網状言論F改 ポストモダン・オタク・セクシュアリティ
著者
東浩紀/編著 永山薫/〔ほか〕著
出版社
青土社
定価
本体価格 1400円+税
第一刷発行
2003/01
ISBN 4-7917-6009-3
21世紀のサバイバル・ブック

爛熟した消費社会の申し子たる「オタク」という特異な主体の在り様をめぐって、東浩紀と各界の最強の論者が繰り広げる言論のバトルロイヤル。ネット⇒ライブ⇒書籍とメディアを横断して展開された妄想と闘争の記録。

はじめに

オタク、と呼ぱれる集団がいる。
本書は、その「オタク」の生と、彼らが生み出した特異な文化を通して、現代日本の諸々の側面を浮かび上がらせてみようというささやかな試みを集めた評論集である。

オタクとは何か。
実はこの言葉の定義はかなり厄介で、それこそが本書の主題のひとつにもなっている。
とりあえず予備的な説明を書き記すとすれば、それは、コミック、アニメ、ゲーム、コンピュータ、SF、特撮、フィギュア、ライトノベルそのほか、たがいに深く結び付いた一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称である。
男性も女性もほぼ同数のオタクがいると思われるが、女性のオタクはときに「やおい」と別の名前で呼ばれている。
その場合は「オタク」とはおもに男性を指すことになる。
実際、本書第二部の鼎談では、この両者の用法が混在して使われている。
オタクの起源には諸説があるが、編者の考えでは、一九五〇年代後半から六〇年代前半にかけて生まれた世代を第一世代とするのが適当である。
彼らが二〇代を迎えた七〇年代になると、コミケの誕生がひとつの契機となって、さまざまなサブカルチャーの海のなかに、「オタク系」とでも呼ぶべき不思議なまとまりが立ち現れることになる。
このオタク系文化は、すでに四半世紀を超える歴史をもち、多数の才能ある作家を生み出し、いまでは一〇代から四〇代まで広がる数十万の消費者を抱えている。
それは、おそらく、戦後日本が生み出した、もっとも巨大なサブカルチャーの潮流である。
その影響力は、アジア諸国を中心に、国外にも広く及んでいる。
村上隆のように、オタク的意匠とアートのハイブリッド化を図ることで、国際的な評価を獲得している美術作家もいる。
したがって、オタク系の作品そのものに興味がない読者にとっても、その歴史や構造を知ることで得られるものは大きい。
編者である東浩紀は、七一年に生まれ、八○年代の東京を、ひとりのオタク予備軍として過ごした経験をもつ。
この評論集の背景にはそのような個人的な経験があるが、しかしそれだけでもない。
編者がこの評論集を編みたい、いや、編むべきだと考えたのは、単純に、このようなタイプの評論集がいままで編まれていなかったからである。
むろん、オタク関連の話題を扱う評論がいままでなかったというわけではない。
それどころか、そのような評論は多すぎるほど存在しているし、インターネットが普及したあとはその数は増える一方だとすら言える。
しかし、その多くは、読者としてまずオタクを想定し、上記のようなオタク系文化の歴史のなかで培われてきた特殊な知識を前提として書かれている。
そのなかには注目すべき仕事もあるのだが、基本的には専門書のようなもので、オタク系文化に触れたことのない読者の興味を惹くものではな
い。
他方、一般読者に向けられたオタク論は、オタク系文化の豊かさを内側から分析することなく、オタクという「変わった人々」をおもしろおかしく取り上げて終わるものがほとんどだ。四半世紀を超える歴史をもち、数十万の消費者を抱える巨大なサブカルチャーについての言説が、いまだにこのような不毛な状況に陥っている。
残念ながら、それが、この国の文化的な水準なのである。
大袈裟に響くかもしれたいが、編者はかねてより、このような状況に危機感を覚えていた。
サブカルチャーの動きは激しい。そして消費者は忘れやすい。サブカルチャーのダイナミズムは、こと歴史を語る段階になると、大きな壁として立ちはだかる。
オタク系文化の八○年の風景と、九〇年の風景、二〇〇〇年の風景はそれぞれ驚くほど異なるし、またその変化には日本杜会の三〇年間の歩みが凝縮されてもいるのだが、現状では、そのような歴史の多くが、きちんと言語化されないまま、オタクたちひとりひとりの「思い出」として風化し消滅している。それは、オタクたち自身にとってだけでなく、より広く、現代日本の文化全体にとって大きな損失ではないだろうか。
そのような状況を打破するために必要なのは、とりあえずは、オタクの内側から、しかしオタクではない一般読者に届くような問題意識をもって、理論と現場の双方を横断できる強度で書かれた評論である。
むろん、そのような仕事は、まずはひとりひとりが試みるべきことである。編者にとっては、昨年秋に出版した『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、二〇〇一年)がその試みにあたる(その目的が達成されているかどうかは、読者の判断に任せるほかないが)。
しかしそこには自ずと限界もある。オタク系文化の広大で複雑な領野のなかで、個人がカバーできる範囲はおそろしく小さい。したがって、編者は、異なった立場の論者、異なった経験をもつ実作者との共同作業が必要だと考えた。この評論集が企画された背景には、以上のような状況認識がある。
オタク系文化の特徴を社会一般の問題に開いていくにあたり、本書は、サブタイトルに示されているように、「ポストモダン」と「セクシュアリティ」の二つの問題系を切り口としている。
しかし、同じように有効な問題系はほかにもいくつも考えられるだろう。

(本文 はじめにより引用)

 
 


このページの画像、引用は出版社、または著者のご了解を得ています.

当サイトが引用している著作物に対する著作権は、その製(創)作者・出版社に帰属します。
無断でコピー、転写、リンク等、一切をお断りします。

Copyright (C) 2001 books ruhe. All rights reserved.