永遠の出口
著者
森絵都/著
出版社
集英社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2003/03
ISBN 4-08-774278-4
私は〈永遠〉という響きにめっぽう弱い子供だった――。友情、秘密、家族、恋…10歳から18歳まで、揺れ動く少女の思春期。昭和50〜60年代を背景に、新鋭がリリカルに描く長編。著者初の大人向け物語。

いろいろなものをあきらめた末、ようやく辿りついた永遠の出口。
私は日々の小さな出来事に一喜一憂し、悩んだり迷ったりをくりかえしながら世界の大きさを知って、もしかしたら大人への入口に通じているかもしれないその出ロヘと一歩一歩、近づいていった。
時には一人で。
時には誰かと。

第一章永遠の出ロ

私は、〈永遠〉という響きにめっぽう弱い子供だった。
たとえぱ、ある休日。家族四人でくりだしたデパートで、母に手を引かれた私がおもちゃ売場に釘づけになっている隙に、父と姉が二人で家具売場をぶらついてきたとする。
「あーあ、紀ちゃん、かわいそう」
と、そんなとき、姉は得意げに顎を突きあげて言うのだ。
「紀ちゃんがいない間にあたしたち、すっごく素敵なランプを見たのに。かわいいお人形がついてるフランス製のランプ。店員さんが奥から出してきてくれたんだけど、紀ちゃんはあれ、もう永遠に見ることがないんだね。あんなに素敵なのに、一生、見れないんだ」
永遠に。
この一言をきくなり、私は息苦しいほどの焦りに駆られて、そのランプはどこだ、店員はどこだ、と父にすがりついた。
おもちゃに夢中だった紀子が悪いと言われても、見るまでは帰らないと半泣きになって訴えた。
この広大な建物のどこかに眠る素敵なランプ。
今、見なければ私は本当に、永遠にそれを見ることができない。
確かにそこにあるものを、そこに残したまま通りすぎてしまう。
それは私の人生における大きな損失に思えた。
すごくもったいないし、なんだか不安でもある。
そこに残したままのものが増えていくこと、私の知らないものが知らないうちに知らないところへ押しやられていくことに、私はくらくらするような恐れとさびしさを感じていた。
両親も気づかずにいたこの弱点(永遠に〜できない)を見抜いたのは、後にも先にも三つ年上の姉だけだった。
彼女はそれを余すところなく活用し、様々なバージョンで執拗に攻撃をしかけてきた。
「あたし今日、友達んちですっごく貴重な切手を見せてもらったの。すっごく高くて、すっごくめずらしいやつ。でも、紀ちゃんはあれを永遠に見ることがないんだね」
「紀ちゃん、昨日、なんであんなに早く寝ちゃったの?『水戸黄門』最高だったのに。昨日は偽者の水戸黄門が登場して、でもほんとにそっくりでびっくりだったのに。紀ちゃんはもう永遠に、死ぬまであのそっくりさんを見れないんだ」
「今日、二組の斉藤くんが昼休みに生徒会の選挙演説に来たんだけど、途中から斉藤くんコンサートが始まっちゃって、それがすっごい音痴でおかしいの。もう、みんな大爆笑!あたしあれ、一生、忘れないと思う。紀ちゃんは一生、見れないけど」
永遠に。
一生。
死ぬまで。
姉の口からそんな言葉が飛びだすたびに、私は歯を食いしばり、取り返しのつかないロスをしてしまったような焦燥と闘い、でも結局は敗れて、もはや永遠に会うことのないレアもの切手やニセ黄門様や斉藤くんの歌声のために泣いた。
すべてを見届け大事に記憶して生きていきたい
のに、この世界には私の目の届かないものたちが多すぎた。
とりこぼした何かを嘆いているうちに、また新しい何かを見逃してしまう。
裏を返せばそれは、私がそれだけ世界を小さく見積もっていた、ということだろう。
年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれおちたものばかりで溢れていることを知った。
自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部にすぎないのだ。
(永遠に〜できない)ものの多さに私があきれはて、くたびれて観念し、ついには姉に何を言われても動じなくなったのは、いつの頃だろう。
いろいろなものをあきらめた末、ようやく辿りついた永遠の出口。私は日々の小さな出来事に一喜一憂し、悩んだり迷ったりをくりかえしながら世界の大きさを知って、もしかしたら大人への入口に通じているかもしれないその出口へと一歩一歩、近づいていった。

本文P.7〜9より引用

 
 


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