いま、抗暴のときに
著者
辺見庸/著
出版社
毎日新聞社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2003/05
ISBN 4-620-31637-7
 
抗暴―絶対暴力に抵抗する民衆の力、そして個人の魂。戦争の時代を拒絶し 人間的なるものの創造を求める現代のテキスト。
 

話題の「反時代のパンセ」(「サンデー毎日」連載)単行本化第2弾!イラク侵略戦争、武装化する日本、迫りくる「次の戦争」・・・を人倫の根源から告発する、いま最も熱いテキスト!!



大量殺教を前にして

米国はイラクに対しのべ一一万回の空慢を加えた。
四二日間にわたり三〇秒に一回という計算だ。
一般市民の頭上にハ万ハ五〇〇トンの慢弾が投下された。
これは、破壊力で言えば広島を灰にした原爆七・五倍分に相当する。
十万人以上が直接に殺害された。(ラムゼー・クラーク「湾岸戦争における米国の戦争犯罪」から佐瀬昌盛訳『世界戦争犯罪4典』所収)


起きるかもしれない、いやそう遠くない先に起きることが確実視されてもいる大量殺教を前にして、世界はあまりにもこともなげに、ただあてどなくたゆたっている。
世界はまるで麻酔にでもかけられたように無感動、無感覚の無明の淵におちいっているようだ。
ラフサンジャニ前イラン大統領はかつてジョージ・W・ブッシュという名の戦争狂を「恐竜のような頭に雀ほどの脳しかもちあわせていない」と形容したことがある。
地球上の過半の住人は、あからさまにそう口にするかどうかは別にして、ラフサンジャニ師のような見解に内心はくみしているのである。
にもかかわらず、世界は貧相な顔をしたあのテキサス男の下卑た脅しに怯え、ひれ伏している。
世界は米国による大量殺教をいま荷び目撃しようとしている。
九一年湾岸戦争の血はまだ乾いてはいない。
そのイラクを、駐留コストを別にしてさしあたり四百億ドルという莫大な戦費をかけて米軍は襲うのだという。
殺されるイラクの兵員、住民らの数は前回湾岸戦争を大きく上回るだろうともいわれる。
それなのに、これを未然に制止しようという力はなぜかひどく弱い。
衆人環視のなか、恐竜のような頭に雀ほどの脳しかもちあわせていない男の指揮する巨大な軍隊が、イラクの人びとをまたもなぶり殺そうとしている。
「やめろ!」の声はまだか弱い。
世界はあたかも既定のなりゆきを見るように、大量殺教へのたしかなプロセスを手をこまねいて、というより催眠術にかけられたように、うすらぼんやりと眺めているのである。
これほど非人間的な光景はない。
新世紀に入り、米国はアフガニスタンヘの報復攻撃につづき早くも二度目の大規模な戦争犯罪を犯そうとしている。
塵事、俗事にまみれてはいても、ものを考える人にはそれぞれの発起というものがあっていい。
この世に生きてあればそれぞれがおきふし案じることもある。
イラクはここからいかにも遠いけれど、願わくは、私たちの決心や出処進退にかかわる与件のせいぜい千分の一つにでも、あるいは日々に思案することのせめて一つの素材として、迫りくる米軍による大量殺教という非道の可能性を加えて、多少はわがこととして煩悶することができないか。
つまり、もう少しいきりたつことはできないものか。
エチオピアの高地に棲むゲラダヒヒは文明も文化も正義も一切言挙げしないが、じつに非闘争的で他の集団と巧みに平和共存する術を知っているというではないか。とすれば、二十一世紀の人間はまだヒヒ以下ということとなる。
雀ほどの脳みそしかない、ヒヒ以下の人間たちが原子力空母を操り、巡航ミサイルや劣化ウラン弾を撃ち放ち、イラクの民衆を殺そうとしているのである。
これについて沈黙し、これを看過することは、共犯の視えない環に加わることだと私は思う。
だがしかし、たとえばうらうらの陽差しが二、三日もつづき、散歩の道すがら、はっとするほど青みわたる空の下に仙蓼の実の赤い粒々が妙に輝き艶めいて見えたりする日には、この世もさほどにわるくはないなどと思いなしたり、なべて哀しいこと、禍々しいことについてはわざと思い止んだりしないでもない。
世界はちっともまどかではないのに、まどかを仮構しているのは、身辺の騙し絵のような風景だけではない。
おそらく、徹すれば徹するほどつらくなるはずの風景の解像の作業を、そうと知って厭う私がときにまどかを胸中に仮構するのである。
考えてみればおかしな話なのだ。
米軍がイラク攻撃を開始したら、時をかわさずに寄稿してほしいというメディアの要請を私はあっさりと受けているのである。
依頼してきた友人の口調は蕎麦屋にかけ蕎麦の出前を頼むように事務的で、どこか倦怠をにじませていたし、私は私で、ああ早めに予定稿をつくらないといけないかなあなどと反射的に思いめぐらし、やはりさほどの感動もなく電話のその依頼を聞いたのである。
爆撃開始後のイラクの地獄絵図を想像し、神経がしぼりあげられるようにして私たちは語りあったのではない。
正直なところ乾いた仕事の話をしたのだ。それはやはり変だと思う。
まずは精一杯攻撃反対を表現し、かなわなくても攻撃阻止のためになにができるのかを考えるのが筋というものだ。
が、そのときは、私もまたイラク攻撃を既定の事実として無意識に受け容れていたのだろう。
なんの話か失念したが、「健康という名の症状を呈する慢性の病人」という表現をいつだか読んだことがある。
この国はそうだ。
私もまたそうだ。
健康という名の症状を呈する重篤の病人である。健康とはこの場合、無関心、無感動の謂である。
前次湾岸戦争の傷はまったく癒えてはいない。
このことをしつこく自分にいい聞かせようと思う。ラムゼー・クラーク元米司法長官によれば、前回戦争で米国は一般市民が生き残るうえで必要な施設を意図的に破壊し、十年以上の経済制裁を科したために、二〇〇〇年八月までの段階でイラクの乳幼児、子ども、老人、病人を中心に百万人以上が犠牲になったという。
一方、米側は前回の戦争で百四十八人が死んだと主張しているが、その大半は味方の戦火や事故が原因だったという事実をみずから認めている。

(本文P.8〜10 より引用)


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