ハゴロモ
著者
よしもとばなな/著
出版社
新潮社
定価
本体価格 1300円+税
第一刷発行
2003/01
ISBN 4-10-383404-8
よしもとばなな 最新書き下ろし作品 

雪降る故郷の澄んだ空気と人々が教えてくれたこと。 
東京での八年続いた愛人生活が終わりを迎え、雪降るふるさとに帰ったほたる。そこで彼女を待ち受けていたのは、変わらない川の流れと懐かしくも愛しい人々の優しさだった。失ったもの、忘れていた大切なものを彼女はゆっくりととりもどしていく――。特別で平凡な「癒し」を描いた静かな回復の物語。

 

 

よしもとばなな (よしもと・ばなな)

1964年東京生まれ。日本大学芸術学部文芸学科卒。1987年「キッチン」で「海燕」新人文学賞、1988年単行本『キッチン』で泉鏡花文学賞、1989年『TUGUMI』で山本周五郎賞をそれぞれ受賞。海外での評価も高く、イタリアのスカンノ賞、フェンディッシメ文学賞を受賞。他に『アムリタ(上・下)』(紫式部文学賞)、『不倫と南米』(ドゥマゴ文学賞)、『体は全部知っている』、『王国―その1 アンドロメダ・ハイツ―』などがある。

その冬私はとてもまいっていたのでしばらくふるさとに帰って、祖母が趣味でやっている川沿いの小さな喫茶店を手伝っていた。
 その町には実家があり私の父が住んでいたが、あまりにも長い間楽しそうにやもめ暮らしをしているようすなので何となくそこにころがりこむ気にはなれず、祖母はその近くのとても小さな部屋にひとりで住んでいたので、そこに行くのも気が引けた。そこで店の裏の倉庫みたいなところで寝泊まりしていた。ひとりになれるからそのほうが気楽だったのだ。人といると気はまぎれるが、気をつかってへとへとになってしまう。ひとりだったら急に泣きだしても全然大丈夫だから、トイレにかけこんで、まるでもどすかのように勢いよく泣き出さなくてもいい。
 十八の時から八年間も長く長く続いた愛人生活が終わったことに、私はまだ驚いていた。いつまでたっても、別れたことに慣れなかった。長さというものは、それ自体がひとつの生命を持つような感じで、いつのまにか思わぬ大きさにふくれあがっている。
 そのせいかいつでもなんだか不思議な疲れかた……まるで深い肩こりがなかなかとれないような感じで疲れていて、いつでも同じことをぐるぐる考えていたのですっかり頭も悪くなってしまったようだった。
 仲のいい両親の子供は世界を疑うことを知らないで育つことが多い。私のように。
 私は、夫婦というものは仲がよくて、いっしょにいていちばん楽で楽しいものなのだろうとずっと思って育ってきていた。そうでなければ、夫婦は夫婦じゃないから、そういう人たちは、もういつか離婚するに決まっているものだとどこかで信じ込んでいた。
 でもそれはうちの例だけで、実際は世の中にはいろいろな形があって、いろいろなつごうがあるということを、今回遅まきながら、はじめて知ったのだった。ちょっと時間がかかりすぎていて、その点でも自分をばかだなあと思う。
 私が十歳の時に母は交通事故で死んだ。隣の県までひとりで買い物に行って、居眠り運転をして、電柱にぶつかって、あっけなく死んでしまった。
 その事故があるまでずっと、父と母はとても仲がよかったのだ。大学が同じでカウンセラーになるための勉強をいっしょにしていたせいか、学生みたいな感じのままだった。
 でも後になって私は思うようになった、両親は仲がいいというよりも相性がよく、自分の幸せのことばかり考えているクールな人同士だったのでものごとを深く掘り下げて考えずにすんだから、いつも楽しそうに出かけていったのだと。
 それとは逆に、私は青春のいちばん恋愛に燃えている時期にわざわざ奥さんのいる人とつきあっていていつでもどこかしら待ちの姿勢だったので、実のところはずっとひまでひまで仕方なく、考えるしかなくて、いつも考えてばかりいたので疑り深くなってしまったのだろう。
 私はもうすっかり、そういうジャンルのあてにならなさに疲れてしまった。
 東京の部屋はまだ残してあったが、帰るかどうかはまだ決めていなかった。

(本文P.7、8より引用)

 
 


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