秋に墓標を
著者
大沢在昌/著
出版社
角川書店
定価
本体価格 1667円+税
第一刷発行
2003/04
ISBN 4-04-873370-2
執筆に8年をかけたハードボイルド小説  勝浦の別荘地で静かに暮らす松原龍。見知らぬ女・内村杏奈との偶然の出会いが、龍を静かなる生活から激しい戦いへと導く・・・。女を守るための男の強さとは。

大沢在昌が執筆に8年をかけたハードボイルドの新境地!!殺し屋、CIA、FBI、チャイニーズ・マフィア、警視庁・・・複雑に絡む巨大な罠。エージェントから逃げ出してきた杏奈を龍は救えるのか!?


最初に砂浜にいこうといいだしたのは、私ではなく力ールだった。
房総半島の沖合いに三日ほどいすわっていた低気圧が、ようやく体力をつけてきた太平洋高気圧に押しあげられる形で去り、朝からよい天気になった。
南斜面に建つ我が家の窓からは、守谷海岸の白い砂浜と、青く澄んだ海がくっきりと見えた。
遅い朝食の洗いものを終えた私が、その日最初の煙草を吸おうとベランダにでると、力ールがもう待ちきれないというように吠えたてた。
「あせるな」
私はひと言いって、氷をいれたばかりのアイスコーヒーがよく冷えるようにかきまぜ、煙草に火をつけた。
スポーツ新聞の一面にざっと目を通し、一枚めをめくった。
その垂れ下がった端に力ールが噛みついた。
「力ール!」
新聞はひきずられ、ベランダの床に落ちた。
どうだわかったか、といわんばかりに力ールは海を見つめ、また吠えた。
力ールがいらいらしていることは私にもわかっていた。
週に一度は、このパートナーを私は海岸に連れていっている。
首輪を外し放してやると、へとへとになるまで波打ち際を駆け回るのだった。
最後に海に連れていってやってから六日が過ぎていた。
三日間の雨の前は、比較的好天だったのだが、私が仕事で忙しかった。
天気のよい日に外にでれば、机に向かうことの虚しさを強く味わう羽目になる。
虚しさを味わった反動は、てきめんに仕事の内容に表われる。
だから締切を控えた好天の昼間は、なるべく一階に降りないようにしている。
仕事部屋のある二階は力ールからのプライバシーを保つ、というのは彼とパートナーシップを結んで以来の約束だからだ。
海の近くに住むことは、長いあいだの私の夢だった。
それがかなった今、私は常に、天気と私自身の遊びの虫との折り合いをつける苦労を味わう羽目になった。
それ以外の苦労はすべて東京においてきた。
したがってその苦労すらなければ、満ち足りすぎてつまらない人生だと考えるようになったかもしれない。
決めていたことだが、力iルを焦らせてやった。
一本目の煙草を吸い終えたあとも、私はベランダにおいた木製のベンチを動かなかった。
このベンチは、私がこの家に移ってきてから半年のあいだだけ凝った大工仕事の唯一の生き残りだった。
四年めに入り、だいぶガタがきているのだが、そのガタつきすらを「手作りの味」であると自分にいい聞かせ、直さずにいる。二本目の煙草に火をつけた私を、力ールは吠えるのをやめ「まだわからないのか」というように見つめた。
私は彼から目をそらし、砂浜を見おろした。
海までは直線距離で約一キロだが、実際に歩いていくには遠すぎる。
家の建つ別荘地を抜けていくだけで一キロ近くあり、それから海沿いの国道一ニハ号線にでるまで、もう一キロ近くの下り坂を降りることになる。
「道は混んでいるかもしれないぞ。もう夏だからた」梅雨入りはすでにしている筈だが、まださほど不快な天候はつづいていない。
気温も、三十度を越えることはめったにたかった。
今日はだが三十度を越えるかもしれない。
力ールがひと声吠えた。それがどうしたのだ、というわけだ。
真夏の渋滞ほどではないだろう。
「それはそうだ。今日は平日だしな」
曜日を意識するのは、海岸線に沿って走る車の数が多いと感じるときだけだ。特に真夏の外房では、午前中は西行きの一ニハ号線が、午後は東行きの同じ道が、大渋滞する。
海岸であがるロヶット糀秋の音が深夜までつづき、ふだんは静かな漁師町が喧騒と原色に埋まる。
しかし、そうした町全体の、一過性の躁状態を私は嫌いではない。
夏のうちの何日間かを近所で過す別荘族は、下品だのやかましいだのといって嫌うが、なにあと七、八年もすれば、彼らの気どった子供たちが、海岸で娘をナンパし、飲みつけぬ酒を過して深夜に大騒ぎするようにたるのだ。今はとりすまして、親の運転するゴルフカートに乗っていても、いずれゴルフなどよりもっとおもしろい遊びが自分たちにはあることを発見するにちがいたい。
真夏のその時期、あたりの別荘から弾ける笑い声をひとりで聞いていることに飽きると、私は力ールを車に乗せてふもとの民宿街にでかけてゆく。
シーズンオフの夜ならばハ時には人影の絶える民宿街は、同じ時刻、肌をむきだしにし、互いを値踏みする若者で溢れかえっている。
私はそこをのろのろと走り、獲物にありつけず都会で思い描いていたバラ色の夏休みの夢に破れて、酒を片手にすわりこむ若者たちを眺める。そして、自分がもうその年頃を卒業していることを心からよかったと思うのだ。
体から若さが失われることには抵抗するが、心がドラマを求める気持を捨てるのには安堵を覚える。
私の望みは、心が静かであること、それだけだ。
怒りや嫉妬、羨望などとは無縁の暮らしをしたいと願って、ここに移り住んだのだ。興奮を欲したときは、レンタルピデオや活字によって得ればよい。
それ以外で私に興奮を与えてくれる存在は、海の中にいる。
釣りは、私にとり、今や生きる証しとすらいえるほど生活の中で重要な位置をしめる作業となった。
四年前までは、自分がこれほど釣りにのめりこむとは思ってもいなかった。
その多様性と、料理のレパートリーを増やすという目的のふたつが、私の心をとらえたのだ。
船釣り、磯釣り、投げ釣りと、それにあった道具、釣果にあわせた包丁を買い揃えたものの、そのすべてを縦横に使いこなしているという実感はまだない。
というよりは、心の底から満足のいく大釣果にお目にかかっていない、というだけに過ぎたいのだが。
「キスかな。キスだろうな」
私は力ールにいった。
守谷海岸は砂浜である。
砂浜でできる釣りといえば投げ釣りで、外房の砂浜ではキスがその主な釣果として考えられる。
「釣ったキスで、ヒラメやコチを狙う手もあるぞ。まあ、宝クジだが」
力ールはそっぽを向き、一声、吠えた。
お前の頭でっかちにはあきれるよ、といった風情だ。
その通り、私の釣りのキャリアはわずか四年だが、活字やビデオで得た知識なら、その道三十年の釣り師とでもはりあえる。
これほど海の近くに住み、思いつきや活字で得た“悟り”を、いくらでも実行に移す機会に恵まれているというのに、まだ一度も私自身が心から納得する釣りをした経験がないというのは不思議なことだった。
それはおそらく、私のこの釣りが、まったくの独学で、師匠と呼べるような存在をひとりももたないことが最大の理由だろう。

(本文P.3〜5より引用)

 
 


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