戦場のピアニスト
著者
ウワディスワフ・シュピルマン/著 佐藤泰一/訳
出版社
春秋社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2003/02
ISBN 4-393-49526-8
第2次世界大戦、ドイツのポーランド侵攻。 ナチスのユダヤ人迫害のもと、多くの命が失われ、 廃墟になったワルシャワの街を独り彷徨する 若き芸術家の苦闘の物語。 ゲットー脱出、逃避行の日々 そして、ドイツ軍の脅威が迫る……

■目次
子供たちの時、狂人たちの時;戦争;最初のドイツ人たち;父、ドイツ人に頭を下げる;お前らはユダヤ人か?;フウォドナ通りのダンス;K夫人の素敵な振る舞い;脅迫下の蟻塚;ウムシュラークプラッツ;生きるチャンス;“狙撃者たちよ、立て”;マジョレク;隣室での騒ぎと諍い;サウァスの裏切り;燃えさかる建物の中で;ある都市の死;リキュールと命の交換;ノクターン嬰ハ短調

■要旨
第2次世界大戦、ドイツ軍によるポーランド侵攻。ナチスのユダヤ人迫害のもと、多くの命が失われ、廃墟になったワルシャワの街を独り彷徨する若き芸術家の苦闘の物語。ゲットー脱出、逃避行の日々、ドイツ軍の脅威が迫る…。ポーランドの名ピアニスト、シュピルマンが自らの体験を綴った希有のドキュメント。

 

W L A D Y S L A W  S Z P I L M A N
シュピルマン(本人写真)
ウワディスワフ・シュピルマン(1942)

第2次世界大戦、ドイツのポーランド侵攻。
ナチスのユダヤ人迫害のもと、多くの命が失われ、
廃墟になったワルシャワの街を独り彷徨する
若き芸術家の苦闘の物語。
ゲットー脱出、逃避行の日々
そして、ドイツ軍の脅威が迫る……

◆ドイツ将校ヴィルム・ホーゼンフェルトの手記/付


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映像の迫力 原作の魅力

映画『戦場のピアニスト』試写会のポスター

『夜と霧』『アンネの日記』『コルチャック先生』など、ホロコーストの証言はたくさんありますが、ここに衝撃的な真実を描いた名作が加わります。
『ある都市の死』と題されて戦後すぐにポーランドで出版された原書は、政治的な理由から発禁となり、長い間封印されるという運命をたどりましたが、50年の時を経てようやく復刊され、各国でベストセラーになっています。名匠ポランスキーの心を動かしたこの真実の物語。原作を読んでから鑑賞するもよし、映画の感動をもう一度活字で味わってみるもよし。映画の雄弁にして、直截的な迫力。原作は、主人公の内面はむろんのこと、シュピルマンを助けたドイツ将校ホーゼンフェルトの真実の姿がきめ細かく浮き彫りにされています。


シュピルマンの書斎
シュピルマンの書斎。愛用したスタインウェイの上にルービンシュタインやヘンリク・シェリングの写真が飾られていた。(佐藤泰一撮影)

ドイツの現代詩人W・ビールマン

シュピルマンは終戦の直後に、このワルシャワにおける物語を書いた。まさに熱が冷めやらぬうちに、もっと正確に言うなら、衝撃を受けた状態のままに。……
読者は、この本が第2次世界大戦の灰燼がまだ燻っているさなかに書かれたにもかかわらず、その言表が意外なほど冷静であることに気づかれるだろう。シュピルマンは、体験したばかりの苦しみをほとんどメランコリックに超然と描き切っている。いろいろな地獄を渡り歩いたあげく、まだ自分自身の感覚に立ち戻っていないかのように、私には思えてならない。ドイツ軍のポーランド侵攻以来、彼があたかも別人になって、驚きながら自分を書いていたかのようである。(本書の「エピローグ」より)

ロマン・ポランスキー

第1章をまでを読み終えたとき、私はすぐに、この本を次回作の題材にしようと思いました。ぞっとさせられる反面、その文章には希望が満ちていたからです。シュピルマンはあの時代の現実を驚くべき客観性で描いています。私は原作のそんなところに強く惹かれ、映画化しようと思ったのです。(「映画化に際して」)



アカデミー賞最有力候補作品

「戦場のピアニスト」

監督:ロマン・ポランスキー
出演:エイドリアン・ブロディ、トーマス・クレッチマンほか
カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)/全米批評家協会賞ほか多数受賞
2月15日より東宝洋画系全国ロードショー(アミューズピクチャーズ配給)

公式サイトhttp://www.pianist-movie.jp/pianist/index.html

映  画  の  シ  ー  ン  か  ら
ゲットーに押し込まれる家族

ゲットーに押し込まれる家族

ドイツ軍のゲットー破壊

ドイツ軍のゲットー破壊

ウムシュラークプラックでユダヤ人警官にチェックされる

ウムシュラークプラックでユダヤ人警官にチェックされる

逃走の日々。束の間の休息(仲間と乾杯)

