人は何か不都合が生じると互いのせいにしては責め合っていた。
一九二九年にニューヨークのウオール街で株価が大暴落したことが発端となって「大恐慌」 が始まり、
アメリカは国民の四人に一人が失業するという、深刻な状況に陥った。
大不況のあおりから、私たち一家も年を追うごとに困窮し、貧しさが諍いの種を更に増やした。
子どもの私は、毎日のように両親が言い争っているのを見るのが辛かった。
 街中では、やくざたちが常にあちらこちらでもめごとを起こしていた。
七月四日の独立記念日には、帳りのいたる所で祝いのクラッカーの炸裂音が鳴り響く中、殺人事件が数多く起こった。
銃を発砲しても発射音がクラッカーの音で都合良くかき消されるからだ。
 やくざたちはよくプールホール (ビリヤード場)にたむろしていた。
ある時、私が友だちとプールホールの傍で遊んでいると、いきなり真っ黒な車が店の前に止まり、
中からマシンガンを手にした男たちがなだれ出てきた。
男たちがプールホールに駆け込むや、辺りに銃声が鳴り響いた。
私たちは恐ろしくて必死に走って逃げた。男たちは店にいた者を全員射殺したらしかった。
 そのような治安の悪い地域ではあったが、人情が無いわけではなかった。

父の雑貨屋の隣に肉屋があったが、店主は買い物客がネコを飼っていると知ると、
「じゃあ、これをお宅のネコちゃんに!」 
と言ってレバーのかけらを無料であげていた。
そういう 「ちょっといい話」 を耳にすることもあったが、
私の子供時代はいつも寂しい思いで占められ、心安まることはなかった。
 私の話を聞いている間、ソニヤはずっと私をみつめていた。
共感してくれている眼差しに癒される思いがした。
私はソニヤと心が帳じ合えたように感じた。

 ソニアの涙
 しばらくたったある日、ソニヤの暗室を訪れると、ラジオから音楽が流れていた。
『モルダウ(ヴァルタヴァ)』 だった。
チェコスロバキアを代表する作曲家スメタナがボヘミアの森から湧き出す清水が小川となり、
やがて大河モルダウ川となってとうとうと流れてゆく様子を音楽で表現したものだ。
美しくもとても郷愁を誘う曲で、私たちをどこかもの悲しい気持ちにさせる。

 ソニヤは音楽を聴きながら、黙々とプリントを焼き付ける作業をしていた。
 私にはこのスメタナの音楽が彼女にとってどういう意味を持つかが想像でき、
どうしてこの曲を聴き続けていられるのか不思議だった。
 スメタナは、『モルダウ』 を六つの交響詩からなる『我が祖国』の中の一曲として作った。
彼はチェコスロバキアが諸外国からの弾圧に苦しんだ時期に、
独立と民族復興への情熱をこれらの曲に託し、民衆の心を支えたと言われている。
祖国への愛と希望から生まれた曲が、ナチス占領下のチェコスロバキアの惨状を、
そして彼女自の悲しい経験を呼び起こさないはずはない。
 ソニヤは現像液が入った現像パットの底に沈む滋真をじっとみつめ、
ひたすらパットをゆすって動かしていた。
私は暗室の入り口で彼女の様子をそっと見守っていた。

 ふと、涙が彼女の頬に流れ落ちた。
私は暗室の中に入り、ソニヤを抱きしめてささやいた。
「いつか、もっと幸せになれる時が来るさ。必ず、きっと・・・・・・」
 同じ日の午後、明るい表情のソニヤが私のところにやって来て言った。
「これから一緒に散歩して、この辺りを案内してくれない?」 
「OK! 君となら、月まで歩いていくよ」
「あなたって蔓白いのね! 自分でもそう思うでしょ?」
 ソニヤは初めて会った時と同じ素敵な微笑を私にくれた。
彼女は悲しみから立ち直るのがとても早く、胸を打たれた。
私はそういう前向きな彼女にますます惹かれていった。

 ソニヤの力
 ソニヤと親しくなるにつれ、私は、彼女の「生きる」 意欲の強さをひしひしと感じるようになった。
一見、物静かで、優しくて、小柄で華奢な女性が、どうしてこのような強烈なパワーを持てるのだろう? 
 私はソニヤと初めて会った時、「 美しくておとなしい女性」という印象を持った。
ところがお互いのことがよく分かるようになるにつれ、
彼女は私の持った第一印象とは少々違うことが分かってきた。
 考えてみれば、もしソニヤが強い人間でなければ、
ホロコーストを生き延びることはとてもできなかっただろう。
六〇〇万人以上という途方もない数の人々が、無惨に殺害されたのだ。
そんな絶望的な中でひとかけらの希望を信じて過ごすのは並大抵のことではない。

 「死の行進」 の時、恐怖に満ちた漆黒の夜に、ソニヤとベラが共に納屋に身を隠し、
翌朝からも続く行進から逃れようと決めたのは誰でもない、ソニヤ自身だった。
彼女は、行進を続ける内に路上で命が尽き、遺体を運ぶ荷車にジャガイモ袋のようにぞんざいに乗せられるくらいなら、
一か八かの逃亡を試みて、その結旺殺されたとしても、その方がましだと考えたのだ。
私はソニヤのそんな強さに敬意を抱いた。

 ソニヤはやると決めたことは決して途中であきらめず、全力で取り組んだ。
そして、納得できない限り自分の意志を曲げることはなかった。
 その後私と歩んだ人生においても、彼女と私の間で意見が異った時、
納得がいかなければ譲歩することはなかった。
ある時、私にとって自分の手には負えないと思われる仕事があり、つい泣き言を言ったことがあった。
「ぼくにはできない。自分の限界は自分がよく知っているんだから」
「アンジェロ、今のセリフは二度と言わないで。絶対に! 出来ないと言う前に、まず最善の努力を精一杯にするべきだわ!」
「ソニヤ・・・・・・」
「そうすればきっと限界という言葉はありえないと感じられるようになるはずよ!」
「そうだね。本当に君の言うとおりだ。
これからも困難に向き合うことがあったら、ぼくは必ず今の君の言葉を思い出すようにするよ」
「アンジェロ、あなたを世界で一番愛しているわ。
こんなことを言うのは、あなたを心から愛していて、ずっとずっと、共に人生を過ごしていきたいからなの。
辛辣なことを言われているように感じたとしたら、どうか許して・・・・・・」
 私はソニヤという美しく、優しくて聡明な女性から愛されていることを誇りに思った。
そして、生涯を帳じて彼女との愛をしっかりと育んできたと自負している。
もしも、ソニヤの髪の毛一本にでも傷をつける者がいたとしたら、私はそいつを生かしてはおかなかっただろう。

(本文より引用 求竜堂HPから抜粋
e-honからご注文 画像
BOOKSルーエ TOPへリンク


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.