ジョン・レノン レジェンド
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著者
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ジェームズ・ヘンケ著 野中邦子訳 |
出版社
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河出書房新社 |
定価
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本体価格 5200円+税 |
第一刷発行
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2003/ |
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◆◇収録アイテムのリスト◆◇◆◇◆◇◆◇ ●「イン・マイ・ライフ」手書き原稿 ●ジョンの絵『インディアン』1952年、色鉛筆 ●ジョンの絵『サッカー』1952年、水彩 ●ジョン自作の新聞『デイリー・ハウル』1950年代 ●クオリーバンク・グラマー・スクールの成績通知表、1955−56年度 ●初期のクオリーメンのビジネスカードと、ジョンのインスタント証明写真 ●セント・ピーターズ教会祭のプログラム、1957年。(このステージのあと で、ジョンはポールと初めて出会った) ●初期のビートルズ・グッズ、バッジ ●キャヴァーン・クラブの会員用ブックレット、1964年 ●シルヴァー・ビートルズ時代の契約書、1960年 ●トップス社のトレーディングカード、「ダイアリー」シリーズと「カラーカード」シリーズからの5枚。初期のビートルズ・グッズの1つ ●ビートルズが出演した1965年8月14日収録の『エド・サリヴァン・ショー』の入場券、オリジナル・ホルダー付き ●『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(『ハード・デイズ・ナイト』)』の1964年に開催されたロイヤル・ワールド・プレミアのチケットと、アメリカと日本の映画宣伝用ポスター、袋は封切当時のプログラム ●「デイ・トリッパー」手書き原稿 ●ヨーコがジョンと出会ったときに渡したと言われる「息をしなさい」と書かれたカード「未完の絵画とオブジェ」展より ●「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」 ●『エア・ボトル』のラベル3枚、ジョンとヨーコの初のコラボレーション、「ハーフ・ア・ウィンド」展より ●ジョンの「ユー・アー・ヒア(あなたはここにいる)」展の4枚組カード。展覧会のプログラムでもあった ●「親愛なる世界へ」と宛名が書かれた手紙。ジョンとヨーコの平和運動の1つ(いままで公表されたことがなく、これが初公開。) ●「戦争は終わる」のポストカード、ジョンとヨーコの世界平和キャンペーンの一環として作られた ●1969年のリトグラフ『バッグ・ワン』からの3点 ●『抱きあうジョンとヨーコ』(バッグ・ワンのロゴ)、『ジョンとヨーコの肖像:キス』『エッフェル塔』 ●「インスタント・カーマ」手書き原稿 ●『コンプリート・ヨーコ・オノ・ワード・ポエム・ゲーム(for yoko's with heads full of problems)』、1970年。ジョンは自分の写真1枚を 135片に切り(表)、それぞれの裏側に1つずつ単語を書き入れ(裏)、ヨーコに贈った ●『コンプリート・ヨーコ・オノ・ワード・ポエム・ゲーム(for yoko's with heads full of problems)』を入れた封筒、1970年 ●ワン・トゥ・ワン・コンサートの新聞広告、1972年(表) ●『ヌートピア宣言』とヌートピアの国旗(白いハンカチ)。パッケージ にあるのはヌートピアの国章 ●『心の壁、愛の橋』のプレス用資料。パッケージも当時のもの ●「主夫」時代に描かれた線画3点。『Self-Portrait』1975年、『And Then I Took It All Seriously』1979年、『Every Day in Every Way I'm Getting Better and Better』1979年 ●「ジョンとヨーコからのラヴレター。私たちに、何が、いつ、どうしてと尋ねる人びとに」。1979年5月27日日曜日の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された ●「ビューティフル・ボーイ」手書き原稿 ●「スターティング・オーヴァー」手書き原稿 本書は、オハイオ州クリーヴランドのロックンロール・ホール・オブ・フェイム・アンド・ミュージアム(ロックの殿堂博物館)で開かれた特別 展「ジョン・レノンーーその人生と作品」の結果として生まれた。この展覧会と本書のどちらも、ヨーコ・オノ・レノンの寛大な指示なしでは、成立しなかった。したがって彼女の助力に対して、なによりもまず感謝と敬意を捧げたい。 (James Henke「acknowledgments 謝辞」より) |
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