二〇〇二年ワールドカップの開催権が日本と韓国に授けられることになったとき、大勢の人々が言った言葉を思い出す。 うまくいきっこない。 多くの専門家、サポーター、プレイヤーが、この両国にはヨーロッパや南米のようなフットボールヘの情熱がないと信じていたのだ。 彼らはこう考えた。 大会が"日出ずる土地"に委ねられた理由の多くは、フットボール的というよりも、経済的、政治的な部分だったに違いない、と。 しかし、それはまったくの間違いだった。 素晴らしいワールドカップだったと思う。 世界最強のチーム、ブラジルが順当に優勝を収めるまでの過程には、最高の試合と最高のパフォーマンス、そしていくつかの番狂わせもあった。 日本、および韓国チームには誰もが驚かされ、今や世界中に侮りがたい力と存在感を示した。 各試合が行われた新しいスタジアム群も目を見張るものがあった。 そして、極東のファンは、どこにも負けないこのスポーツヘの愛情を証明した。 ワールドカップニ○〇二は言うまでもなく、僕の人生の一章となって記憶に刻まれている。 日本の地で母国のキャプテンを務めた誇りは、僕のプレーイングキャリアの中で永遠に忘れられないハイライトのひとつだ。 決勝の舞台、横浜のピッチに立てなかったのは残念でならない。 日本の人々が僕たちの自前のファンとほとんど同じようにイングランドを応援してくれたことで、まるでホームで戦っているような心強さを感じたのだから、なおさら悔しい。 温かい歓迎ぶり、僕のナンバー「7」をつけたイングランドのシャツを着た数多くの日本人サポーターたちの姿は、イングランドチームを信じられないほどに力付けた。 それはまた、はるばるやって来たイングランド人のファンにも感銘を与えた。 彼らと彼らが日本で出会った人々との間に育まれた友情は、あの夏を通して僕の心を照らした。その絆が永遠に変わらないことを祈るばかりだ。 日本で経験したワールドカップは、一プレイヤーとしての僕の確固たる到達点であり、この自伝を書く上でも重要な動機のひとつとなっている。 フットボーラーとしての僕の義務を脇に置いても、日本で過ごすことができたのは本当に幸運だった。 日本という国を、人々を、文化を、わずかなりとも知る機会を得たこと、その体験は、僕のストーリーにおいて重要な位置を占めている。 家族は、僕の人生にとって、それはもう掛け替えのない一部だ。 スパイス・ガールズのひとり、ヴィクトリアと恋に落ち、将来を誓い合い、ふたりの息子、ブルックリンとロミオを授かったこと。 この夏、ヴィクトリアと僕はコマーシャル契約で日本を訪れることになったが、僕たちふたりに対する温かい歓迎ぶりにはあらためて驚かされた。 この国でイングランド、およびイングランドのフットボールチームが人気を博していることは以前から知っていた。 しかし、僕たちは独自に、個人として、あるいは一夫婦として、日本の人々との結び付きを確認できたのだと思う。その結び付きは決して一面的なものではない。 ただ単に、どこに行っても多くの人々が僕たちに会いにやってくるだけではなかった。日本の社会の価値観の多くが、僕たち自身のそれと似ていることを感じずにはいられなかった。家族生活に対する思い入れ、努力する美徳への信念、友人や他者への礼儀を重んじる心。日本には是非また近い日に戻って来られたらと願っている。 一方で、僕にとってはフットボール、そして家族の幸福こそがすべてだ。この本を書き始めた一年弱前の頃には、レアル・マドリードに移籍することになるとはまったく想像だにしなかった。 それが現実になった今、一プレイヤーとしての人生が再び、音を立てて始まろうとしているのを感じている。 ベッカム家全員にとっては、それがマドリードでの新しい暮らしの始まりを意味しているのは言うまでもない。 この本には、今ある僕の位置、すなわち、イングランドのキャプテンと、世界で最も成功に彩られたフットボールクラブと新たに交わした契約に行き着くまでを、できる限り正確に、かつ正直に記したつもりだ。その冒険を振り返り、思い出をひもとく作業に、僕はわくわくしながら取り組んだ。 どうか、皆さんにも、わくわくしながら楽しく読んでいただけますように。
デイヴィッド・ベッカム
ニ○〇三年八月
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