バカの壁 新潮新書 003
著者
養老孟司/著
出版社
新潮社
定価
本体価格 680円+税
第一刷発行
2003/04
ISBN 4-10-610003-7
 
話が通じない相手との間には何があるのか。「共同体」「無意識」「脳」「身体」など多様な角度から考えると見えてくる、私たちを取り囲む「壁」とは・・・。
 

イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

第1章 「バカの壁」とは何か;第2章 脳の中の係数;第3章 「個性を伸ばせ」という欺瞞;第4章 万物流転、情報不変;第5章 無意識・身体・共同体;第6章 バカの脳;第7章 教育の怪しさ;第8章 一元論を超えて


養老孟司 (ようろう・たけし)

1937(昭和12)年神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官し、現在北里大学教授、東京大学名誉教授。著書に『唯脳論』『人間科学』『からだを読む』など、専門の解剖学、科学哲学から社会時評まで多数。


第二章 脳の中の係数

 脳の中の入出力
 知りたくないことに耳をかさない人間に話が通じないということは、日常でよく目にすることです。これをそのまま広げていった先に、戦争、テロ、民族間・宗教間の紛争があります。例えばイスラム原理主義者とアメリカの対立というのも、規模こそ大きいものの、まったく同じ延長線上にあると考えていい。
 これを脳の面から説明してみましょう。脳への入力、出力という面からです。言うまでもなく、入力は情報が脳に入ってくることで、出力は、その情報に対しての反応。入力は五感で、出力というのは最終的には意識的な出力、非常に具体的に言うと運動のことです。
 運動といっても、別にスポーツのことを指しているわけではありません。話すのも運動だし、書くのも運動だし、手招きも表情も、全部運動になる。さらに言えば、入力された情報について頭の中で考えを巡らせることも入出力のひとつです。この場合、出力は脳内の運動となっていると考えればよい。
 コミュニケーションという形を取る場合は、出力は何らかの運動表現になる。

 脳内の一次方程式
 では、五感から入力して運動系から出力する間、脳は何をしているか。入力された情報を脳の中で回して動かしているわけです。
 この入力をx、出力をyとします。すると、y=axという一次方程式のモデルが考えられます。何らかの入力情報xに、脳の中でaという係数をかけて出てきた結果、反応がyというモデルです。
 このaという係数は何かというと、これはいわば「現実の重み」とでも呼べばよいのでしょうか。人によって、またその入力によって非常に違っている。通常は、何か入力xがあれば、当然、人間は何らかの反応をする。つまりyが存在するのだから、aもゼロではない、ということになります。
 ところが、非常に特殊なケースとしてa=ゼロということがあります。この場合は、入力は何を入れても出力はない。出力がないということは、行動に影響しないということです。
 行動に影響しない入力はその人にとっては現実ではない、ということになる。つまり、男子に「出産ビデオ」が何の感興ももたらさなかったのは、その入力に対しての係数aがゼロ(または限りなくゼロに近い値)だったからです。彼らにとっては、現実の話ではなかった。となれば、感想なんか持てるはずもありません。

 虫と百円玉
 同様に、イスラエルについてアラブ人が何と言おうと、さらには世界がいかに批判しようと、その情報に対しては、イスラエル人にとって係数ゼロがかかっている。だから、彼らの行動に影響しない。
 逆に、イスラエルからの主張に対しては、今度はアラブ側が係数をゼロにしている。聞いているようで、聞いてなんかいないわけです。これをもう少し別な言い方をすると、係数ゼロの側にとっては、そんなものは現実じゃない、とこういう話になってくる。
 身近な別の例を挙げてみましょう。歩いていて、足元に虫が這っていれば、私だったら立ち止まるけれど、興味が無い人は完全に無視してしまう。目にも止まらない。これは、虫という情報に対しての方程式の係数が、その人にとってはゼロだから。
 しかし、百円玉が落ちていると、その人は立ち止まるかもしれない。馬券が落ちていたら、「ひょっとして当たりかも」と期待して立ち止まり、拾うかもしれない。馬券については、私は止まらない。
 これは、入力に出力が全然影響を受けない場合と、受ける場合がきれいに分かれているということになる。人によってその現実が違うというのは、実はaだったらaがプラスかマイナスか、あるいはa=ゼロかの違いなのです。

 

(本文P.30〜 より引用)


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