蹴りたい背中
著者
綿矢りさ/著
出版社
河出書房新社
定価
本体価格 1000円+税
第一刷発行
2003/08
ISBN 4-309-01570-0


 
【第130回芥川賞受賞作】 ベストセラー「インストール」から二年、待望の新作登場!
 

愛しいよりも、いじめたいよりも、もっと乱暴な、この気持ち・・・。高校に入ったばかりの“にな川”と“ハツ”はクラスの余り者同士。臆病ゆえに孤独な二人の関係のゆくえは・・・。


綿矢 りさ (ワタヤ リサ)
1984年、京都市に生まれる。現在、大学2年生。2001年『インストール』で、最年少17歳で第38回文藝賞を受賞する。『インストール』は、子供から大人まで多くの支持を集め、24万部のベストセラーとなる。

第38回文藝賞発表

【選考委員】石川忠司、多和田葉子、藤沢周、保坂和志
【受賞作】「インストール」綿矢りさ(わたやりさ)



さびしさは鳴る。
耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。
細長く、細長く。
紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。
気怠げに見せてくれたりもするしね。
葉緑体?オオカナダモ?ハッ。
っていうこのスタンス。
あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。
ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。
黒い実験用机の上にある紙屑の山に、また一つ、そうめんのように細長く千切った紙屑を載せた。
うずたかく積もった紙屑の山、私の孤独な時間が凝縮された山。
顕微鏡の順番はいつまで経っても回ってこない。
同じ班の女子たちは楽しげにはしゃぎながら、かわりばんこに顕微鏡を覗きこんでいる。
彼女らが動いたり笑ったりする度に舞 い上がる細かい挨が、窓から射す陽を受けてきらきらと美しい。
これほどのお日和なら、顕微鏡もさぞかしくっきり見えることでしょう、さっきから顕微鏡の反射鏡が太陽光をチカチカと跳ね返して私の目を焼いてくる。
暗幕を全部引いてこの理科室を真っ暗にしてしまいたい。
今日は実験だから、適当に座って五人で一班を作れ。
先生が何の気なしに言った一言のせいで、理科室にはただならぬ緊張が走った。
適当に座れと言われて、適当な所に座る子なんて、一人もいないんだ。ごく一瞬のうちに働く緻密な計算五人全員親しい友達で固められるか、それとも足りない分を余り者で補わなければいけないかーがなされ、友達を探し求めて泳ぐ視線同士がみるみるうちに絡み合い、グループが編まれていく。
どの糸が絡み合っていくか、私には手に取るように分かる。
高校に入学してからまだ二ヵ月しか経っていないこの六月の時点で、クラスの交友関係を相関図にして書けるのは、きっと私くらいだろう。
当の自分は相関図の枠外にいるというのに。唯一の頼みの綱だった絹代にも見捨てられ、誰か余ってる人いませんか、と聞かれて手を挙げた、あのみじめさ。
せめて口で返事すればよかった。
目をぎょろつかせながら、無言で、顔の高さまで挙手した私は妖怪じみていただろう。
もう一人の余り者も同じ卑屈な手の挙げ方をしていて、やるせなかった。
この挙手で、クラスで友達がまだ出来ていないのは私とそのもう一人の男子、にな川だけだということが明白になった。
人数の関係で私とにな川を班に入れざるを得なくなった女子三人組は、まるで当然というふうに、余り物の華奢な木製の椅子を私とにな川にあてがった。
あてがったというよりも、スムーズに私たちの所まで流れてきた、という方が正しい。
余り者には余り物がしっくりくるのだ。
いじめじゃない、ごく自然なことなんだ。
似合うから、しっくりくるから、しようがないんだ。
椅子は、背もたれや脚の部分は黒い塗装がところどころ剥げ落ち、木の部分が見えてしまっていて、オレンジ色のクッション部分は虫に喰われており、他のみんなが使っているパイプ椅子に比べたら、椅子としては失格なほどアンティークだった。
ちょっと動いただけで、椅子の四本の脚はポテトチップスを噛み砕いている時のような、ぱりぱりした音を出してきしむ。
だから首だけを静かに動かして、私は横で私と同じ種類の椅子を使っているもう一人の余り者を眺めた。
彼は、先生に見つからないように膝の上で雑誌を読んで時間を潰していた。
(本文P.3〜5 より引用)


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