女性に大人気の下着通販会社「ピーチ・ジョン」。そのカリスマ社長“みかじょん”こと、野口美佳。広く賢く逞しい女を目指すための、愛と勇気をくれる抜群のハッピィ論。
私は今三十八歳。 故郷の仙台から東京へやってきて、ちょうど二十年が経つ。 ……二十年。 あっという間と言えばあっという間だったし、それは、長いと言えば長い時間だったような気もするし。 あれもこれもと欲張っているから、自業自得で忙しい目にあっているのは、今も変わらない私の特徴で、こうして常にあわただしい日々は、これからも生涯続いていくのでしょう。 最近では、雑誌やテレビや講演と、思い切って人前にも出始めた。 まだ三十代の女社長!年商百三十四億円!三人の子持ち! こんな感じで、私を飾られるキャッチフレーズはどんな取材を受けてもほぼ一緒。 この仕事を始めたきっかけ、成功の秘訣、どんなところに住んで、どんなものを食べているか、どんなことにお金を使っているか……。 自分の顔がどーんとテレビに映るかと思えば、でがでかと貼られる生々しいテロップや大げさな演出。 自分自身もそりゃ唖然。 だけど、個人として傷ついても、社長としては、まあテレビだからなあと諦めておしまい。 どう作られようと、無料の宣伝効果には代えられない。 そう、私はわずか数年で急成長した、女の子に人気の下着通販、年商百三十四億円、ピーチ・ジョンの社長、野口美佳。 十八歳の春、大学受験もせず就職も決めずに、進路未定のまま高校を卒業 した。 大部分の同級生はそのままエスカレーターの女子大や短大へ、または他の大学や企業就職へと導かれていった。 私はといえば、用意された道すべてへの違和感によって、どれに進む気に もなれなかった。 大好きな友だちがそこにいるのに、そこに行けばまたしばらくみんなで一緒に過ごせるのに、それでも、私は何も決めずに学校を出た。 卒業直後は自分なりの体裁のため、美大浪人生と名乗って、地元の予備校にちょろっと通っていたりした。 しかし、本気で進学しようという熱は持てず、アルバイトに励んでは朝まで飲んだり、その日その日をめいっぱい遊んで、どんどん知り合いが増えることを楽しんでいた。 就職する気もなく、学校へ入る気もないただの遊び人。 しかも、そんな自分の将来にまったく不安も感じていなかった。 いろんな人と出会うたびに、なぜだか無駄に時間を過ごしていない自信さえついていった。 高校生の頃から私は、ファッションやアートや新しい音楽が大好きで、また、感情豊かな人たちと一緒にいるのが好きだった。 そして、ただ猛烈に、将来もその中にいられる人生を望んでいた。 アルバイトはその時間を買うためにまじめに続けていた日課の一つで、とにかくよく働き、よく遊んだ日々だった。 こうして、自由になった初めての夏をフル回転で遊び切った頃、仙台の町は、私には物足りなくなり始めていた。 そんなある日、ふらっと遊びにきた東京で、大学生になった同郷の男友だちと再会した。 すっかり東京暮らしが板についていた彼は、私にとってとても魅力的だった。 そうして、その夜から私は彼の部屋に居候の身となった。 恋と東京に夢中になった一ヵ月はあっという間で、さすがに怒りに満ちた電話口の母の声に呼ばれ、いったん仙台に帰ると、それでも私は自分の部屋の荷物をダンボール数個にまとめ、東京の彼の部屋へと宅配便を送った。 親の干渉のない自由な生活と、自分だけを見ていてくれる恋人、新しい土地、新しい世界を知ってしまった以上、もう両親の元へ戻ることはできなかった。 こうして、私は東京にやってきた。 当時はコピーライター、スタイリストなどカタカナ産業が大ブーム。 漠然とグラフィックデザイナーに憧れていた私には、上京したことは恋愛以上に絶好のチャンスだった(今でもその元彼氏は、今のお前があるのは俺のお陰といばっている)。 さっそく仕事を探し出し、小さなデザイン事務所にアルバイトで雇われると、初めて制作という現場を目の当たりにして、かなり戸惑った。 思いもよらなかったのは、仕事の内容もさることながら、人々が地味だった。 化粧っ気もなく髪はいつもボサボサの女性の先輩に、いつだって寝不足そうなTシャツにジーパンのスタッフたち。 経営者だけが、白い麻のスーツなんか着てた。
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