バトル・オブ・バトル・ロワイアル2
著者
深作組/監修
出版社
角川書店
定価
本体価格 1600円+税
第一刷発行
2003/07
ISBN 4-04-853625-7
 
−深作健太が語る「BR II 」の舞台裏−
 

前作の成功から、実父深作欣二監督のガン告知、完成しないシナリオ…。深作健太が語る今夏の問題作のメイキング本。



僕達が受け継ぐべきもの

深作欣二という映画監督は、同世代の監督達が次々と東宝、松竹、日活といった大手映画会社を抜けて、独立プロで撮りたい映画を撮っていった時期、あくまで東映というメジャーにこだわり、そこにこそ自分の表現の核を置いた人でした。
アクション、ヤクザ、時代劇、文芸、SF、ミステリ。
貧欲に、あらゆるジャンルの映画に手を出した深作欣二ですが、思えば父は大手映画会社で仕事をする事よりも、そこが経営する「撮影所」という場所で働く事の方が、本当に大好きだったんだと思います。
東映東京大泉、東映京都太秦、そして松竹京都映画。日本の伝統あるどこの撮影所へ行っても、そこで働く大勢のスタッフを愛し、またそこで働く大勢のスタッフから愛される、本当に貴重な監督でした。
どの作品についた助手の名前も(人一人完壁に覚えていて、その失敗談を嬉しそうに話す時、また撮影が終わった後のスタッフルームでの歓談はいつも深夜にまで及び、『仁義なき戦い』で初めて京都に行った時は便所のラクガキに「深夜作業組」と書かれてしまったというエピソードを嬉しそうに話す時、父には「映画監督」や「映像作家」なんて言葉よ
り、「カツドウ屋」という響きが一番よく似合っていました。
父が七十歳になった時、『バトル・ロワイアル』を作るために父と僕は初めて独立プロダクション「深作組」を設立しました。
父と僕、二人きりの小さな有限会社でした。
そしてこの「深作組」こそが、やがて父が僕に遺してくれた”大いなる遺産”となってしまったのです。
まさか、こんな日が来るなんて夢にも思いませんでした。
『バトル・ロワイアルUは、親子二代が共同監督として名前を連ねる最初で最後の作品となりました。僕が父のメガフォンを受け継ぐ決意をした時、「深作組」には幼い頃から、あるいは助監督時代から、さまざまな事を教えてくれた師匠や先輩達のほとんどが居て、時には暖かく、時には厳しく、ずっと僕の演出を見守ってくれました。思えば、長く苦しいこの戦いをどうにか乗り切る事ができたのは、大勢のスタッフやキャスト、応援してくれるファンの皆さん、そして何よりも父の視線を、どこか遠くからずっと暖かく感じ続けていたからだと思います。
父はいつも、「映画はお祭りだ」と言っていました。
お祭りは、人が大勢集まった方がいい。
お祭りは、なるたけ若い人が多く来た方がいい。
そしてお祭りは、できたらちょっと大人が眉をひそめるくらい過激な方がいい。
『バトル・ロワイアルU』という、父にとっての最後のお祭りがどうやって作られたか。
大勢のスタッフの証言から、その苦闘を皆さんにも覗いていただけたら幸いです。
これから先、後に遺された僕達「深作組」は、深作欣二から何を受け継ぎ、どんな戦いを繰り広げてゆくのでしょう?
「日本は貧しいからな。竹槍でハリウッドと戦うんだよ」

父の言葉が僕には一生忘れられません。
僕達「深作組」の戦いはまだこれから、いま始まったばかりなのです。

「深作組」深作健太

 

(本文P.4〜6 より引用)


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