人形 ギニョル
著者
佐藤 ラギ
出版社
新潮社
定価
本体価格 1500円+税
第一刷発行
2003/01
ISBN 4-10-457701-4
この世界に引きずり込まれれていく自分の心に、恐怖を感じた。 第三回ホラーサスペンス大賞受賞作

謎の男娼、その名は「ギニョル」。純白の肌に口を開けた真紅の傷跡が、平凡な中年男だったはずの「私」の中の何かを壊した。甘美な嗜虐と官能の日々。それはしかし、「邪悪ナル世界」への入口だった……。

残酷劇序幕【Grand-Guignol Act1 】
ギニョル、と呼ばれる少年の話を最初に耳にしたのは、店で会ったある男からだった。
顔の周囲に賛肉を幾重にも巻きつけた赤ら顔のその男を、私はこの店で何度も見かけていた。
赤ん坊のようなまるまるした指に悪趣味な指輪をいくつも埋め込み、その手を妙に女性的にくねくねと動かしながら、取りまきの「少年」たちの死人のような愛想笑いを相手に、聞こえよがしの胴聞声で酒落もなければ落ちもない自慢話を延々と繰り返す、どちらかと言えば不愉快な男だった。
上機嫌の男が「少年」たちのポケットにねじ込む一枚の千円札に対する陰口は、よく耳にした。
こういった場所に集まる、年若く、いくらか見てくれの良いーと自分で思い込んでいる「少年」たちを、私は特に非難や軽蔑をする気持ちはないが、かといって彼らに幻想を抱いているわけでもない。
「金はくれるけど下司な男でさ、自分では伊達を気取ってるつもりなのかもしれないけど、笑っちゃうよね。バカだから、金やりゃ人気出ると思ってんの」
「だいたいさ、今時あのチップはないでしょ? あんた、どこの国の人、ってかんじ。それにあ のくしゃくしゃの千円札。
なんでいっつもあんなにくしゃくしゃなわけ?」
「おまけになんだかいつも生暖かいし」
「どっかおかしなとこにでも、丸めてしまい込んでるんじゃないの?」
「とにかくあんな端金、僕たちはいいからフィットネスにでも使えば?あのデブはもう、犯罪級。上に乗っかられると重くて潰れそう」
「ありゃセックスっていうか、運痴の運動会だよね。ウンウン唸って、大玉送りか?」
「ウウン。小玉ころがし」
「少年」たちの聞こえよがしの笑い声は、ヒステリックで、空虚で、そして卑しい。
女の井戸端会議より下世話な彼らの話を、さも面白そうに聞いている常連たちは、実際のところ彼らの話など聞いちゃいない。
所詮彼らは、爛れた性欲のはけ口に過ぎないのだ。
私は、こういった姦し女のような「少年」たちの会話が、嫌いではなかった。
古くは女性の特質であるとされていた身も蓋もない罵詈雑言、自分のことを棚に上げた個人攻撃、理性のかけらもなく垂れ流しにされる感情、安価で薄っぺらなプライド、不幸をほじくり返して果てしなく続く不平不満、そんなものに嫌気がさしてこのような場所に逃げ込んだ男がもしいたとしたら、それは気の毒この上ない話だが、こういった場所で今時どんな女だってここまで「女々」しくはないだろうという会話を延々と聞かされるのは、一種の皮肉のようで痛快だった。
いったい私は、何を求めてここにやってくるのだろう。
安物のウィスキーを畷りながらぼんやりと考える。
間違えても女の代替品を求めに来るわけではない。
いまや絶滅したと言われる「大和撫子」の幻影を探しに迷い込むわけでもない。
ましてやセックスなんて。ツボを知らない相手と面倒な努力を重ねるより、一人で楽しんだほうが遥かに充実した快感を味わえる。
仕事場でパソコン相手に空想の相手と耽った方が、遥かに目眩く禁断の情事を謳歌できる。

(本文P.5、6より引用)

 
 


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