バブル絶頂時の東京。ディスコで黒服のバイトをしていた堤彰洋は「地上げの神様」波潟昌男の愛人になっていた幼馴染みの三浦麻美と再会します。麻美から青年実業家・斎藤美千隆を紹介された彰洋は、斎藤の下、手段を選ばぬ土地の買上げや地上げ仕事に従事。一時は大金を動かす快感に酔いしれた彰洋ですが、周囲の人間の欲望の狭間で、徐々に身動きが取れなくなっていきます。一方の麻美も、あるとき波潟と斎藤の双方から裏切られていることに気づき……。 若き「持たざるもの」の暴走と破滅を描いた、著者新境地の作品です。
美千隆に電話する。 美千隆はいつものホテルにいた。ことの顛末を話した。 「それで?」 「波潟の部屋で、葉巻の保存ケースの中から電話番号だけが書かれたメモを見つけました。それの写しを今、持ってるんです」 「すぐに来い」 美千隆の声が上ずるのを、彰洋は初めて耳にした。 六本木から新宿まで、車を飛ばした。寝不足と覚醒剤の服用による体力の消耗。自らの行いが作用した心の消耗。 なるようになれ今はそれしか考えられない。 美千隆の部屋は煙草の煙で澱んでいた。 美千隆は短くなった煙草をくわえていた。 「見せてくれ」 挨拶はなし。労いの言葉もなし。美千隆の目は落ちくぼんでいる──双眸はぎらぎらと輝いている。 頬はこけていたが皮膚には赤みが差していた。 美千隆は興奮している。 「これです」彰洋は電話番号の写しを美千隆に差しだした。 「アルファベットは相手のイニシャルだと思うんですけど」 美千隆は写しをひったくるようにして彰洋から受け取った。 食い入るように見つめた。 「ヒュミドールの中にあったといったな?」 ヒュミドールー記憶を探る。葉巻の保存ケースのことだと思い至る。 「そうです。鍵がかかっていて。葉巻の他にはその手帳があるだけで、不自然でした」 「よくやったぞ、彰洋。娘の方はだいじょうぷなんだろうな?」 「早紀ですか?」 「そうだ。このことを波潟に報告したりはしないだろうな?」 「だいじょうぶです」 「よし。これでなにかがわかれば、彰洋、おまえの今年の年収は億を越えるぞ」 体温はあがらない。だが、あがりそうな兆しはある。 興奮している美千隆その興奮が空気を伝わってくる。 「どうやって調べます?間違い電話の振りをしてかけてみますか?」 美千隆が首を振った。 「そんな面倒なことをする必要はない。金があれば、たいていの手間は省略できるんだ」 美千隆は電話に手を伸ばした。電話をかけた。 「もしもし。清水さんかい?MS不動産の齋藤ですがね、ちょっと頼みたいことがあるんですがね」 美千隆の声は穏やかだった。だが、聞く者が聞けば、穏やかさの内に巧妙に隠された桐喝の気配を感じとることができる。 「電話回線の持ち主を知りたいんですよ。四、五十件あるんですけどね。調べてもらえませんか?お礼はさせていただきますよ……わかりました。じゃあ、これからファックスしますから。すぐに調べて、折り返しファックスしてくださいよ……今日は土曜だ?おれの知ったことじゃ ないでしょう、清水さん……じゃあ、お願いしますよ」 美千隆が電話を切った。 表情が歪んでいる。
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