鏡の中の女は、どことたく煙ったような目をしていた。
心のすべて、ではないが、中心に近い一部分をどこかに落としてきてしまったかのようだ。磨きこんだ白い肌に、大きなダイヤモンドのネックレスが光っている。
今、女が着ているドレスを作ったのと同じフランス人がデザインしたものだ。
ネックレスは、世界にあとふたつだけ同じものがある。
ドレスは、この一着きりだ。
ヘアメイクアーチストは、二時間をかけて髪を作った。
そのあいだ女がしていたのは週刊誌を読むのとテレビを見ることだった。
まるでちがう世界だった。
そこにあった世界と女は、九年前までつながっていた。
九年間。
ほんのわずかだ。
そのほんのわずかのあいだに、女はうんと遠い、かけはなれた場所へと移っていた。
十六歳の夏。両親が死んだ夏。
あの夏までは、確かに自分は、地球という星の上で生きていた。
今はどこにいるのだろう。
半分は凍てついた星。もう半分は熱く焼けただれた星。
凍てついているのはひとりでいる時間のすべてだ。
焼けただれているのは、あの男といる時間だ。
愛されている。まちがいない。
焼きつくすほど愛されている。だがその愛は、ひとりきりでいるときの自分を決して燃やすことはない。
男がかたわらからいたくたった瞬間、身も心も、冷えびえとした氷の惑星に自分が立っていることを彼女は思い知らされる。
鏡の中にもうひとりの人物が映った。肩幅の広い、腕の長い男。額の中央から後頭部にかけ、まっ白い帯が髪の中を走っている。
男のタキシードに包まれた腕が、背後から女の肩にのびた。
むきだしの白い肩をよぎり、て大きくふくらんだ胸にそっと掌をあてた。
「きれいだ。すごい」
ボリュームをもたせた髪に顔をおしつけ、耳もとで男が嚇く。
鏡の中の女は一瞬、目を細める。
深みのある男の声が、胸よりももっと奥、そして皮膚のすぐ下とつたがった官能の糸にさざなみを走らせたのだ。
何千本、何万本とある官能の糸。男が一本一本紡ぎ、一本一本、女の体にはりめぐらせた。九年の時間をかけた。
男はきっと、女よりも女の体を知っている。
歓びの与え方、そのはるか先をいく白い閃こう光の爆発へと導く道、男は指一本で、女の体からすべての力を奪いとる術を知っている。
「今すぐ欲しいよ」
男がさらに曝く。指先が虫のようにくねり、ドレスの深い胸ぐりを這いこむ。
それを鏡とがの中で見ていただけで、固く尖ってしまった乳首に触れる。
膝の裏が小刻みに震える。
「駄目」
「すぐだ、すぐに終わる」
「駄目。いつ人がくるかわからたい」
「大丈夫。こさせたい」
その通りだ。男は王だ。男には小さいが強力な王国がある。
男のもう片方の腕がドレスの裾にのびる。
「やめて……。声がでちゃう」
その言葉に敗北の響きを感じ、男の頬に傲慢た笑みが浮かぶ。
すでに男の手は女の中心部にまでのびている。
「鏡をみて。ほら、見てごらん……」
閉じそうになる女の瞳に、男が曝きかける。
「駄目、駄目」
目をあけていられたい。熱いうねりの第一波がすぐそこまできている。逃れることはできたい。
背後から男が抱きすくめる。
「声が─」
「聞こえやしたい。パーティは始まっているんだ」
|