逃走の日々。束の間の休息(仲間と乾杯)

ドイツ人将校ホーゼンフェルト

ドイツ人将校ホーゼンフェルト


●「戦場のピアニスト」オリジナル・サウンドトラック

サントラジャケット

  ………………………………
〈映画の中で流れるショパンの旋律〉

  • ノクターン嬰ハ短調
  • バラード第1番
  • アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 他

※シュピルマンによる「マズルカ」(イ短調op17-4)も収録

ピアノ独奏 ヤーヌシュ・オレイニチャク
指  揮 タデウシュ・ストゥルガラ
管弦楽 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
発  売 ソニーレコード(SICP299)


父は数年前まで戦時中の体験を決して語ろうとはしませんでした。
それにもかかわらず、父の体験は、子供の時分からずっと私の身近にありましたが、私が十二歳になって初めて本棚の奥からこの本を密かに引っぱり出して読み、どうして父に両親がいないのか、どうして父が自分の家族についてひと言たりとも話そうとしなかったのか、その理由がわかったのです。
そして、自分が何者であるかの一端を思い知るに至りました。
この本を私に読まれたことを父は知っていたと思いますが、それについてお互いに話しあったことはありません。
そのためでしょうか、この本がほかの人々にとって何らかの意味をもつだろうなどとは思い至らなかったのです。
ところが、友人のヴォルフ・ビールマンに父親の話をすることで、本書のもつ意義を彼から指摘されたのでした。
私は長年ドイツで暮らしてきて、いつもユダヤ人とドイツ人とポーランド人の間の交流が欠如していることをとても辛いことだと思ってきました。
本書が、まだ口を開けている傷口を塞ぐことにいくらかでも役立ちはしないかと願わずにはいられません。
私の父、ウワディスワフ・シュピルマンは作家ではありません。
ポーランドにおいて、彼は音楽を天職として「体の中に音楽が息づいている人」といわれたピアニストにして作曲家であり、我が国の文化の領域において、つねに入々の心を動かす重要な存在として、その名をとどめています。
父はベルリンの芸術アカデミーで、アルトゥール・シュナーベルについてピアノの勉強を修め、フランツ・シュレーカーに作曲を学びました。
一九三三年にヒトラーが政権を握ったとき、ワルシャワにもどり、ポーランド放送のピアニストとして活動を始めます。
一九三九年までに、多数の映画音楽やリート、シャンソン、それに当時非常に人気のあった大衆歌を作曲しました
。戦前には、国際的に著名なヴァイオリニストであるブロニスワフ・ギンペルやヘンリク・シェリングをはじめとして有名な音楽家たちと共演しています。
一九四五年以降、父は再びポーランド放送で働き始め、ソリストや室内楽奏者として音楽界に復帰します。
いくつかの管弦楽作品と三百曲ほどのポピュラーソングを作り、それらのうちの多くが大変ヒットしました。また、子供たちのための音楽や放送劇の付随音楽、それに多数の映画音楽を作曲しています。
一九六三年まで、ポーランド放送局の音楽部門の主任を務め、その後このポストを辞してからは、演奏旅行に時間を割く一方、ギンペルとともに創設したワルシャワ・ピアノ五重奏団の活動に専念します。
世界中で二千回以上のコンサートやリサイタルを開いた後、一九八六年、公の演奏活動から引退し、もっぱら作曲活動に勤しむことになります。
父の作品が西側の世界でほとんど知られていないのは、個人的には非常に残念なことです。
その一つの理由は第二次世界大戦後、ヨーロッパが政治的にも文化的にも二分されたことにあると思います。
世界中、軽音楽や娯楽のための音楽のほうが”真面目な”古典音楽よりも、はるかに人々の間に行き渡っておりますが、ポーランドにおいても例外ではありません。ポーランドの人々は、父が作った歌とともに育ったのです。
なにしろ、何十年にもわたり、ポーランドの大衆音楽の舞台を作り上げてきた人なのですから。しかし、ポーランドの西側の国境は、この種の音楽の”壁”となってしまったのでした。
父はこの本の初版を一九四五年に書きましたが、それは自分のためというより、一般の人々に向けて筆をとったのではないかと思われます。本を書くということで、父は自分の粉々になった戦争体験を少しずつ発酵させ、また自分の心と感情とを解き放つことを経て、その後の人生を送
ることができたのです。
一九六〇年代には、この本を若い世代の人たちに読んでもらおうと、いくつかのポーランドの出版社が復刊を試みましたが、実現しませんでした。その努力はいつも妨害されたのです。
どうして邪魔立てするのか、何の説明もなかったのですが、実際、そうする事情は政府当局にあったのです。
初版から五十年以上を経た今、この本が出版されようとしています。
ここにはおそらく多くの善良なポーランド人たちへの有益な教訓があります。
今回の出版がきっかけとなってポーランドでも復刊されることを望みたいものです。

アンジェイ・シュピルマン

(本書 序より引用)

 

 
 


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