オクシタニア
著者
佐藤 賢一
出版社
集英社
定価
本体価格 2400円+税
第一刷発行
2003/07
ISBN 4-08-775307-7
 
宗教とは生きるためのものか、死ぬためのものか。13世紀フランス南部。〈オクシタニア〉と呼ばれる地方に繁栄を築いた、異端カタリ派の興亡を背景に描く人間群像。堂々1800枚! 衝撃の書き下ろし長編。
 

信ずるべきは正統かそれとも異端か
神に挑む男。神に迷う女。神を疑う男。
13世紀南フランス。豊穣の地<オクシタニア>に繁栄を築いた異端カタリ派は,北部騎士とフランス王軍勢をいかに迎え撃つのか。
トゥーレーズ名家の御曹司エドモン。彼の妻となるジラルダ。北部勢力の侵攻に抗するトゥールーズ伯ラモン。三人の運命が出会ったとき、地上の快楽と苦悩をめぐる孤独な闘いが始まる。
堂々1800枚の書き下ろし西洋歴史小説

歴史小説は資料から生まれるものだと考えていた。
がその地に呆然と立ち尽くしたとき,あらかじめの構想など吹き飛んだ。
モンセギュール、キリスト教の異端カタリ派の聖地,このピレネの山奥から物語は始まるだろう。(佐藤賢一)



その山は遠目にも、はっきりみえた。
それほど高いというわけではない。
ほとんど雲に隠れながら、ピレネの山並は果ての分水嶺をめざして、もっともっと高いところに上り続ける。
その山が見上げる人間の目を捕えて離さないのは、なだらかな稜線に加わることを、あえて拒否しているかのように、唐突に隆起しているからだった。
峻厳な立ち姿は自らの意志を持ち、周囲に埋もれてしまうことを、頑なに拒否するようでもあった。
それこそ色から歴然として違う。欝蒼たる樹海に押し寄せられながら、山裾の丘陵こそ紅葉を斑に混ぜる深緑の色に染められていた。
が、拳骨を突き上げたような形で、ぬっと空に突き出した岩山は、切り立つ角度でほとんど植物の繁茂を許さず、灰青色の岩肌を剥き出しにしているのだ。
その山はフォワまでアリエージュ渓谷を遡り、そこから東に折れる山岳地帯に隠れていた。
レヴィス・ミルポワ家の領地、いわゆる「元帥領」に含まれる一角だが、山そのものに行き着くまでには、ぐんぐん傾斜を上げながら、進むほどに森に路肩を侵されて、細く、険しく、また足場が悪くなるばかりの山道を経なければならなかった。
普段は往来という往来もない僻地である。
荒々しいばかりの自然の聖域は、ときおり獣の喧障を耳にするだけの道行なのだが、その山が峰々の狭間にみえ始めるや、知恵ある人間ほど吸い寄せられる気分に捕われるから不思議である。
「そうそう」
そうだった、とエドモン・ダヴィヌスは思い出した。
何年ぶりになるのか、それさえ定かでないくらいの再訪だったが、あるときを境に、ぞっと神経が毛羽立つような感覚は、あの頃と寸分変わらないものだった。
すべりやすい斜面に張りつき、右にくねり、左にまがり、えんえん右往左往を繰り返しているうちに、その山が一度も隠れず、変わらない陰影で立ち続けていることに気がつくからである。
目を奪われているうちに、行かなくてはならないと思い始める。
その山こそ世界の中心であり、全ては渦を巻きながら、そこに収敏するしかないような錯覚が生じてしまう。
一二八三年十月、このあたりを国境とするフランス王フィリップ三世とアラゴン王ペラ三世が、おりしも戦争に突入した年の秋のこと、そんなものは些事だと脇目ひとつ振ることなく、その行進も先窄まりの穴のような狭道に吸いこまれていくばかりだった。
「あれがモンセギュールですね」
いくらか興奮気味に確かめたのは、まだ若い修道士だった。
確か名前をマルクという。丸い頬を赤々と染めながら、深山の寒気に自い息を弾ませる様子は、ほとんど幼いくらいにみえたが、これで純白の僧衣に袖なしの黒外套をきちんと合わせ、出で立ちは世に聞こえたドミニコ会士に他ならない。
ピレネの深山を踏み分けるのは、今やキリスト教の世界を席巻する巨大修道会だった。
若者が競うように志願すれば、それを受け止め、きちんと教え導く先達がいて、さらに聖書時代の隠者さえ思わせる老僧が、あまねく人々の尊敬を集めている。
のはずなのだが、それにしては気楽に話しかけるものよ。
いくらか侮られても無理はないと、エドモンが苦笑で思い返すのは、我ながら髪白く、すっかり老いていたからだった。
ぱりとしているのは、もはや僧服くらいのものだ。
鏡など覗かなくても、己の見苦しさは百も承知の上なのだ。
ふやけた瞼は眼に垂れ、だらしない口元は常に何かを咀嚼するようであり、くしゃくしゃに紙を丸めて、広げなおしたような皺だらけの相貌は、さながら枯れかけた植物の様子である。
少しも可愛いところがないのに、子供同然に手がかかるというのだから、なるほど、ぞんざいに扱いたくもなるだろう。
実際のところ、齢八十を越えているとか、もう九十に近いとか、さまざま周囲に噂されても、自分では確かな年齢も覚束なくなっていた。
もう足が弱いために、便所に立つにも余人の手を借りなければならないほどで、ましてや山道を登りたいと所望すれば、こうして輿で運ばれるしか術がない。

(本文P.8〜9 より引用)


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